JRの列車事故から、10日が過ぎた。
亡くなられた方、事故の被害にあわれた方、言葉に言い表せないほど、お気の毒でならない。
また、救助にあたられた方々、過酷な状況を目の当たりにして、その時は必死であったろうけど、時間が経つにつれて喪失感や、虚無感を感じられているのではないかと思う。
あの事故の傷跡は余りにも大きすぎる。
むごい事件があると、新聞で必ずと言っていいほど“PTSD"(心的外傷後ストレス障害)の文字を見かけるようになった。
この文字を見ると私の胸は痛む。
「辛い思いを引きずって、生きていかなければならない人が増えたんだ」と感じる。
3年前の5月8日、私は義父の首吊り自殺を目撃した。
発見が早かったので事なきを得たのだが、私の心は、糸がプツッと切れたように破綻してしまった。
破綻した心を修復するだけの余力はなく、子どもに対しての平静を保つだけで精一杯の私は、神経科の門を叩いた。
PTSDと診断され、Dr.は 「このままだと貴女が自殺するよ」 と言った。
見透かされたようだった。
自分でもそう感じていたので、すぐさま、友達に住む場所を探してもらった。
連れ合いにも内緒だった。
6月1日、転居した。
子どもにとっては幸いなことに、連れ合いは一緒に来てくれた。
そして、義父は今年1月に他界した。
その葬儀に、嫁である私は行かなかった。 …行けなかった。
土の匂い、草の匂い、雨、荒縄、暗い小屋、梅の実、救急車、そして首吊り。
全部私にとっては刺激語だ。
以前に比べると、随分平気になってきたのだが、やっぱりあの事件のことに関連するものを見聞きすると、今でも身体は変調をきたす。
自分では意識していないのに、勝手に反応するのだ。
忘れたくても忘れられない、これから私が生きていく中で一生私の記憶の中にあるもの。
“付き合っていくしかない”と思えるようになったのは、最近。
自分の性格の一部…くらいに考えなくてはならないのだろう。
列車事故の被害者の方、遺族の方、救助に携わった方、消せない記憶との闘いが始まっているのかと思うと、ホントに胸が痛む。
辛さを共感することはできても、辛すぎて掛ける言葉が出てこない。
ご冥福をお祈りすると共に、ケガ・心の傷が少しでも早く癒えることをお祈りするばかりである。
亡くなられた方、事故の被害にあわれた方、言葉に言い表せないほど、お気の毒でならない。
また、救助にあたられた方々、過酷な状況を目の当たりにして、その時は必死であったろうけど、時間が経つにつれて喪失感や、虚無感を感じられているのではないかと思う。
あの事故の傷跡は余りにも大きすぎる。
むごい事件があると、新聞で必ずと言っていいほど“PTSD"(心的外傷後ストレス障害)の文字を見かけるようになった。
この文字を見ると私の胸は痛む。
「辛い思いを引きずって、生きていかなければならない人が増えたんだ」と感じる。
3年前の5月8日、私は義父の首吊り自殺を目撃した。
発見が早かったので事なきを得たのだが、私の心は、糸がプツッと切れたように破綻してしまった。
破綻した心を修復するだけの余力はなく、子どもに対しての平静を保つだけで精一杯の私は、神経科の門を叩いた。
PTSDと診断され、Dr.は 「このままだと貴女が自殺するよ」 と言った。
見透かされたようだった。
自分でもそう感じていたので、すぐさま、友達に住む場所を探してもらった。
連れ合いにも内緒だった。
6月1日、転居した。
子どもにとっては幸いなことに、連れ合いは一緒に来てくれた。
そして、義父は今年1月に他界した。
その葬儀に、嫁である私は行かなかった。 …行けなかった。
土の匂い、草の匂い、雨、荒縄、暗い小屋、梅の実、救急車、そして首吊り。
全部私にとっては刺激語だ。
以前に比べると、随分平気になってきたのだが、やっぱりあの事件のことに関連するものを見聞きすると、今でも身体は変調をきたす。
自分では意識していないのに、勝手に反応するのだ。
忘れたくても忘れられない、これから私が生きていく中で一生私の記憶の中にあるもの。
“付き合っていくしかない”と思えるようになったのは、最近。
自分の性格の一部…くらいに考えなくてはならないのだろう。
列車事故の被害者の方、遺族の方、救助に携わった方、消せない記憶との闘いが始まっているのかと思うと、ホントに胸が痛む。
辛さを共感することはできても、辛すぎて掛ける言葉が出てこない。
ご冥福をお祈りすると共に、ケガ・心の傷が少しでも早く癒えることをお祈りするばかりである。
その概要を書けた‥それでも大きな一歩ですね
書いた文だけ、心が少し楽になるといいですね
私は、奥の奥のもっと深いところの気持ちを言いたいけれど、
それは自分の胸に今はしまってあります
でも頭の中では、だいぶ整理されてきていることも事実
自分で、折り合いをつけて納得さえできれば、次のステップへ進めるんだ‥
と今日の夕方、洗濯物を取り入れながら思いました
私が辛かったのは介護と平行して、もう一つのもっと辛い問題があったこと‥
どれもこれも、100年3世代の関わりから生じた問題だと思えば
自分ばかり責めないですみます
おばちゃんも、いっしょに少しづつ、少しづつ楽になりましょうね
よかったね!
まずはおめでとうだよ
読んでいて涙があふれました
支えてくださったご主人とタッくんに感謝ですね。
薄っぺらな言葉は書きたくないのでこれ以上は書かない・・・
生きていると、本当に色んなことがあるなぁ~と、しみじみ感じる毎日です。
この話は、人に話せるようになって1年程にはなるのです。
ただこの話をするには、連れ合いには気を使います。
義父が亡くなって私が葬儀に行かなかったことで、モロモロ雑多な出来事があり、私の感情が揺すぶられました。
いつも思いますが、“生きていく”ということは、自分が辛くしんどくならない程度に、どこかで折り合いをつけていくことかな…と感じています。
気付かぬふりをするのではなく、受け留め、自分の中で苦しいけれども、消化していかないと、そこに留まることになるのではないかと…。
留まれば留まる程、悶々とする…。
悶々とするけれど、焦らず、慌てず、時期を見計らっていきながら、やり過ごせることはテキトーにやり過ごして、『時期を待つ』
簡単に出来ないから、ヒトは皆、悩んでいるのでしょうね。
ありがとね、たまえさん!
私はわたし、毎日、無理せず、楽しくやっていきます。
たどんさん
『おめでとう』と言われると、なんだか気恥ずかしいような、ウ~ンなんだろ?
人に話して伝えるのと、こうやって書くこととはどう違うんだろ?
ただ、JRの事故の報道を見ていて、“辛い思いを引きずって、生きていかなければならない人が増えたんだ”と感じた時に、自分の中で響いてくるものがあった。
だから文章にした…ってとこかな?
事故現場はかなり凄まじいものだと想像できるんだけど、首吊り…ってのも、あんまり気持ちのいいものじゃないよ。
TVのサスペンスものや、アニメのコナン君でもよく首吊り…ってのが出てくるけど、安易に出すなよ!っていつも思う。
だって、それが目に入るだけでも、吐き気をもよおすんだから…。
赤福もちさん
お久しぶりです。
生きてると、色々あります。
これは実感です!
ホント、連れ合いと子どもには感謝しています。
あと、私がここまで立ち直るのに、たくさんの方に支えていただきました。
友人知人、母…、すべての人に感謝の気持ちでいっぱいです。
人は決して一人では生きていけないものだ…と、改めて感じた出来事でした。
悲しくて辛い出来事でしたが、人として、また一つ学んだのかな…、とも思います。