たけのこ新聞の事件簿

離婚をきっかけに、今まで心に溜めていたことを書いています。離婚、エコ、世間の常識(のようなもの)についての疑問などなど。

ちょっと思いついた⑤ 価値とオトク

2023年08月07日 | 思いついたこと

おそらく誰もが、自尊心を持っていると思う。自分とは価値ある存在であると思いたいし、さらに言うと、自分とは価値ある存在であると思われたい。最近ではこれが逆転して、(自分を価値あるものにするために、努力をするのではなく)価値があると思わせることで自分を価値づける人が多いと思う。

イイねやフォロアー数を気にするのも、自尊心が他者からの評価に左右されている表れだろう。かくいう私も、このブログを書き始めてからPVなる数字がちょっぴり気になる。気にしたくないのに、やっぱり気になる。

 

他者からの評価を気にせず『自分は自分』でいられる程に突き抜けた気持ちでいるのは、なかなか難しい。一歩間違えると、単なる自分勝手オバサンになってしまう。自分の中に筋目の通った善悪の基準や正直さ、生き方を持っていないと、ただの恥ずかしい人で終わってしまう。

自由奔放を微笑ましく思うのは、その人が卑しさや、計算ずくの生き方とは縁遠いからであって、私のように損得や評価を考えてしまう人間は、他者からの目を勘案して生きる方が楽なのである。

 

ところで、ある大きな事件が私の身に降りかかったとき、私は損得を基準に生きることのバカらしさに気付いた。もう、後期オバサン世代にさしかかって、ようやくのことだ。私の人生の目的は『いかにオトクに生きる』ことなのか?そんな生き方は嫌だと、その時強烈に思った。そうではなく、たとえ益にならなくても自分のやりたいことをするため、そして自分の理想像(未だ構築中)に近づく修行(?)のために人生を使おうと考えた。そう、人生死ぬまで生きて、死ぬまで修行…だよね~。

こんなにエラそうなことを言っているけれど、すぐにオトクに飛びつきたくなるのは、今でも変わらないな、私。ふと我に返って、もう一度その行為を考える。得をするための行為なのか、自分の良き人生のための行為なのか…よく考えて行動しないと、すぐ道を誤る。あんまりオトクに毒されて、自分の声が聞こえなくならないよう、気を付けようと思う。


ちょっと思いついた④ 体力をつける?

2023年08月04日 | 思いついたこと

毎日うだるような夏。子どもの頃は、暑くても外で遊んだりプールへ行ったりと、毎日出掛けていた。それができる程度の暑さだった。それが今や、連日の熱中症警戒アラートで、出ていくのも危険な様相。せっかくの夏休みなのに、暑さの危険にも警戒しなくてはならないなんて…。こんなに暑いと、何かに熱中することもできない。子ども達は遊びの機会を奪われている気がする。まあ、遊びの種類も変わってきたから、困らないのかな?

 

本当に暑すぎて、動く気になれなず、仕事と最低限の家事をするほかは、ゴロリと横になってダラダラ読書(暑いと言い訳しているが、基本怠けものなので年中こんな調子)。これじゃあ体力は落ちる一方だ。ちょっと動いただけで息が上がってしまう。こうなってくると、何をしても疲れるばかりで、気力がわいてこない。何もしたくなくなるし、周囲のことに好奇心が起きない。もうちょっと体力をつけたほうが楽しく生きられるのではと思う。体力をつけるのに、何か楽しくて、継続したくなるような方法はないか?

何故こんなことを突然書いたのか。先日の帰省の折、子どもと美術館に行った。どうやこうや全ての展示物は見たけれど、私は疲れ果ててしまったのだ。最初は面白く見ていたのに、疲れてくると展示物への関心が溶けてしまい、それが足からどんどん流れ出てしまうような感覚(早い話、足が棒になったということ)で、正直展示物なんてどうでもよくなってくる。せっかくの機会だったのに、ああ勿体ない。また来ようと約束したけれど、次はいつになるやら。

ちょうど同時期、曽野綾子さんの本で、『齢をとっても人に何でもやってもらうことを当たり前とせずに、自立した生活をしよう。今のうちから体を保たせることを仕事にするべきだ…例えば深酒をやめ運動を怠らず、云々』という意味の文章を見つけた。

減酒や運動が必ずしも自立できる体を保証してくれるわけではないし、老年を健やかに生きるために今の生活を縛るという考え方も好きではない。それでも最終、自立した生活ができる老人になりたいと思う。それに、やってもらうことではなく、こちらが何かを提供できる人間でい続けたい(と、もうちょっと強い口調で曽野さんは書いている)というのは、まさにそうだと思う。

やはり私に必要なのは、体力だな。このままだと、ボケて(すでにボケてる!)周囲に興味をもてなくなるほど疲れた婆さんになってしまいそう。涼しくなったらまず散歩を、と目論んでいる→これは、明日からダイエットみたいなものか?


生活を創る~無駄を省いて、無駄を満喫する⑳

2023年08月03日 | 日記

これまで大真面目に省エネや、ゴミを減らしたいという話を書いてきた。そういった暮らしが私の理想だと。今も、これからもそうしたいし、できればそんな始末の良い生活が、世に広がるといいなって思っている。

 

さて、昨日まで実家へ帰省していた。年老いた両親は、若い頃からの心配症がさらにグレードアップ(?)している。ちょっとのこと(と私は感じてしまうのだが)で眠れなくなったり、涙を流したりするようになった。ここ2~3年はそれが顕著になった。

一般的な老人(つまり他人)が、弱々しくしている様子は、街中でも見ることがあるから、老人の脆弱性は知っているつもりだった。でも違うのだ。その場面だけ切り取ったよその老人ではなくて、それまでの歴史を知っている自分の親の変わりようが、老いることの負の側面を如実に示してしまうのだ。

自宅の2階に上がるのがしんどくなる。掃除が出来なくなっている。料理が危うい。とは言え、今のところは、まだ自立した生活を送っている。

 

でもね、この状態で省エネなんて言うのは難しい。電気が多少つけっ放しでも、同じものを2つ買ってしまっても、生活出来ていれば良しと思えてくる。エネルギーを無駄に使うことを贅沢だと思っていたのだが、何とか自立した生活を送っている親に、省エネを求めることは、私の奢りなのかな。最近はエアコンをかけてドアを開け放していても、冷蔵庫の中を把握しきれずに食品廃棄が増えても、何も言えなくなった。そして私も将来、こうして年老いていくのだろうか。

 

省エネって、若いからこそできる生活スタイル、ファッションの1つなんだろうか?と考え込んでしまった。それでも今は始末良く生活することにこだわりたい。それが気持ち良いから。齢をとり忘れっぽくなっても自立できるような、シンプルな生活、別の言い方をすれば、単純・単調な生活様式を、考えても良いのかもしれない。