「うちの仏さんもちっちゃいけどココロがこもってる、ほんまやったら国宝もんやけどなー!」
昔カメラのCMでこんなフレーズがあった。和尚さんのこんなつぶやきがとっても印象的。
こんな、文化財はい~っぱいあるんだろうと思う。
光明寺の善導大師自画像もそんなもののひとつ。
しかし、私は限りなく国宝に近いものと思ってるよ。
最近デジタル化された、法然上人絵伝に、この善導大師自画像ではないかと思われる
ものが登場するシーンがあるので紹介するね。
●法然上人絵伝と善導画像 |
日本では、浄土宗の開祖法然との関わり抜きには善導を語ることができません。 法然の一生が描かれた『法然上人絵伝』(1307から10年の歳月を経て制作、知恩院蔵)には善導大師の画像が出てきます。印象的な場面をご紹介します。 |
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■五祖師画像 |
日本伝来仁安3年(1168)頃 |
法然が、俊乗坊重源に宋から取り寄せさせたといわれる五祖師画像。 その画像に合掌する法然。 この画像が日本で最初に伝来したといわれている善導の画像です。 絵伝では、画像の部分が剥落しているのか、画像の構図などはわかりにくいですが、絵伝には、この画像は二尊院にあるものだとあります。 5人の僧が描かれており、善導は最前の左側に座っています。
この画像を元にしたと思われる画像もたくさんありますが、模写されるごとに、表情が日本的になるなどの変化が見られます。 このような、オリジナと模写との関係は、オリジナルを探るヒントになると考えています。 |
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■二祖対面 |
建久9年5月1日(1198) |
法然の夢に善導が現れます。法然と善導の関係を示す象徴的な場面。
善導大師の下半身は、金色で、「半金色」と呼ばれる姿です。浄土系のお寺や、檀家の仏壇に掲げられる善導の代表的な姿です。ただし、善導は左を向いていることが多いようです。これは法然の図を向かって左に、善導の図を右に掲げるので、構図上バランスをとるためでしょう。
法然は、夢のあとすぐに絵師にその姿を描かせました、絵伝によるとその姿は後に唐朝(時代は宋か?)から入ってきた画像とそっくりだったといい、その画は世間に流布し、のちに『夢の善導』といわれたとあります。「のちに唐朝から」とあるところをみると前出の「五祖師像」ではないようです、いったい、いつ誰が持ち帰ったものなのでしょうか。また、『夢の善導』といわれた画像はどこへ行ったのでしょうか。
この善導の口からは阿弥陀仏が出ていませんが、その点を除けば、立ち姿の善導像の典型的なスタイルです。顔ひげや、歩いていることを示す右足の表現は、五峰山光明寺の善導大師自画像とも共通点があります。 |
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■善導の真影が法然の病気を治す? |
元久2年8月(1205) |
病にふける73歳の法然のそばで、祈祷する弟子の聖覚、その前には善導の真影(画像)。祈る聖覚も同じ病に冒されていましたが、祈祷すると、真影のあたりに異香がたちこめ、二人の病がたちどころに癒されます。人々は末代までの奇特と語り合いました。
絵伝によると、この真影は九条兼実が、当時の名だたる絵師であった託摩の法印証賀に描かせ、兼実の息子後京極殿良経に色紙形の銘を書かせたといいます。 善導は立ち姿ですが、頭部から上は見えません。ちなみに半金色ではありません。
滝野の善導大師自画像が徳川吉宗の娘竹姫の病気を治すのに貢献したというエピソードはこの場面と関連があるかもしれません。 |
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(参考:『続日本の絵巻1 法然上人絵伝』中央公論社) |
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