お杉口説の流布地域について、海岸沿いが多いと思っていたら、
なんと奈良県十津川村の「十津川のお踊り」のレパートリーに「お杉口説」があるようだ。
奈良県は海と接していないからねえ。
どうやって伝わったか大変興味がある。
お杉口説の流布地域について、海岸沿いが多いと思っていたら、
なんと奈良県十津川村の「十津川のお踊り」のレパートリーに「お杉口説」があるようだ。
奈良県は海と接していないからねえ。
どうやって伝わったか大変興味がある。
武庫郡越木岩盆踊音頭(「兵庫県民俗資料」兵庫県民俗資料研究会機関誌より 鷲尾三郎著)
『坊主おとし』
国は中国長門の国 所申せば赤間ケ関 関に千軒並びはないが
同じその町のえんしょう寺 寺へまいりて和尚をみそめ みそめあいそめ一寸ほれそめて
文がやりたい心が出来て 内へ帰りて一間の間で 硯ひきよせ墨すりながし
簾の巻筆奉書の紙を 思う恋路を細かに書いて 文は書けたが使いは誰や
文の使いはお寺の男 和尚様へと文さし上げて 和尚手に取り拝見いたし
これはならんと文返されて 丸太橋かよ文返されて わしもこれから延正様へ
夜の夜中に我家をたちて 裏へ廻りて墓道しのぶ 千よ椿の中ひきわけて五尺高さの塀をうちこえて
寺の雨戸を引きあけて 和尚和尚と二声三声 狐狸や迷いのものか
狐狸や迷いではない 文をおこしたお杉で御座る 今宵一夜のお宿を願う
これはならんと返答致す 道に生えたる草木さえも露が下りたら一夜をとめる。
この音頭は一昨年(著作時昭和7年)夏渋染
(酒をしぼる時に用いる木綿袋を毎年夏柿渋につける作業)
の時に人夫頭の万蔵という老人にきいたものである。
この村の踊りはずっと前に絶えて今はもう覚えている
老人も少ないだろうという話であった。
坊主おとしは最もよく流行った音頭だったそうで、
盛大な頃には丸太を組んで四尺くらいの「ゆか」を造り、
三味線太鼓の囃で踊りの輪は時計の針と同じ方向に廻っていたという。
(この音頭と同一と思われるものが
能美郡民謡集と紀州有田民族資に出ている。
「一夜をとめる」のあとにまだあることは万蔵も知ってはいたが、
どうしても忘れて出てこなかった。
昨年の渋染までに彼はもう死んで息子の代になっていた。)
彼岸花の季節になってきた。
子供のころ花を家に持ち込むと火事になると言われていたのを思い出す。
「たたり」という言葉もまだ生きていて、実感を持って語られていた言葉だと思う。
子ども心にはとてもきれいな花だと思っていたし、今でもけっこう好きな花だけれど、
植えつけられた偏見と言うのは恐ろしいもので、
いまだに写真を撮ったり、描いたりするのも多少はばかれるような気もする。
これだけ誰でも知っている花にもかかわらず、謎の多い植物だそうである。
観光地もできて、彼岸花に対する意識も相当変化しているように思う。
その美しさをもっと見直してもいいのではないか。
だっちもない(とりたててどうということもない)「そんなこまいこと、だっちもないことやないか」
たて (・・・しても)「そんなこと言イうたて、あっかいな(だめですよ)」
たんたん(くつした)(子コどもに対して)「たんたんはきよ(はきなさいよ)」
だんない(だいじょうぶ)
たんのする(退屈する、飽きる)「子どもやから、じきにたんのするねん」
小野市と加東市の境界付近、今では通る人も少ない道路の脇にたたずみ
「あごなし地蔵」と呼ばれるお地蔵さんが居る。
どんな願いでも叶えてくれるという霊験あらたかなお方だそうだ。
この特徴的な名前をキーワードに検索をかけてみると、おもしろそうな話がいっぱい見つかる。
隠岐の島との関係や、名前の由来と思われる言い伝えなど・・
どうやら「あごなし」の起源には少なくとも二つの説がありそうだ、
地蔵の作者とされるのが「おののたかむら」という人だそうで、小野市の地名との
関わりもにおわせるところが、謎解きにはたまらない。
路傍の地蔵さんから、こんなにも世界がひろがっていくのもネット社会の恩恵かな。