べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

「ひと並み」って、なんなんだろう?

2014年08月28日 | 保護者からご相談
「ひと並であってくれれば」

 保護者との面談で聞く言葉です。ちょっとひっかかっていました。塾講師としてどう応えればいいのかと。

 お子さんにひと並みの幸せがおくれるようになって欲しいのだと考えました。周りとおなじぐらい勉強をして、周りとおなじくらいの高校を出て、周りとおなじくらいの就職をして…

 これが思いのほか難しい

 体裁だけ整えることはできます。入塾テストで振り分けて、おなじプリントをさせ、おなじ授業をする。生徒たちも「周りとおなじが良い」と思ってくれているころはこれでもうまくいったのです。

 少し風向きが変わります。周りとおなじが幸せであるかわからない。クラスを細かく分けてみたり、補助教材を増やしたり、主に記憶力や処理速度を上げるための受験"技術"が進みます。とりあえず高校卒業後に進学をすれば「ひと並み」だとも思われていたころの話です。

 少子化で大学も定員割れを起こし、企業も大卒やなにかの資格を持っている"だけ"で優遇してはくれなくなってきました。受験技術で底上げをしても限界がきます。テストには出なくとも身につけておくべきチカラもあるからです。

塾長いわく「就職で有利になる裏ワザ教えときましょう」(1)|学校の勉強は仕事で役に立つんですか?


 わたしが、頭が良いとは記憶力や処理速度の差"だけ"じゃないのではと考え始めたころです。記憶力や処理速度だけでは伸びが止まってしまう。逆に記憶力や処理速度がそこそこでも高校から大きく伸びる。予想を超えてくる子たちが三割もいるのです。意外に少なくない。気合や根性(目標でもよいですが)といった精神論では説明しきれない気もするのです。

 「ひと並み」って、なんなんだろう?


 保護者も迷われているんだと思います 

 ヒトが社会生活を始めると同時に「教育」は存在します。いまだに正解は見つかっていない。教育の先生ができるのは、経験と論理から正解に近いだろうという候補を示すところまでです。仕事として教育をやっている塾講師も(おそらく学校の先生も)悩むのです。

 親として子どものための指針はほしい。家族の健康や家事や日々の仕事に明け暮れるなかで保護者も迷われているのかもしれません。その上での「ひと並であってくれれば」じゃないのだろうか。


「怒っても言うことききません」

「思春期ってむずかしいですね…」(1)

「別に…。こんな返事しか返ってこなくなりました」(1)

「うちの子、言いわけばかり多くて困ります」

「できないわけではないのに、自分から勉強しないんです」

 どこのお家でもお悩みはあります。成績が取れていたってお悩みは尽きません。教育での悩みの根源が「幸せになりたい」だからです。

 幸せには、たぶん教育にも、正解はありません。良いことも悪いことも体験して行動したことすべてが人生をつくります。幸せは自身の人生に納得できるかで決まります。結果はその一部に過ぎません。


「幸せを数えたら、あなたはすぐ幸せになれる」
 ショーペンハウエル(1788-1860・ドイツの哲学者)


 結果だけを急がない。正解を求めない。失敗も私たちの人生の大事な一部です。

 親御さんひとりでかかえこまないでください。お子さんと親御さんは主体ではありますが、教育は社会全体がチームとしてあたるほうがうまくいくのです。おかあさんおとうさん、おじいいちゃんおばあちゃん、おじさんおばさん、学校に地域社会…昔からそうだったのです。


 私たち塾講師もチームの一員として、チカラをお貸しできることを望んでいます。(塾長)

中一、学年末126位→中ニ、一学期末90位|学習塾あすく相談事例

チーム医療(いりょう)によろしく!


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