たけのこ新聞の事件簿

離婚をきっかけに、今まで心に溜めていたことを書いています。離婚、エコ、世間の常識(のようなもの)についての疑問などなど。

ちょっと思いついた⑧ 私って誰?

2023年08月28日 | 思いついたこと

人生、何が起こるか分からないからこそ楽しいと言いたい!…のだが、今ではなく将来について考えすぎてしまい、心積もりをしたり心配する話の続き。

今はまだ実感がないのだが、何が一番心配かというと、お金より惚けてしまうことだろうか。

惚けるで思い出したが、先日読んだ本に『認知症で記憶を失っても、その人はその人なんだろうか』という問いがあった。他人から見たら、認知症を患っていようがいまいが、その人がその人本人なのかもしれない。誰か(例えば友人)と認知症の人との間で以前から継続してきた関係性が、認知症発症後もまだ友人の心の中では続いているから。

でも、認知症の人本人の視点でもなお、「記憶を失っても痴呆を患う前の私と同じ私」と、そう言えるのだろうか?事故で記憶を失っても、「以前から今まで継続して存在する私」と言えるのか?そもそも私って何?

 

私というのが体を指すなら、髪や爪を切ったら…さらに、手足を切断するような事故に見舞われたら、それは私なのか。最近では臓器移植なんてこともしているが、術後の体は、完全に私なのだろうか。おそらく臓器移植をする人たちは、脳こそが『私』というのかもしれない。脳さえ機能していたら、体を切り貼りしていようが、損傷していようが『私』だと。そういう人の言う脳とは、記憶や性格のことを指しているのだろう。脳という物質そのものを『私』とは言っていない。脳を培養液に浸けて、細胞が死なないように保存できたとして、それを『私』とは名付けないだろう。

ある人が経験してきた歴史とそこで得た技術、そして対人関係をはじめとする外界に対する反応様式。これらをひとまとめにして『私』と認識しているのだと思う。

では、事故や痴呆で記憶を失ったら、私は私なのか(…と話が戻る)?認知症で性格が荒々しくなったように見えたら、それは私ではなくなるのか?あぁ、話がややこしくなってきた。一体『私』とは何を指しているのだろう。惚けてしまうとは、何を失うことなんだろう。