先日の休みに博物館へ行った。
太宰府市の九州国立博物館。
今年の元旦から開催されている、特別展、
“古代日本と百済の交流~太宰府・飛鳥そして公州・扶餘(ふよ)~”展だ。
朝鮮半島に3世紀~7世紀にかけて存在した国、百済(くだら)。
北の大国、高句麗(こうくり),東の新興勢力、新羅(しらぎ)と共に、
朝鮮三国時代、朝鮮半島で三つ巴の熾烈な勢力戦を繰り広げた。
この辺は世界史ではなく、日本の歴史と並行して中学で学んだと思うので記憶している人も多いと思う。
日本の歴史に、とりわけ文化面で深く関わりがあったため、日本の歴史のなかで学ぶのだろう。
その百済も最終的に新羅によって攻め滅ばされる。
かつて敵国だった高句麗と同盟を結び、
果ては海を渡って交流のあった、倭国(日本)とも同盟を結ぶ。
対する新羅は大国・唐と同盟を結び、陸と海から百済を包囲して進撃して都を占拠。
ついに百済は滅亡してしまう。
百済から倭国へ亡命してきた王族が、倭国に百済再興への援助を求める。
倭国はこれに応じて派兵し、百済の残党と共に戦うも完膚なきまでにやられてしまう。
百済の役・白村江の戦い(はくそんこうのたたかい)だ。
けっきょく、百済の再興は成らずに終わったものの、
勢いをつけた新羅が、倭国にも攻め寄せて来ると警戒し、
今の福岡県太宰府市を中心に、対新羅の防衛拠点の建設が始まる。
水城(みずき),大野城(おおのじょう),基肄城(きいじょう)だ。
大野城は現在も大野城市として、地名として残っている。
巨大な石垣の跡も残っている。
その技術は、百済の民から伝授されたものであり、
当時日本国内でも最先端の技術を駆使して作られたという。
その三城建築から、今年は1350年目を迎えるという。
その1350年記念ということで、今回この特別展が企画されたようだが、
1350って、節目っていうには、なんとなく中途半端な気がしないでもない。
まあそんなことは置いといて、百済からもたらされた銅鏡や銅鐸(どうたく)、
同時に日本に伝わった、仏教に関する品々、
仏像はもちろん、舎利(しゃり)容器や仏絵の銅板など、
日本の国宝や重要文化財から、韓国所有の宝物まで、
はるか古(いにしえ)の貴重な品々が一挙に展示されるという歴史オタクにはたまらない展覧会だ。
そして今回の展示物のなかで、なによりも目玉なのが、
奈良県の石上(いそのかみ)神社所有の国宝・七支刀(しちしとう)だ。
同盟の証として百済から倭国へと献上された、刀身が七つに枝分かれした剣。
そもそも自分は古代日本史に明るいわけでもなく、
朝鮮三国時代に格別な興味を抱いているわけでもなく、
仏教の伝来に興味があるわけでもなく、
にも関わらず、この展覧会へ行くと決めたのは、
この七支刀を真近で見たかったから!
そんなわけで、二年ぶりに行ってきました、太宰府、九州国立博物館!
九博に来るのは、ゴッホ展以来、4年ぶり。
太宰府に来たのは、梅ソフトにウメミンツ乗っけて食べるために来たとき以来、二年ぶりだ。
ようやっと判った九州国立博物館の正面。
これ亀を模した形だろうか?
お約束の側面。
ソーラーシステムミラー。
チケット売場で特別展のチケットを購入。
さっそく展覧会場へと進む。
エスカレーターで三階へ―。
展覧会の巨大な看板には、七支刀が載っている。
やはりこれが今展覧会の目玉展示物。
門外不出の国宝が、九州発上陸ということで注目度も高い。
しかも展覧期間が1月15日~2月15日の一ヶ月のみ。
それ以外は、複製品が展示されるとのこと。
どうやっても本物を見たい。
こんなの見られる機会なんて二度とないかもしれない。
入り口でチケットを手渡し、いざ薄暗い会場へ―。
最初に出てきたのは、七支刀のレプリカ。
レプリカといえど、石上神社が所有する貴重な品であることは間違いない。
思ったより小ぶりな、その不思議な形をした剣にしばし見入ってしまう。
刀身には文字が刻まれており、表と裏でその文章が異なる。
解読し現代語訳して展示台にそれが解説されていた。
その奥にガラス張りの大きな木枠で囲まれ、
さらにその内側も、複雑な形状そのままをくるむように緩衝材のようなもので囲まれて、
完全防備の状態で展示されている、本物の七支刀があった。
裏と表両方からのぞきこむことができ、それぞれ刻印も見られるように展示されていた。
刀身は錆で朽ち果てていて、一部刻印は判別できなくなっている。
刃先もボロボロで、1600年以上の長い歴史を感じられる。
しばし、この伝説の剣に見入ってしまった。
七支刀・・・中学のときから憧れの剣だった。
もちろん古代朝鮮から渡ってきた、日本書紀にも記されているという、
由緒あるものだと知ったのはずっと後になってから。
自分が最初にこの七支刀を知ったのは、当時ハマっていたゲーム、
スクウェアから発売されたゲームボーイ専用ソフト、“SaGa2 秘宝伝説”だった。
今も大切に取ってある、SaGa2秘宝伝説のゲームボーイカートリッジと攻略本。
このゲームに最強の武器として、七支刀が登場するのだが、
これがまた最強の敵がごくまれに落とすという、超貴重なアイテムだった。
自分はなんべんもプレイしていて、けっきょく一度も七支刀をゲットすることができなかった。
というよりも、その最強の敵をまともに倒すことができなかった。
ラストダンジョンでごくまれに登場するのだが、
他のザコ敵も異様に強く、エンカウントしたら逃げることができない仕様。
対象の最強の敵は遭遇率がかなり低く、万全でない状態で遭遇すると全滅は免れない。
その最強の敵が、“はにわ”。
埴輪が七支刀・・・よくよく考えると、時代考証的に的を得ている気がする。
この一見シンプルなビジュアルのはにわ。
これが出会ったら絶望を味わうくらいの衝撃だった。
最強の魔法フレアと地震攻撃を連発してきて、
しちしとうは999のカンストダメージで、食らうと一撃死だった。
毒マヒ眠り、すべての状態異常が効かず、再生でHP回復までしてくる。
当時の技術で、この複雑な形状をした鉄製の剣を作りだすことは、とても困難だったに違いない。
そしてそれを複数作り、同盟の証として贈ってくれた。
太古のロマンを感じずにはいられない。
七支刀を見た後、膨大な展示物を見て回る。
遺跡から発掘された、武器や防具の一部、
城門の一部や瓦、銅鏡や銅鐸なども。
そういやポケモンに、ドーミラーとかドータクンとか居たなあと、
本物を見ながら思い出していた。
展覧会の内容だけに、韓国からもたくさん観客が来ていた。
言葉を聞かずとも、そのなりや雰囲気で韓国の人だと判る。
学生の団体なども居て、学校の授業の一環として訪れているようだった。
韓国の国宝に当たる、韓国宝物もいくつか展示されていた。
武寧王(ぶねいおう)の墓誌石などがその代表だったろうか。
保存状態がとてもよく、刻印もきれいに読みとれた。
特別展では同時に、日本発掘と題して、
近年、日本全国の遺跡から発掘された様々なものが展示されていた。
巨大な埴輪から土偶、黒曜石の石器,
勾玉や銅剣に、武器防具から農耕器具まで様々だ。
埴輪ってけっこうデカイんだな~と、馬と人のやつを見て、
子どもの頃観ていた教育番組、“おーい!はに丸”を思い出していた。
土偶見ながら、ヴァンパイアハンターで一時期使ったフォボスを思い出したり、
ネンドールとかいうポケモンが居たなあとか思い出していた。
今回も困った客が何人か見られた。
スマフォをいじる女性。
入り口で電源切るのが当たり前やろうが!
展示物には大して興味示さず、同伴の女性の後ろを着いて歩きながら、
ずっとスマフォをいじっていた。
薄暗い展示室で、その明りがぼんやりと女性の顔を照らす。
すぐに学芸員が注意していた。
そそくさと鞄にスマフォをしまう女性。
グッジョブ学芸員!
ゴッホ展のとき、こういう輩を野放しだったのはナゼだったんだろう?
そしてもうひとりが、ブツクサ文句を言っていたジジイ。
これは特別展ではなく、常設展の会場で出会ったひと。
邪馬台国の存在した場所が、九州であったとする説と、奈良であったとする説とで、
学者で意見が割れているという、双方の意見や根拠が詳細に書かれたパネルを見ながら、
けっこうな声で、それに対して文句を言っていた。
「そんなん関係なかろうが!****」
「なんを言いよるんか!***」
すぐ横に居たが、ちゃんと聴き取れず、
このジジイが何に対して憤っているのか。何を抗議したいのかよく判らなかった。
このジジイとは、日本書紀のとこでまた再会。
漢文調で書かれたそれを、一所懸命読んでいた。
口に出して、これまたけっこうな声量で音読。
このひと、相当詳しいひとなのかもしれない。
だもんで、さっきのパネルにもケチ付けていたのやも。
どうでもいいけど、うるせーよ。
記念に購入した、七支刀のクリアファイルと一筆箋。
クリアファイルは二枚組で、それぞれ裏と表がきちんとプリントされている拘りよう。
石上神社で販売されているグッズのようだ。
売店で購入した、はにわのマグネットと、置物。
置物はちゃんと素焼きで出来ていて質感もばっちりだ!
特別展と常設展、なんだかんだで2時間以上、古代ロマンを満喫。
売店で七支刀のクリアファイルと一筆箋、埴輪のマグネットと置物を購入。
博物館を出ると、もう陽が傾いていた。
いかん! 太宰府天満宮に降りて、参道も散策したかった!
博物館を出て、長いエスカレーターを降りて、太宰府天満宮を散策。
梅がちらほら咲きだしていた。
もうちょいしたら見頃だな。
梅は少し咲き始めだった。
太宰府天満宮。
時間的に人はもうまばらになっていた。
本殿では何か神事が取り行われている真っ最中だった。
スーツ姿の男性がたくさん座っていて、
ひとりひとり神主に頭上で鈴みたいなの鳴らされていた。
何やってたんだろう・・・?
飛梅はまだまだつぼみだった。
二年ぶりの太宰府天満宮。
もう午後4時過ぎ、人もだいぶ減っていた。
それでも絶え間なく、人がやって来ては参拝したり、おみくじ引いたりしていた。
賽銭箱に100円投入したら、それが最後の一枚で、おみくじが買えなくなってしまった・・・。
おみくじ販売機の脇に両替機置いてつかあさい。
太宰府天満宮の境内にある如水の井戸と社。
ここ太宰府天満宮は、黒田如水が晩年に隠棲を送った場所でもある。
この井戸近くに如水の仮住まいが在り、現在は太宰府天満宮の宝物殿となっている。
大河はもう終わってしまったが、まだきちんと管理されていた。
参道に繰り出したが、なんとこの時間、店はどんどん閉められていた。
閉店時間早ぇーよ!!
梅ヶ枝餅も、長蛇の列の店以外は、もう片付けられて閉まってやがる。
あの毎回購入していた、おバアちゃんと孫の店も、早々にシャッターが降りていた。
並んでまで買いたくはないな・・・今回は梅ヶ枝餅は断念。
参道散策もそこそこに、博物館の駐車場に戻って帰路に着く。
そういや今回は濱田岳似の、托鉢やってる僧侶に遭遇しなかったな。
梅ヶ枝餅は残念だったが、百済展はよかった。
子どもの頃から憧れだった、伝説の七支刀の本物が見れて大満足。
たまにはこういうのもいいやね。
太宰府に行ったら、ここもチェックしなくてはならない。
お約束のだざいふ遊園地。
この日はあいにく休園日だったが、じゃじゃ丸はきちんと出迎えてくれた。
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