たけのこ新聞の事件簿

離婚をきっかけに、今まで心に溜めていたことを書いています。離婚、エコ、世間の常識(のようなもの)についての疑問などなど。

生活を創る~無駄を省いて、無駄を満喫する㉚

2023年08月22日 | 日記

服より大切なのは靴だ。若い頃に就職活動などで無理にパンプスなどを履いていたので、私の足指は少し変形しているし、ねじれている気がする。足を踏み込んでも、まっすぐ足裏に体重を乗せられない。指の側面に体重が乗る感じになる。

今までは何となくサイズを見て靴を選んでいたが、今回男性用でサイズもちょっとだけ大きいスニーカーを履いてみたら、とっても楽~(その時は男性用と気付かずに買ったのだが)。靴の幅が男女で異なるのだろうか?もう女性用には戻れない。あぁ、また一つ女を捨ててしまったのか?…なんてこれまで自分が思っていたサイズは、実は、私にとって小さすぎたのかもしれない。足指のねじれは解消していないけれど、長距離歩いた時、走ったときの疲れが全く違う。

そんな私のスニーカーを子どもが気に入ってしまい、とても欲しがったので、譲ることにした。次の私のスニーカーも、大きめ男性用。

こういうことは、もっと早くに思いつけばよかった。サイズという数字にとらわれ過ぎて、足の声を聞けていなかったんだと思う。いくら靴メーカーや専門家がサイズを示しても、気にすることなく自分の足が喜ぶ靴を選ぼう。私の靴は足先に割とゆとりがある。つまり、専門家の言うところのジャストサイズではないし、その上男性用だ。それでも、その方が負担が少ないと実感している。メーカーが言う足先にちょっぴりゆとりがある靴は、目安にはなっても、私のサイズではない。他人に自分のサイズを決めてもらう必要はないと気付く。

 

私は靴のことだけを言っているのではない。服のサイズだって、似合う色だってそう。もっと言うと、行動も思考も他人からのお着せだというのに、それに気づかず自分を合わせていることはあるまいか。テレビなんてその最たるものではないか。

ある事件や事柄について、どう思うべきか、何を楽しい・面白いと思うべきかという誘導に溢れていると感じていた。余計なお世話だと、テレビを見ながらいつも怒っていた。そんなテレビに向かって起こる私を、子どもたちは嫌がった。テレビをやめて清々した。ふーっ。

自分の気持ちや価値観が、外からの雑音のせいでゆがんでしまったり、それと気付かずに自分の本心だと勘違いしたり…ということは、気を付けていても起こってしまう。いつも、自分の心と体の声に耳を澄まそう。自分の意志じゃないと気付いて嫌々従うのならまだマシで、気付かず外の声を自分のものとして取り込んでしまうと、本当に自分が思っていること、したいことが分からなくなってしまいそう。