前回の話は「最終目的地の「下諏訪駅」で下車。
電車を降りた時は夕刻。佐賀から急行と鈍行の乗り継ぎでもうくたくた。もちろんホテルなど贅沢なものを予約しているはずもなく、かといって疲れ果ててテントを張る気力もない。
下諏訪駅は小さな駅で、夜になると乗降客も少なくなる。そこで駅員さんに「駅舎のベンチで泊まってもいいですか?」と尋ねると、「いいですよ」と嬉しい返事。1980年当時だからそれでもよかったのかもしれないけど、今だったらたぶん「ダメ」。
しかも、その駅員さんが親切にも食べ物の差し入れをしてくれた(何だったかは忘れたが)。
翌朝、輪行袋からばらばらになった自転車部品を組み立てにかかる。事前に何度も練習していたのでそう苦労はない。今ではすっかり忘れてしまったが・・。
まずは、最初の目的地「八ヶ岳」へ。下諏訪から茅野へ向かう。茅野で食料を買い出しして、八ヶ岳の登山口である「美濃戸口」へ。
美濃戸口→http://www.yamakei-online.com/trailhead/detail.php?id=1003
茅野からバスで来た登山者はここから歩いて八ヶ岳へ向かうが、私達は自転車で高度をかせぐ。自転車に積んでいるのは、テント、食料、なべなどの調理用具、ガソリン、ガスバーナー、着替えの洋服など。これらの荷物を自転車の前後に積み、更に背中にはバックパックを背負って、自転車をこいで登っていく。これらの総重量は30キロぐらいだろうか。
そして、八ヶ岳への登り車線は急こう配。いまでも鮮明に覚えているのは、地獄の「麦草峠」。
麦草峠→http://grand-touring-japan.travel.coocan.jp/roadofjapan/chubu/mugikusa/root299.htm
年に2回(1月と7月)、福岡に一時帰国します。その際に、この合宿に一緒に行った同期のS島と話すのは思い出の「麦草峠」。]
八ヶ岳の登山口に着いて八ヶ岳の縦走をした。茶臼山、縞枯山、横岳、硫黄岳、横岳、そして八ヶ岳の主峰「赤岳」。
そして、また思い出したのは、同期のI手の話。大学時代I手と話していた時に、I手の教育学部の同期にМ田がいるという。М田さんは私達より5年年上。でも、何かしら故あって5浪して佐賀大学へ入学。
大学では、学部でもサークルでも年齢は全く関係ない。5歳年上だろうが何だろうが、入学年次が一番重要。だから5年年上でも「М田」と呼び捨てにする。
話がいろいろに飛びまくり、前に戻ると・・。
赤岳→ http://www.yamakei-online.com/yamanavi/yama.php?yama_id=450
赤岳を降りて赤岳鉱泉へ。
赤岳鉱泉→http://yama-goya.jp/yatsugatake/akadakekousen.html
赤岳鉱泉から次の目的地である「霧ヶ峰」へ自転車で向かう。
このブログを書いている間に、ビールとウイスキーで眠くなってきたので、続きは次回ということで。