本題に入る前に(驚!)の記事追加して置こう、順位は700台だった夕刻の時期では最高位だろうその時に見て於けば300台の新記録出たかも知れない、三桁の数字見るのは投書が少ない深夜が多い残念だ。
ジュークボックスもう死語かも知れない、ジュースボックスでもシューズボックスでも無い、大型の箱にレコードが百枚以上入り自動演奏装置だ。
前のグループサンド書きながら思い出した、最盛期はグループサンドの一昔(10年)のロカビリー時代だ内田裕也も去りミッキーカーチスが元気らしい。
まだ我が家は電蓄の時代だ、75回転のレコードで竹か鉄の針が使われていた。
駄菓子屋では5~10円で古いレコードが売られていた、我々は其れを学校の校庭でフリスビーの様に投げて楽しんだ。
話は戻るデパート友達同士では出入り禁止だった、俺は当然聞く耳を持って居ない
一番の魅力は冷房設備だった、暑がりで恋しかった。
ジュークボックスは屋上の室内に有った、当時の若者たちがロカビリーサウンドを流し周りで踊っていて実に楽しそうだった、生き生きとしている未だディスコやクラブも無く溜まり場だった。
多分1曲100円だった我々には高価だ、滅多に使えないでも坂本九の(悲しき60歳)かな奮発して聴いた未だイメージが脳裏の奥底に微かに有る。
今思うと相当の悪餓鬼だった、今日では新聞に掲載される事も平気でやった。野火鉄橋の渡り、ガードに忍び込み列車の通過を下で見た五月蠅いが面白かった。
柿泥棒、スイカ泥棒皆の遊びだった、世の中は貧しかったが心の余裕有ったのだろう。子供にこの話すると女房の大目玉が待って居る、時代は変わった。
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