2007年11月20日 講談社現代新書
【見えない歴史】1965年まで、日本人はキツネに化かされていた。なぜか?
かつては私たちの周りには“ヒトを化かす”たくさんの動物がいました。たとえばキツネ、タヌキ、ムジナ、イタチ……。そのような動物たちがヒトを化かすのは不思議でもなんでもなく、“普通の出来事”として語られていました。
内山さんよると1965年頃を境にして日本の社会から「キツネにだまされたという話が発生しなくなった」そうです。なぜこのようなことが起きたのか、それはなにを意味しているのかを問いかけたのがこの本です。
「なぜ一九六五年以降、人はキツネにだまされなくなったと思うか」と多くの人に訪ねたところいくつかの意見に集約されたそうです。
1.高度成長期の人間の変化:経済が唯一の尺度となり非経済的なものに包まれて自分たちは生命を維持していると言う感覚が失われた。
2.科学の時代:科学的に説明できないものはすべて誤りという風潮になった。
3.情報、コミュニケーションの変化:メディアの発達等でかつてあった村独自の「伝統的」コミュニケーションが喪失していった。
4.教育内容の変化:必ず「正解」があるような教育を人々が求めるようになり、「正解」も「誤り」もなく成立していた「知」が弱体化した。
5.死生観の変化:自然や共同体に包まれていることで成り立っていた生と死が個人として切り離され、自然と響き合わないようになっていった。
6.自然観の変化:自然に還りたいという祈りをとうしてつかみとられていた自然観がなくなった。
7.老ギツネがいなくなった:人工林が増え、一方で自然のサイクルであった焼畑農法も行われなくなりキツネの成育環境が変化。(だますことができると考えられていた)老ギツネがいなくなった。
つまり“近代化”によって「キツネにだまされる」環境が破壊され、過去のものとしてかえりみられなくなったのです。この“近代”が押し流していったものはなんだったのでしょうか。内山さんの思索はここから始まります。
“老ギツネ”が棲んでいた山は当時の人にとってどのようなものだったのでしょうか。内山さんは興味深い慣習であった「山上がり」というものを紹介しています。群馬県の山村の養蚕農家周辺で「昭和二十年代ころまで」あった仕組みだそうです。
養蚕農家は稲作農家と異なり、生糸という商品生産で生計をたてていました。貨幣経済が浸透し相場の変動によって「自己破産」する農家も出てきました。そのような破産した農家に対して「共同体」が行う「救済の仕組み」が「山上がり」というものでした。
――「山上がり」を宣言した者は文字どおり山に上がる。つまり森に入って暮らすということである。そのとき共同体にはいくつかの取り決めがあった。そのひとつは「山上がり」を宣言した者は誰の山に入って暮らしてもよい、というものであった。つまり森の所有権を無視してよいということである。第二は森での生活に 必要な木は、誰の山から切ってもよいというもので、ここでも所有権を無視することが許される。第三は同じ集落に暮らす者や親戚の者たちは、「山上がり」を 宣言した者に対して、十分な味噌を持たせなければならないという取り決めであった。――
山は“再生の場”でした。一種の相互扶助の仕組みとして「山上がり」があったのです。もちろんこの山には“ヒトを化かす老ギツネ”が棲んでいたでしょう。
――かつての豊かな山と、何でもできる村人の能力、最低限のものは提供してくれる共同体という三つの要素があってこそ、「山上がり」は成立したのである。――
これが「キツネにだまされていた時代」にはあったものでした。そのころは「人間観も自然観も、生命観も異なっていた」のです。
――いつの時代においても、生命は一面では個体性をもっている。だから個人の誕生であり、個人の死である。だが伝統的な精神世界のなかで生きた人々にとっては、それがすべてではなかった。もうひとつ、生命とは全体の結びつきのなかで、そのひとつの役割を演じている、という生命観があった。個体としての生命と全体としての生命というふたつの生命観が重なり合って展開してきたのが、日本の伝統社会だったのではないかと思っている。――
“近代”がおとずれるまえには確かにあったこの生命観の喪失とともに“老ギツネ”は私たちの前に姿をあらわさなくなりました。豊かさと再生の場としての自然が失われていったのです。
といっても内山さんは単なる“自然賛歌”“自然に還れ”といっているわけではありません。私たちを包み込む自然が同時に“荒ぶる神”であることを忘れてはいません。また「日本の自然は一面では確かに豊かな自然であるけれど、他面ではその改造なしには安定した村も田畑も築けない厄介な自然」であることもここに記されています。そしてその自然との交流のなかで村の在り方や、宗教なども生まれてきたのです。
このような多面的な自然を失いはじめたのが1965年でした。それを象徴するのが「キツネにだまされなくなった」という“事件”です。
そしてさらに内山さんは思索を続けます。「長い間、人がキツネにだまされつづけたということは、キツネにだまされた歴史が存在してきたと考えていいだろう」と……。それは「自然や生命の歴史」であり、それに包まれた「人間史」の発見です。
ここから最後の問いが始まります、「歴史とはなにか」という問いが。ここからの内山さんの思索はぜひ読みながら一緒に考え、歩んでください。
内山さんは今までの歴史の考え方は「制度史」であり「知性による認識」のものにしか過ぎないと疑問を投げかけています。この「知性が歴史に合理性を求めた」歴史観は「発展していく歴史」というものを私たちの思考にもたらしました。
「知的合理性」では化かすキツネの存在は認められません。迷妄とみなされてしまいます。これは老ギツネのいない世界です。でもかつては化かすキツネは確かに存在していました。そう思い生きてきた人々の歴史はどう考えればいいのでしょうか。
――身体や生命の記憶として形成された歴史は、歴史を循環的に蓄積されていくものとしてとらえなければつかむことはできない。――
乱暴にいえば直線的に解される「知的合理性の歴史」とは流れが異なる「蓄積されている記憶の歴史」というものが確かにあり、その中で人々は生きてきたのです。
この身体や生命の記憶としての歴史を「見えない歴史」と名付け、「知性による歴史」に対峙させていこうというのが内山さんの思考の根本にあるものなのです。
――現代の私たちは、知性によってとらえられたものを絶対視して生きている。その結果、知性を介するととらえられなくなってしまうものを、つかむことが苦手になった。人間がキツネにだまされた物語が生まれなくなっていくという変化も、このことのなかで生じていたのである。――
豊かさとはなにかを問いかけ、知性だけでない認識に達し、そのありようをたずねた「哲学」「歴史哲学」でもあるこの本は、地に足がついた思考、独力の思考の強さ、頼もしさを感じさせる奥深い1冊だと思います。
野中幸宏(2016.10.31『講談社BOOK倶楽部』「今日のおすすめ」)
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