先日、子育ては闘い の記事をUPさせたところ、Michikusaさん が興味深いコメントを残してくださった。
私はこの作家、室井佑月 さんは知らなかったのだけど、共感を覚えた。
室井さんは、1970年生まれ、ミス栃木・モデル・女優・レースクイーン・銀座のクラブホステスなどを経て、今は作家をされているらしい。
以下は、Michikusaさんから頂いたコメントのコピーです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こどもと育つ「とにかく格好良くなきゃ」
室井佑月(作家)の見解です。参考になりますかどうか。
世間一般でいわれている良い母親であるということを、あたしがあきらめてどのくらいたつだろうか。たしか息子が一人でウンコをできるようになってからだから、もう半年にはなるだろう。母親らしい母親になろうと一応頑張ってみたものの、それはあたしに向いてなかった。
不器用なあたしは、母親としても、仕事を持つ社会人としても、すべてにおいて中途半端な人間になってしまった。
「これではいかん!」と思ったのが半年前。それからはオリジナルな母親像を目指し、日々精進している。
仕事時間が不規則なため、あたし以外の家族、息子、じいちゃん、ばあちゃんの健康的な生活を妨害しているという理由から、住居とは別に仕事部屋を借りさせられた。早朝や深夜の仕事が続くとき、あたしだけが家族と離れ仕事部屋で生活している。
あたしは仕事部屋から息子に会いにゆく。原稿の締め切りが立て込んでいる月末などは、顔を見にゆくといったほうが正確かもしれない。
そんな日ばかりではなく一日中家族と過ごすこともあるけれど、普通の母親にとってそれが当たり前なわけで、やはりあたしは規格外の母親ということになるんだろう。
しかし、世間常識から外れているものの、あたしは息子の母親であり、やつの前で胸を張って、
「あたしがお前の母親だ」
いつもそういえる自分でなければと考えている。けれど、その思いの行方も、ほかの母親とちょっとズレているんだろうな。
あたしにとってそういえる決め手は、今の自分が恥ずかしくない生き方をしているかどうかということ。息子のきれいな瞳に映る自分は、絶対にきれいな人間でなくてはと思っている。自分の人生をのろっているような、どんよりした人間であってはならないと。
息子のいちばん身近な大人であるあたしは、とにかく格好良くなきゃ。もちろん、逆に「母ちゃんてどうよ?」といわれる恐れもあるわけだけど。
そのときは素直に謝ればいっか。親子なんだから、謝れば済むでしょう?そう考えるあたしは甘いかな。
そういえば先週、徹夜が続き、
「もう仕事したくねー」
と泣いていたら、息子に肩をたたかれ、
「頑張れや。僕が大きくなったら、手伝ってやっからよ」
といわれた。あたしは思わず、
「格好良い!」
と息子にしがみついてしまった。あらがう息子を羽交い絞めにして、キスの嵐をお見舞いした。
あたしではなく、息子が格好良くなってきた気がする。それならそれで万々歳よ。
基本的な社会のルールや道徳は、じいちゃんとばあちゃんに習っているようだし、じつはあたし、
「弱い者イジメはするな」
それしか息子に教えていなかったりする。最も大事なことだと思うから。やつが将来、格好良い大人になるために。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、私はどう思ったか。
「頑張れや。僕が大きくなったら、手伝ってやっからよ」
って、言ってもらえる親は、もうそれだけで十分に子どもに“想い”を伝えているであろうし、その生き様を認められているんじゃないか…って。
私から見れば、もうそれだけで十分に「格好いい」と感じるわけである。
室井さんのお子さんは幾つなのかは分からないけど、(多分ウチの子よりは下?)この子どもさんもまた「格好いい (^^)b」と思う。
初めて読んだ室井さんの砕けた文章に、一番共感を覚えたのは、
逆に「母ちゃんてどうよ?」といわれる恐れもあるわけだけど。
そのときは素直に謝ればいっか。親子なんだから、謝れば済むでしょう?
そう考えるあたしは甘いかな。 って部分。
いつも私もそう思う。
恥ずかしくない大人でいたいけど、いつもそういうわけにもいかないのが現実。
そんな時には謝ればいいや ―― って。
気持ちだけは“恥ずかしくない大人でいたい”ってこと。
そのうち子どもが結果を出してくれるだろう。
とりあえず『この家に生まれて来てよかった』と言ってくれることは、今のところOKを頂いていることだ…と思っておこう。
Takuya画 2003秋
彼岸花を色んなブログで見せていただいているので、私も…。
私はこの作家、室井佑月 さんは知らなかったのだけど、共感を覚えた。
室井さんは、1970年生まれ、ミス栃木・モデル・女優・レースクイーン・銀座のクラブホステスなどを経て、今は作家をされているらしい。
以下は、Michikusaさんから頂いたコメントのコピーです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こどもと育つ「とにかく格好良くなきゃ」
室井佑月(作家)の見解です。参考になりますかどうか。
世間一般でいわれている良い母親であるということを、あたしがあきらめてどのくらいたつだろうか。たしか息子が一人でウンコをできるようになってからだから、もう半年にはなるだろう。母親らしい母親になろうと一応頑張ってみたものの、それはあたしに向いてなかった。
不器用なあたしは、母親としても、仕事を持つ社会人としても、すべてにおいて中途半端な人間になってしまった。
「これではいかん!」と思ったのが半年前。それからはオリジナルな母親像を目指し、日々精進している。
仕事時間が不規則なため、あたし以外の家族、息子、じいちゃん、ばあちゃんの健康的な生活を妨害しているという理由から、住居とは別に仕事部屋を借りさせられた。早朝や深夜の仕事が続くとき、あたしだけが家族と離れ仕事部屋で生活している。
あたしは仕事部屋から息子に会いにゆく。原稿の締め切りが立て込んでいる月末などは、顔を見にゆくといったほうが正確かもしれない。
そんな日ばかりではなく一日中家族と過ごすこともあるけれど、普通の母親にとってそれが当たり前なわけで、やはりあたしは規格外の母親ということになるんだろう。
しかし、世間常識から外れているものの、あたしは息子の母親であり、やつの前で胸を張って、
「あたしがお前の母親だ」
いつもそういえる自分でなければと考えている。けれど、その思いの行方も、ほかの母親とちょっとズレているんだろうな。
あたしにとってそういえる決め手は、今の自分が恥ずかしくない生き方をしているかどうかということ。息子のきれいな瞳に映る自分は、絶対にきれいな人間でなくてはと思っている。自分の人生をのろっているような、どんよりした人間であってはならないと。
息子のいちばん身近な大人であるあたしは、とにかく格好良くなきゃ。もちろん、逆に「母ちゃんてどうよ?」といわれる恐れもあるわけだけど。
そのときは素直に謝ればいっか。親子なんだから、謝れば済むでしょう?そう考えるあたしは甘いかな。
そういえば先週、徹夜が続き、
「もう仕事したくねー」
と泣いていたら、息子に肩をたたかれ、
「頑張れや。僕が大きくなったら、手伝ってやっからよ」
といわれた。あたしは思わず、
「格好良い!」
と息子にしがみついてしまった。あらがう息子を羽交い絞めにして、キスの嵐をお見舞いした。
あたしではなく、息子が格好良くなってきた気がする。それならそれで万々歳よ。
基本的な社会のルールや道徳は、じいちゃんとばあちゃんに習っているようだし、じつはあたし、
「弱い者イジメはするな」
それしか息子に教えていなかったりする。最も大事なことだと思うから。やつが将来、格好良い大人になるために。
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で、私はどう思ったか。
「頑張れや。僕が大きくなったら、手伝ってやっからよ」
って、言ってもらえる親は、もうそれだけで十分に子どもに“想い”を伝えているであろうし、その生き様を認められているんじゃないか…って。
私から見れば、もうそれだけで十分に「格好いい」と感じるわけである。
室井さんのお子さんは幾つなのかは分からないけど、(多分ウチの子よりは下?)この子どもさんもまた「格好いい (^^)b」と思う。
初めて読んだ室井さんの砕けた文章に、一番共感を覚えたのは、
逆に「母ちゃんてどうよ?」といわれる恐れもあるわけだけど。
そのときは素直に謝ればいっか。親子なんだから、謝れば済むでしょう?
そう考えるあたしは甘いかな。 って部分。
いつも私もそう思う。
恥ずかしくない大人でいたいけど、いつもそういうわけにもいかないのが現実。
そんな時には謝ればいいや ―― って。
気持ちだけは“恥ずかしくない大人でいたい”ってこと。
そのうち子どもが結果を出してくれるだろう。
とりあえず『この家に生まれて来てよかった』と言ってくれることは、今のところOKを頂いていることだ…と思っておこう。
Takuya画 2003秋
彼岸花を色んなブログで見せていただいているので、私も…。
これまでのいろんなエピソードを拝見していると、タックンは「頑張れや・・・」と言ってくれそうですね。
花の絵をちゃんと残しておいてくれるお母さんです。
クロのブログに早速おこしいただきありがとうございました。
おそらく、以前いらしたのは、横浜のおーちゃんのブログ経由ではないでしょうか?
(あ、おーちゃん、ご無沙汰ですみませーん。おーちゃんの彼岸花からもTBさせていただきましたね。)
それとも苔玉のるなさんかもしれません。
もしかしたら、うらべにさんかな?
けっこう繋がりあることを改めて認識させていただいた次第です。
短時間でビシビシ掲載するだけの自己中ブログなんでみなさんに不義理ばっかですが、何卒ご容赦いただいて、お閑なときにでも覗いていただけましたら幸いです。
それでは。今回は、重ね重ね、感謝。
インパクトあるし、なんか・・・優しげ(*^^*)
本当に、そんな想いが伝わるように・・・
いつまでも子どもの前では大きな背中でいたい
そう祈ります。
完璧な親を持つ子どもは、しんどいでしょうね。
ウチはどうなんでしょ?
これからの我が子の変化が、そのお返事…ということでしょうね。(^^;
彼岸花、2年前の作品です。
何でも置いておきたいんですよね、私は。
貧乏性…です。(笑)
クロアジサシさん♪
お越しくださり、ありがとうございます。
そっかぁ~、おーちゃん、うらべにさん経由だったんでしょうね。
色んなブログを拝見していると、どこか繋がってくるのが面白く感じます。
私も気まぐれ…です。
ひかりさん♪
インパクトありますか?
3年生の時に学校で描いてきたものです。
な~んか、雰囲気出ているように思うんですよ。(…親バカ?)
Michikusaさんが紹介して下さった室井さんの文章を、たくさんの方に読んで欲しくて記事にしました。
親が頑張り過ぎないように、肩の力を抜いて、それでもって自慢できるような背中を見せて歩きたいですよね。
リハビリが午前中だったので、朝お邪魔して
いま、ゆっくりとmichikusaさんのブログも見せてもらいました。
彼岸花がとてもきれいで、人生の先輩であられるんですね。
またお邪魔させていただきます。
室井さんは存じていましたが、
筋が通った子育て・生き方をしてみえる女性ですね。
ご苦労も多かったはずなのに明るい方ですね。
私も、カッコイイおばちゃん目指します。
卓也君の彼岸花もいいですね。
宝物です。
いいブログ紹介と記事をありがとうございました。
コメントのこと、お気遣いありがとうございます。
マイペースなので、ご遠慮なく。
ありがたいなって気持ちでお返事しているので、
却って元気になれます。
室井佑月さん、ワイドショーのコメンテーターでよくお見かけします。
「毒舌」とか「辛口」コメンテーターとして紹介されることもあるみたいですが、私はチャーミングで奔放な彼女のコメントが小気味良くて結構好きです。
子育てもほぼ終わりつつある今、自分の子育てを振り返って見ました。
両親が反面教師(・・・と、かつて私は思っていた)であったため、敢えて親とは逆の子育てをしてみました。
・・・結果は、果たして・・・
子供達が将来、自分自身で感じてくれたらそれでいい、と今は思っています。
また、勉強会でお会いできるといいですね♪
未歩さん♪
室井さん、ご存知でしたか?
私は全く知りませんでした。
文章に興味を持ったので、今度、図書館へ行って本を借りてこようと思っています。
Michikusaさんは、人生の大先輩です。そしてまだ現役でお仕事をされ、どうやら作家でもいらっしゃるようです。
カッコイイおばちゃん。…いい響きです。
私もカッコイイおばちゃん、目指します。(^^)v
風民さん♪
>キラキラと輝いて…
うん!それがいい!!
くすんでちゃ、自分だって楽しくないモンね。(^^)
>胸を張って…
うん!そうやって生きていきたい!
いつもありがとう、風民さん☆
赤福もちさん♪
室井さん、ワイドショーに出てらっしゃいますか?
私は日中、殆どテレビを見ないので、お名前を拝見したことがある程度でした。
んなわけで、何をされている方かも知らなかったのです。(^^;
>子供達が将来、自分自身で感じてくれたらそれでいい
同感です。
機会があれば、お目にかかりたいですね。(^^)
個性的な生き方をしてるんだな、切れ味がいいわと思いました。
今って、それぞれの生き方が尊重されていますよね。
私の頃は、「みんなと一緒に・・」という意識が強かった感じがしますよ。
今思うと、みんなって誰だ?と疑問が発生しますが・・・
*ブログ繋がり・・・面白いね。
私もここへどうやって来たのだろうと、考えてしまったよ(^^)
今日、図書館で「無言館ノオト」と一緒に、室井さんの本を借りてこようと思っていたのに、図書館、月末の図書整理日とかで、お休みでした。 ざ~んねん。
>みんなと一緒に・・
みんなって言葉もそうだけど、私は「普通って何だ?」ってよく思います。
何を基準に「普通」って言うんだ…って。
子どもがよく言うんですよね、「みんな」とか「普通」とか。
こんなこと考えてる私は、やっぱり“ヘンなおばちゃん”です。(^^ゞ
ブログ繋がり、面白いね。
うらべにさんがここに来てくださるようになったのは、きっと私がたまえさんチから、うらべにさんチへ、お邪魔したのがきっかけじゃなかったかな…と思います。
これからもよろしくお願いしますね。
人間はみな苦んでゐる
何がそんなに君達をくるしめるのか
しつかりしろ
人間の強さにあれ
人間の強さに生きろ
くるしいか
くるしめ
それがわれわれを立派にする
みろ山頂の松の古木を
その梢が烈風を切つてゐるところを
その音の痛痛しさ
その音が人間を力づける
人間の肉に喰ひいるその音のいみじさ
何が君達をくるしめるのか
自分も斯うしてくるしんでゐるのだ
くるしみを喜べ
人間の強さに立て
耻辱(はじ)を知れ
そして倒れる時がきたらば
ほほゑんでたほれろ
人間の強さをみせて倒れろ
一切をありのままにぢつと凝視(みつ)めて
大木のやうに倒れろ
これでもか
これでもかと
重いくるしみ
重いのが何であるか
息絶えるとも否と言へ
頑固であれ
それでこそ人間だ
辛いことや悲しいこと、色々あるけど、そんなことから逃げずに生きていくことが、優しさと強さを身に付けていくことに繋がるのではないかと…。
いつだったか…ヒトは決して一人では生きてはいけないけれど、やはり一人で、自分の意思で生きているのだと身に沁みて感じたことがありました。
一生懸命に生きる――ということでしょうか。
子供心が伝わってきました。
お届け物は嬉しかったのを思い出します。
ちなみにウチの子へのサンタクロースからのお届け物は、いつもお菓子と絵本です。
この2冊は大人が読んでも面白い本です。是非、タッ君への今年のクリスマスプレゼント(候補)に!
*まぼろしの忍者(小澤書店)広瀬寿子作
<平成15年度日本児童文芸家協会賞受賞>
*そしてカエルはとぶ!(国土社)広瀬寿子作
<平成15年度赤い鳥児童文学賞受賞/推薦
図書>
だまされたと思って、まずお母さんが立ち読みでもしてみてください。もし、面白ければお子さんへ。
(その後で、私が推薦した理由を教えます。)
…そして、図書館になくて忘れていました。
ごめんなさい。m(_)m
確か、Michikusaさんのお知り合いの方が著者でしたよね。
カエルの方は、図書館にあるらしいのでそちらで借りることにして、忍者の方は、今、アマゾンで注文して買うことにしました。
以前紹介していただいた時に、“忍者”の方に子どもの興味が向きそうだな…と思っていましたし、カエルは苦手なのです…ウチの子。(^^ゞ
内容は、カエルとはあまり関係ないようですが…。(笑)
クリスマスなのですが、我が家はずっとサンタクロースが夜中に来ていたのです。
それが、去年のクリスマス以降、サンタクロースはいないんじゃないか…ということを言い出しました。
私は疑いの気持ちを持ち始めたら、サンタクロースは来ないことにしよう、と思っていました。
けどまだ、半信半疑――なのです。幼い…と言えば、幼い我が子です。
クリスマスのプレゼントにならなくても、毎日本は読んでいるようなので、身近にあると、読むと思います。
最近買った児童書は、映画の影響もあって、「チャーリーとチョコレート工場」です。
私のほうが楽しんでいるので、これもそのうち、読むことでしょう。
ご紹介いただいた2冊、読み終えたら、またご報告しますね。
いくつか記事を読ませていただきましたが、どれもみんな読み応えがあって、
いろんなことを考えさせてくれる素晴らしいブログですね。
どこにコメントを残させていただこうかと迷ってしまいました。
「とにかく格好良くなきゃ」胸張って自信持って見せられる生き様ですよね。
私は子供がいないので、あんまり見せる相手はいないのですが
でも見せる相手がいなくても、生き様は大切にしたいと思っています。
(有限不実行になってる可能性大だなぁ…)
格好良いおばさんにならなくちゃ!
(追伸:私は61年生まれ。これからもよろしくお願いします。)
嬉しいです。
“独活”を“どっかつ”と私と同じような読み方をされた方に、興味と親近感を感じまして…。(^^ゞ
お年も近いようですね。
私も格好いいオバちゃん、目指してます。
見かけは少々ダサくても、中味で勝負!! ―― って、伴わないと恥ずかしいだけですが…。
そんなこんなで、感じたままを気まぐれに綴っております。
お付き合いくだされば、嬉しいです。
とても心温まる素敵な内容でした。一見、何の問題もなくいい子の様に見える(見られる)子供にも、より大きな心の葛藤がある。そんな子供こそ、却って辛く悲しいものを背負っている。これも一種の心の病気なのでしょうが、この物語を読むまで、私も殆どその事に気が付きませんでした。
昔は兄弟姉妹の人数も多くて、大抵は構ってもらえずに育ったものです。それが当たり前と思われていました。現代は世の中の仕組みや人間関係が複雑になって、以前では考えられない現象が起こるようです。人間がそれだけ高度になったのか、或いは、逆に退化しているのかはよく分かりません。しかし、いつの世にあっても、悩み苦しんでそれを超えた人間の方が、より強くより優しく生きてゆける、との言葉には深く共感を覚えます。
どんなものに対しても本気で抵抗するのには、結構、勇気がいるものです。修平君は賢くて強くて優しい人間だと思います。「土手の上や下は土手より遠くない」などと全く頭がいい証拠です。それに何と言っても、お母さんが実に逞しい。ドーンと構えていて、力も強いし、おまけにユーモアもあって(「あんじるよりトンじる」「勝つドン」なんて…)。おまけに、口を大きく開けて笑うビジンですし。父親も、時には本気で子供に接することが大切なのでしょうね。今は、本気で叱る親(大人)が少なくなったと言われていますが、本気で叱れないことは、本気で愛することも出来ないと思います。ほんの少しの思い遣りの心と労わりの気持ち。私達に欠けている大切なものです。
「良のトランシーバーの向こうには、お母さんがいる。修平が持つと、向こうには誰もいない」。修平君の気持ちが痛いほど分かります。そして、友情。「バカヤロー」と言える、言ってくれる、熱い友情が人間には如何に必要なものであるか。つくづく思い知らされました。
修平君が様々な経験の中から徐々に自分の存在価値を自覚してゆく過程で、自然との関わり合いが極めて大きいことがよく分かります。「なんて良は小さいんだろう。可奈ちゃんだって小さい。ボクだって小さい」「なんて杉の木は大きいんだろう。なんて山は大きいんだろう」。この言葉は本当に素晴らしい。修平君が自我に目覚める大自然の大きさ。おおらかな自然の中の生活。「キツネもタヌキも手を洗わない」。全く同感です。それに、先祖の一人でもいなかったら自分も良もこの世にいないのだ、と気付くところ。悠久の生命の流れ、連綿と続く人間の絆。大自然の中にあってこそ、修平君はそのことに気付いたのでしょう。そして、カボチャになった良君に、ちょっぴり優越感を抱く兄貴の気分。山の生活を経験したからこそ、の発見でしょう。
修平君は、もう水の中に潜むビチョビチョカエルではありません。良君も、もうカエルを少しも怖がりません。すっかり昔の良に戻りました。「とべ!」「そしてカエルは川へ向かってとんだ。大きくとんだ!」。この最後の一言に、どれだけ多くの子供達が勇気付けられることでしょう。
話は前後しますが、物語のスタートで、良君がカエルを怖がったため、修平君が池へ放してやる場面。元気に泳ぐ「いいカエル」。この表現は素敵です。
子どもは大人が想像している以上に、自分の身の回りの現実をよく見ていますし、自分の親に対して気を使っています。
親の期待に応えようと懸命だからです。
…これは、保育所で勤めていた時に感じたことです。
修平のように、“No”が言える子は、まだ幸せです。
今の子は、“No”を言ってしまうと自分は置いてきぼりにされるのを感じているので、なかなか“No”が言えなくなってしまっているように思います。
修平の家庭は、両親が懸命に子どもを育てているから言えたのでしょう。
本気で叱れない大人が増えていることをMichikusaさんは指摘されていますが、子どもも本当の感情を親にぶつけられなくなってきています。それほど、今の家族は希薄な関係になってきているように感じます。
以前記事にした近所の赤ちゃんは、最近激しく泣いているかと思うと、突然泣き止みます。まるで泣くことを諦めているようにさえ感じます。何とも悲しいことです。
>「良のトランシーバーの向こうには、お母さんがいる。修平が持つと、向こうには誰もいない」
ここは一番泣けました。修平の気持ちを思うと、切なくて切なくて…。
お父さんが修平を殺されるのかと思うほど強く抱きしめて、大声で泣いた箇所。
ここも泣けてきました。
私も「お姉ちゃんだから…」と言って育てられ、いつも弟の世話をしていました。遊びにも行けません。
少なからず、修平の気持ちがよく分かります。いつもいつも我慢していました。
なんで私ばかりが…といつも理不尽に思っていました。
上の子――に生まれてしまった宿命でしょうか。(笑)
『良はカボチャ』この言葉に、修平は良は親を取り合う対象ではなくなって、気持ちの上で大きく成長したことを感じさせられます。
本当にいい本を紹介して頂きました。
感想を言葉で表現するのは、難しいです。
上手く言えません。
我が子には、一度読んで聞かせてやろうと思います。そうすれば、きっと自分で読んでくれるからです。
我が家の読書は、そこから始まります。
「まぼろしの忍者」、昨日読み終えました。引き込まれました。
不思議なお話でした。こういう類の話は好きです。
時空間を越えてまで、亡くなった親の思いを果たそうとする子の想い、過去の仲間を思う想い。
渉の心の強さ…母の再婚でそうならざるを得なかったのかもしれませんが。
これもまた、読んでやろうと思います。
ありがとうございました。
「人の後ろを着いて行かないで、自分の道は自分で歩く」。この凛としたバックボーンを、実に小気味好く感じました。そして、たとえどんな未来が待っていようとも自分の運命を受け入れ、それに立ち向かって行く、時代を超えた少年達のひた向きな姿勢に深い共感を覚えました。
「これから起こることなど知る必要はない。自分たちにふさわしく生きるために、自分たちの世の中を作る」。未来の事を聞きたがる大人の親方に比べ、何という若者の健気な心意気でしょう。総て分かっている将来へ向かって歩きたがるのは、情けないことだと思います。「目に見えるものだけがあるのではない」。この言葉が、深く胸に沁みます。「無知を恥じてはいけない。馬鹿にしてもいけない」。この言葉が胸に重く響きます。
世の中は、都合のよいことしか教えないものです。それに流される人間もダメなのでしょうが。それにしても、まやかしで世の中を牛耳ろうとする胡散臭い人間や、得手勝手な為政者はいつの世でも存在するものです。でも、親方(無辺)が真の悪人ではないので救われました。本当の優しさの前に人間らしさを曝します。だからこそ、少年達も命を奪わなかつたのでしょう。誇りを壊そうとしたからこそ、最後に反抗したのでしょうから。
小源太の渉君が「オレはエースピッチャーではない。小源太だ。オレはここで生きているんだ」。実に潔い姿勢です。それに、父親との約束を守る。スポーツマンだからこそでしょうか。
当時の子供らは粗衣粗食に耐えられても、病気には無抵抗にならざるを得なかったのですね。小梅の死は哀れ過ぎます。いくら人生四十年の時代とはいえ、余りにも悲惨です。「みんな、別れを経験している」。辛い言葉です。
藤林三郎次の子供を予測させる、最後の場面がいいですね。心が救われました。そして何より、「静かに四百年の時が一瞬に過ぎ、小梅の人形も四百年分を一度に古びた」。この表現には実に感動しました。そしてまた、「人形につぶての指の跡がある」。涙が出るほど素晴らしい場面です。
いつの時代でも、人間の生きる、或いは、生きるべき道は同じなのでしょう。
いかに生きていくのか…しっかり前を見つめて、夢と希望を持って居られる子は、多少どんな困難があってもくじけることはないのでしょうね。
現実をしっかり見つめられる目を養っていくことも大切でしょう。
久しぶりに、惹き付けられる本に出会いました。
私が読んでやると、きっと卓也も読むことでしょう。
サンタクロースから頂いた本は、必ずそうです。
忘れた頃に、ちゃんと一人で読んでいます。
Michikusaさんのお考えまで知らせていただいて、恐縮です。(^^)
ありがとうございました。m(_)m
私の、悩みは良い母親ではないこと。
子供が一番ではない母親だということです。
それでも、子供に想いはあって、上手く言葉で表すことはできないけど、不器用に子供とのコミュニケーションを取ってる。
普通の家庭ではないうちの環境も、それはそれで彼も楽しんでるみたい。
なんだか、枠から自分がはみ出してることが悪いことだと思ってたけど、そうじゃないと思えるかもしれないなって、思えました。
それぞれの、幸せってあるよね。
うちの子も私が泣いてたら、ギュって抱きしめてくれます。立場が逆じゃん!って思うけど、それでも素直に嬉しかったりします。
ダメな母だけど、好きでいてくれてるようです。
ホッとしたので、だいぶたってるブログにコメントしてしまいました^^
そう言って頂けるだけで、この記事をUPしてよかったと思いました。(^^)b
“良い母親”ってのは何を基準にそう言うのだろう…?
『子どもに想いはある』――それが一番じゃないですか。
私はそう思います。
家族の数だけ、抱えている問題もそれぞれの家庭にあるでしょう。
でも、本音を出した時に、許されるのが家庭ではないでしょうか。
優しいお子さんをお持ちじゃないですか♪
素直に「ありがとう」って言っていればいいですよ。
お母さんだって、泣きたい時もある、お母さんだって、慰めてもらうと嬉しいんだ…。
人らしい感情を…弱いところを見せるのも、悪いことじゃない。
そういうことも含めて“生きる”ってことだから。
親の生き様見せるのも、子どもにとっては手本だと思うよ。
何も恥ずかしくはないし、間違ってはいない。
間違ったら、謝ればいいじゃん。(^^ゞ
「ごめ~ん」って。
素直に謝れる親の方が、子どもOnlyで生きている人よりも、人間臭くて私は好き☆
息切れしないように、お互い子育て、頑張ろうね。(^^)♪