今日10月6日は悪友の祥月命日で墓参をして来た、晩酌しながらブログを書き始めるが目頭がやや潤む。
お盆にはこの世に戻って来るが、祥月命日にも戻る話が有る。真実ならば俺の酒を盗んで飲んでるだろう、面白い奴だったので真面目に書くか笑いで書くか悩んでる最中だ。多分前にも書いたかも知れないが七百話も書いて居るとボケ老人には記憶は薄い。
祥月命日の記憶が簡単だ、誕生日が6月1日で6,01を逆転すれば命日に成る。
俺の誕生日プレゼントに骨壺を持って来た、骨壺野郎だ。当時骨壺の自主製作の計画が有ったので、皮肉にジョークの分かる奴だ。
高専にて5年制だが、俺は学校地区の民制度を知り文科系の大学に中途入学したが、学友は埼玉茨城の長靴を履いた田舎中学のトップ連中が多く頭が良い
俺と骨壺野郎は常に成績はラス争いだ、でも我らは彼らに(遊び?)の飲み打つ買うでは多大なる影響を与えたと思う。パチンコ、麻雀、飲酒、ナンパと幅が広い。尤も高専は学生で高校は生徒と格下なので自意識が有ったのだろう。
我が校半世紀以上の歴史が有る、修学旅行は昔から自由行動だが我がクラスだけ団体行動と言う誇れる名誉が有るのだ、決して暴力や恐喝の悪では無い一般世間での評判はさて?、ナンパクラスでは教授が心配して配慮したのだろう。しかし硬派と軟派の二刀流で教授がアホなだけだった。
24時に成った、骨壺野郎のお帰りだ、酒の量はと見たら減っていた俺が飲んだのは承知済みだが、来年も迎えに行くから必ず来いよ。アバよ。
大学時代夏休みに実家に帰り彼の紹介でアルバイトをしたら、金髪碧眼美少女に一目惚れして、帰京する事無く大学を中退した。その後プー太郎生活を三年したが旅行会社に勤め、骨壺野郎の新婚旅行も世話した。
ハワイ旅行だが勿論悪戯は入る、特急列車の窓に(お二人様新婚旅行中)の張り紙をデカデカト書くのだ、次の停車駅迄は剝がせ無い。3組にしたが良い思い出と皆に感謝された、自負だが新婚旅行を真剣に考へ思い出を作る旅のセールスマンは俺一人かも知れない。
本題に戻ります、彼は大腸癌で特殊なため滋賀県迄行って手術をした。その後地元に戻り2年間入院して亡くなったが、多分医者から死亡宣告は受けていたと思うが一言も話さなかった。亡くなる二日前が別れの日だったが普通に話して終わった、彼の遺言?と言うか俺には脳梗塞で後遺症が有る、酒も煙草辞めずまた倒れたら、見舞いには絶対に行かないが口癖だったが彼の死亡原因が脳梗塞とは皮肉だ。
彼はクラスで人気者だった、変人のクラス故に彼が亡くなる前年に京都で紅葉見物を兼ねてクラス会をしたら心配する奴が多かった。
40人のクラスだが、自殺者を含めて6~7人が亡くなって居るのに京都に12人集合とは凄いと思う。
コロナでクラス会が出来ない、高校野球の応援とか色々な理由を付けて飲み会は持つが、忘年会を開催すると宣言したら大阪から来るととの声も上がる。
青春時代の友は人生の財産だと思った、
矢張り落は付けよう、学生時代で戻り盛り上がり落ち様が無いのが本日の落です。二重落かな?