はぐれ雲

毎日世界のどこかや身の回りで起きることを自分のことばで書いていきます。かなり過激な場合もありますがいつも本音です。

面白い話だなあ。

2020-08-26 09:53:56 | 日記
ある土曜日の昼下がり、バッタとカタツムリとムカデが、バッタの家でビールを楽しく飲んでいました。

ところが盛り上がっているさなかビールを切らしてしまい、誰かにビールを買いに行ってもらうことにしたのです。
カタツムリは言いました。
「僕が買いに行ってもいいんだけど、僕は遅いからなぁ。バッタ君、君ならこの近くのことは一番よく知ってるだろう?」

バッタは言いました。
「僕が行っても構わないよ。ただし、僕は跳んじゃうのでビールがシェイクされて、開けるころにはそこらじゅうにスプレーされちゃう。」

そこで遅くもなく、跳びもしないムカデがビールを買いに行くことになりました。バッタはムカデに、近所の酒屋へ行き方を説明します。

そしてムカデが出発してから1時間ほど経ちましたが、ちっとも帰ってくる様子がありません。
仕方ないのでカタツムリとバッタは、店までムカデを探しに行くことにしました。

すると・・・ムカデはすぐ見つかりました。
彼は家の玄関に座って、まだ靴を履いていたのです。



・・・・・落語ではむかでさんがワラジを履いている話がありましたね。

ローテンベルグの空気はスミレ色

2020-08-25 08:40:26 | 日記

わたしはさびしいとき~
悲しいとき~
ドイツの街。ローテンベルグの春を思い出します。

3年前、暮れそうで暮れないたそがれ時にその街へ着いた。
うん。夜来香のような良い匂い。
あたりはレモンイエローの壁の家がいくつも立ち並び
広場があり、野菜や果物を売ってる小さな屋台があった。

広場でひげのおじいさんがフルートを吹いていた。
影ぼうしがまだうっすらとある。

夕風がそより。ドイツの初夏。。
「ああ、わたしはこの町に生まれるはずだった。」
そのとき体の中で魂がそうつぶやいた。

人も大勢いたし友人5人いたがことばを交わしながらもわたしはひとりだった。
ふいと全然別な思いにとらわれていたから。
あー、手配旅行でひとりぼちで来るんだった。す、すみません。
ひとりが楽しい。ひとりで寂しくないってみんなあると思うんだ。

ホテルアイゼンフートはおっかなかった。
古い古い建物。真夜中に忠世の騎士の幽霊がガシャン、ガシャンと出てきそう。
でもそれは、ロビーで受けた馬の騎士像や鉄仮面から受ける印象だけの杞憂に過ぎなかった。

チェックインして部屋に入ると、ベッドは清潔でピローケースに家庭的な刺繍がされており
暖かく、おもてなしをしてくれるかんじ。手造り風のパッチワークのベッドカバーも淡いオレンジで
イケている。アンティークな部屋だけど洒落たロココ風のソファとテーブルが続き部屋にあった。

ちょいとちい散歩してくるわ。とユーロを3000円ほど。持って出ていった。
春なのに~一年中クリスマスグッズが売っているお店。
ホワイトのツリー。モーツァルトのちょこれいと。スノウマン。赤い手袋。ベル。星。

うしろからトントンと。叩く奴がいる。ああムカつく。
「もうすぐ夕飯だ」と。

間に合わせます。
さっき目をつけた可愛いお店でシュネーバル(雪玉)を買って歩きながら食べた。
サクサクとしてまずくはない。そうそううまいものは名物にはないと思う。
ザッハトルテはちょっと苦手。チョコが濃ゆい気がした。
ああ、口が3つ欲しい。

オープンカフェというか通りに面してワインやビールを出してる店が。
ドイツのビールは生ぬるいかと思ったがジョッキに水滴が。
5人があっちから手招きして、びいるをまず飲もうじゃないか。とグイっと乾杯のしぐさ。
へへ・・・えへへ・・・と言いながら合流。

のどかーいた。ルービ飲もうやと連呼。あー~ドイツのビールはうみゃい!
ぼろぞうきんが水分をどんどん吸い込んでいく感じ。
ややあって・・・ジャーマンポテト<肉じゃがみたいなもんが出てきた。うまい!

ゲルマン民族って、とってもきれいなんだね。うらやましかね。
ローリングストーンズの As Tears Go By が頭の中でリフレイン。

美しい街。お伽の街。日本にはこんなメルヘンな街はないもんよな。
ここが10としたら京都は4.いや2くらいかな。


もう、死んだら人間に生まれたくないし、木や草花も動けないカラいやだ。鳥も動物もカンニン。
昆虫はもっといやだけど・・・・とにかく今世でもう「無」に帰したい。永遠に。
だけど、でもローテンブルグにはもう一度行きたいと願っている。
いえ、実現させる。

ドイツ難民の方々もきっと
生きてて良かったと思うよ。
この町を見たらね!


ブログやってたんだけど、自分のためにブログを書いてるんだか、ブログのために自分がいるんだかわからなくなって3年前にやめてしまいました。ぼちぼちと・・・・・。



ガリ版って覚えている?

2020-08-24 08:30:53 | 日記
竹やぶの上は 夕焼け雲が
もえあがる 野も山も
あしたも 天気になあれ

風車 回そ 夕焼け雲だ
仲良しと 帰る道
あしたも 天気になあれ


6年3組の放課後は学級新聞を作った。
編集長は須田君といってくりくりした目玉のボウズ頭で
手編みの茶色いチョッキに紺とオレンジのチェックでネルの
シャツを着ていた。

「まず、ええと。先週決めたとおり転校生紹介がいっとう上だな。」
「鎌倉時代の武士が食べていたものを調べるか」
「あと。クイズをこのへんにもってきて。いちにい。。。200字だな」
「キタザワクンは四コマ漫画を描いてくれ」
時には捨て猫や捨て犬の紹介あり。

ガリガリと鉄筆で青いろう紙に原稿を切って行く。
これは角ばった字で読みやすい書体の、小池君の仕事だ。
えと。この原稿を切る作業はボールペン?だったような気がする。だったようなちがうかな?

読書感想文。これはチボー家の人々とか銀河鉄道の夜。少年探偵団。
宝島。アンクルトムの小屋。オリバーツイスト、三銃士、岩窟王とか
15少年漂流記だとか男の子向けが多かったけ。

わたしが四コマ漫画をガリりガリりと書いておしまい。
わら半紙に60数枚印刷したらとっぷりと日が暮れて。

校庭の青く伸びた影
電信柱の電球。
誘蛾灯。

こんなん、知ってる人~♪

差別用語について

2020-08-23 00:15:40 | 日記
アル中→アルコール依存症
ヨイヨイ→中風。半身不随
足切り→二段階選抜、門前払い
首切り→解雇
百姓→農民
→場
スケコマシ→プレーボーイ
未亡人→故○○氏夫人

・・・ま、いろいろあるね。 しかひこの手のことば遊びは野暮の骨頂。
いくら、ことばをいじっても、使う側のこころの問題。

未亡人と言っても「ええっ!だんな死んだのにあーた、まだまだ生きてんの?」
などと思う人間はいないはず。

差別用語などを撤廃したからと言って差別する人がなくなるわけではなく、
差別用語を使えなくすることはむしろ差別する人間を見分けづらくさせ、
差別をより隠然と存続させることになってしまうからねえ。

面と向って「あれれ?だいぶ禿げあがったんじゃないの課長?」
などと言われれば言われた側はメタメタ傷付くだろう。
では傷付くからと言って、「男性ホルモンが活発ですね!」
「ステキなお顔だちがよりくっきりとわかりますね」
「手入れが簡単そうでいいっすね。」と言えばいいのか?
いんや。ちびだろうとはげだろうとデブだろうとおかまいなく
その人間の存在をそのまま認めること。それが肝心なんだと思う。

ハゲという単語は確実に当人は傷付く。では「ハゲ」という用語を撤廃すれば
ハゲはこの世からはいなくなるかと言うと無論そんなわけはない。
望むらくは「ハゲ」という語が「死語」となるように
人類は英知をかたむけて治療法を開発研究すべきだ。とわたしは思う。

もちろん「治る!?」とはなんだ。これは個性であって病気では無い!
「治す」とは失礼千番ではないか!と怒る御仁は別です。

もっと言えばコロナに罹患した方への差別は断じて反対です。

釣り針のネックレス

2020-08-22 07:20:00 | 日記
横田基地内の病院で口腔外科のバイトをしていた。ずいぶん前のことだけど。
医学用語の勉強を必死でした。
患者さんのユッピー(愛称)に告られた。
デートはニコラスやトラットリアによく行った。
ユッピーは黒人(という言い方は失礼なのか)基地でいっとうハンサムで真面目、
何度目かのデートで誕生日にプレゼントをしてくださると。
お店はSun Godがいいとわたしは言った

それは釣りバリのネックレスやった。
銀ででけていた。
キラキラ光ってた。
なんやらインデイアンの戦士のシルエットと
ミシシッピ―リバーのざわつく波が見えた気がした。
すこうし遠いごこちしてまぶしかった。

横田基地のすぐそば。
夕暮れ。西陽を受けた小さな店。「Sun God」
インディアンジェリーしか売ってなかった。

ふと。後ろをふりむくとインディアンの精霊がいるような気がした。
(I will demonstrate my holy power )とか言うた。 わたしは
(I just don't care, it's the life I choose )と心でつぶやいた。

うれしかった。
生まれて初めてわたしのためのお守りを手に入れた。

福生。ここは「限りなく透明に近いブルー」の舞台やった。

遠くで花火が鳴っていた。