郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

播磨 白旗城(2)

2020-01-10 10:04:32 | 城跡巡り
【閲覧数】3,010件(2011.11.17~2019.10.31)



▼北から見た白旗城跡周辺
  

▼白旗城跡平面図


◇白旗城跡へのアクセス




 

  白旗山の麓には、白旗城の大きな看板が西向きに掲げられています。細野川の橋を渡ったところに、案内表示(白旗城まで2.1km)があり、防獣フェンスを開けて進みます。









 ほんの少し歩くと左に白旗八幡神社跡の案内があります。左に入っていくと、その跡地には白旗城合戦で倒れた人々を弔ったと思われる五輪塔群(18基)が祀られています。







 元に戻って谷あいを進んで行くと、トイレや登山杖が用意されています。ここで、もう一度身支度を整え、気合を入れて進むことになります。






  歩くほどに、山道には苔むしたごろごろとした石が増えます。この山は元来岩山のようで風化した石が谷筋に寄せ集まったのでしょう。





 

  普段の歩きではない、アスレチック風の岩歩きを堪能したあと、谷の上部に近づくにつれ光が差し込み、明るい空が見え始めました。







  尾根の上にやってきました。そこには案内板があり、このまま尾根を下ると野桑の集落に向かい、城跡までは左(北)方面800m、もう少しです。ここからは岩肌と落ち葉に覆われた尾根筋が続きます。



 



  まず最初に大きな堀切がお出迎え。この堀切があるということはここから城域で進入を許さないという表示なのですが、今は登山道として難なく通れるようにしてあります。左右の堀切の延長を見ると人為的に掘ったことが確認できます。



 



  櫛橋丸(くしはしまる)の表示があります。左手上方が突出した岩場になっていて、最上部の岩の上からの景色はよく、歩いてきた谷筋と赤松や細野の集落が一望できます。見張り台の役目をしていたのでしょう。







  櫛橋丸の縁に穏やかな登山道が用意されています。しばらく進むと、さらに堀切の窪みがあり、その向こうに二の丸(30×20m)が見えてきます。




 



二の丸からさらに進むと、馬場丸という細長い道を進み、次の段郭を登り切るとやっと白旗城本丸(40m×25m)に到着することができました。



 



この地点は西の麓には千種川周辺の赤松の集落、東麓は野桑の集落が確認できる東西が見渡せます。北には雪を頂いた北播磨の山々と、北東には播磨科学公園都市(テクノポリス)の施設がすぐそこに見えました。



 



さらに本丸の北側の高低差のある郭を降りていくと一段開けた場所があり、それが三の丸です。



 



  そこから下には土塁と堀切があります。三の丸に続く北のコース(細野)から登ってきたという2人の登山者に聞くと、そのコースは整備されてはいなく、しだ等が生い茂り足場がかなり悪かったと言われていました。




雑 感



 天下の政治の行方に大きくかかわった赤松の居城白旗城。西はもとより東を見渡せる城の位置と規模そして、さらに東への勢力拡大を推し進める赤松一族の並々ならぬ幕政参画の夢ありと想像させられます。その白旗城はいく度か合戦の場となり、その時折の勢力関係の変化により改修されてきたようです。

 平面図に二の丸の南の侍屋敷跡、大手郭群、本丸南の郭群が示されていますがまだ見ていません。再度登城し、侍屋敷跡、井戸、郭群の探索と山麓に残されている数々の赤松の遺構を次回のレポートで紹介できればと思っています。


撮影日:2011.3.11



【コメント】
播磨屋      2011.11.20
  白旗城まつりの城跡登山会が楽しみです。侍屋敷あたりから大手郭も
見学範囲に入っていたら嬉しいのですが…おそらく、範囲外なのでしょうね
勝手な行動は慎むべきだし悩ましいところです。
 
返信
タケネット 2011.11.20 
多数の団体行動なので独自の行動は無理でしょうが、話は聞けると思います。



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