おそらく誰もが、自尊心を持っていると思う。自分とは価値ある存在であると思いたいし、さらに言うと、自分とは価値ある存在であると思われたい。最近ではこれが逆転して、(自分を価値あるものにするために、努力をするのではなく)価値があると思わせることで自分を価値づける人が多いと思う。
イイねやフォロアー数を気にするのも、自尊心が他者からの評価に左右されている表れだろう。かくいう私も、このブログを書き始めてからPVなる数字がちょっぴり気になる。気にしたくないのに、やっぱり気になる。
他者からの評価を気にせず『自分は自分』でいられる程に突き抜けた気持ちでいるのは、なかなか難しい。一歩間違えると、単なる自分勝手オバサンになってしまう。自分の中に筋目の通った善悪の基準や正直さ、生き方を持っていないと、ただの恥ずかしい人で終わってしまう。
自由奔放を微笑ましく思うのは、その人が卑しさや、計算ずくの生き方とは縁遠いからであって、私のように損得や評価を考えてしまう人間は、他者からの目を勘案して生きる方が楽なのである。
ところで、ある大きな事件が私の身に降りかかったとき、私は損得を基準に生きることのバカらしさに気付いた。もう、後期オバサン世代にさしかかって、ようやくのことだ。私の人生の目的は『いかにオトクに生きる』ことなのか?そんな生き方は嫌だと、その時強烈に思った。そうではなく、たとえ益にならなくても自分のやりたいことをするため、そして自分の理想像(未だ構築中)に近づく修行(?)のために人生を使おうと考えた。そう、人生死ぬまで生きて、死ぬまで修行…だよね~。
こんなにエラそうなことを言っているけれど、すぐにオトクに飛びつきたくなるのは、今でも変わらないな、私。ふと我に返って、もう一度その行為を考える。得をするための行為なのか、自分の良き人生のための行為なのか…よく考えて行動しないと、すぐ道を誤る。あんまりオトクに毒されて、自分の声が聞こえなくならないよう、気を付けようと思う。