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書道 直庵(筆耕所)

残照<会津若松>

鶴ヶ城の炎が中に落ち行くと見る隊士像に秋雨の降る




飯盛山白虎隊自刃(じけふ)の地に立ちて戦ひの意味問ひつづけをり

*画像中央:鶴ヶ城天守閣




戊辰惨禍いまに伝へる若松の城ときを舞ふ鶴に身を借り


八月二十八日
雨降る中を傘差して會津の街を探索す
九時三十分
飯盛山に登り白虎隊自刃の地にて拝礼し
白虎隊記念館に所蔵される品々を見たる
十一時
山を下りて市内循環バスの「あかべこ号」に乗りて街中に向かひぬ
十一時三十分
福島県立博物館の常設展を観て 
鶴ヶ城会館にて握り飯を二つ食めば
十三時
若松城遺跡を見て若松城復元天守閣に上れり

會津はいまも戊辰の残照の中にあるを深くおもへる日となりぬ

次なる文は
白虎隊記念館にて頂戴したる會津復古會が発行なる瓦版よりのものなり

-----------------------
 士道遥かなり
         早乙女 貢

…明治以降の政府と御用学者は,
戊辰戦争の勝利者たる者を百年にわたって祭り上げてきた。
その虚像の化けの皮が剥がされてきたのは近年のことである。
…歴史の真実は,敗者の中にこそある。
…明治政府の功臣たちには,仁も徳もなく,
会津藩と新撰組に仮借なき斧鉞(ふえつ)を下した。
士道に生き誠意を尽くした人々が,
敗者の苦難に呻吟することになった。
武士は勝敗に岐れるとも相見互い,というのは,
私心なく誠忠なるがゆえである。
成り上がり者は,その士道すら知らずにたけり狂った。
その妄念が軍国主義に突っ走り,
侵略者の汚名に今日,なお国民が苦しめられている。

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*画像:飯盛山 鶴ヶ城 2007.8.28 9:30-13:00
            
↑現在30位前後なり↑現在茨城1位なり
毎日一打頂戴すれば いと有難し 宜敷願上奉候

コメント一覧

あかひと
善人氏
重ねての湖面渡
いと有難し 忝なし
予がつたなき言葉も
氏が心に沁みいくときけば
光栄至極に存じ候

頓首 再拝
あかひと
やまちゃん
お晩にござる
いつもながら
温かき湖面渡を賜りて
感激のあかひとなり
をを!
磐越西線を蒸気機関車にての修学旅行なる哉
それは印象深きものとこそおもへれ

氏の御子息様の受験戦争における勝利を
衷心より祈り上げるあかひとなり
予の尊崇して止まぬやまちゃんの御子息なれば
必ずや勝利の鬨の声の高くあがることを
確信するあかひとなり

頓首
酒徒善人
あかべこ②
あかひとさんの言葉が心に沁みてくるようです。
まさにそうかもしれません。
やまちゃん
歳を重ねるたびに…。
http://yamazaki-3.cocolog-nifty.com/blog/
こんばんは、越後のやまちゃんでござります。
会津は、小6の修学旅行で初めて訪れました。
当時は、磐越西線にSLで行った記憶がありトンネルでは煙が車内に入るために窓を閉めた記憶があります。
幕末の戊辰戦争は、小学生にはまだ少し難しく理解できませんでした。
年月が過ぎ、自分の子どもたちと数回訪れるたびに当時の松平家の思い、忠誠心、そして藩とともに散っていった若者の切ない気持ちが分かります。
その白虎隊の年齢になったセガレは、受験戦争です。
あかひと
乙女姫
先ほどの湖面渡に付け加へて
・・・

予も三時間をかけて
磐梯に登りたる
猫魔八方台(1194m)までは車にて行きたる
中ノ湯 花畑 弘法清水(1600m)を経て
山頂(1819m)に立つ
気分は山の上なれば
上々なりき

とはいへ 標高差は
1819m-1194m=625m
にして
筑波山よりも登り易しとおもへり
あかひと
幸の助姫
お晩にござる
をを
さなる哉
・・・
恨みは深し 永遠に と唄ふも
まさに現実なるとは驚きなり

会津にて先の戦争とは
戊辰戦争を指すときけり

なんだかんだといひながらも
恨み心を持ちながらも

今 我が國の「ひとつ」なるを
うれしくおもふ心は
会津人にも長州人にもあるとこそおもへれ
あかひと
乙女姫
お晩にござる
虫の声響く宵なれば
ひそなる声にて一曲うならん

会津には会津の憂ひあり
長州には長州の哀しみが
ましてひとつの國なれば
恨みは深し 永遠に

さても
戊辰に
我が國の二つにならざるを
ほふと
胸なで下ろすあかひとなり
あかひと
善人氏
お晩にござる
さても
筑波研修にて
なんと多くの名所を巡りたる哉
氏の身の軽きこと風の如し
氏の行動力 マグマの如し
ただただ感服の極みなり

をを
あかべこなる哉
あかべこの首振るは
納得なる哉
思考なる哉
拒否なる哉
・・・
いやいや
さに非ずして
予は
時の流れを惜しめる心と見たる
如何なる哉?
あかひと
アザミ姫
お晩にござる
予が記事にて
姫のおもひで呼び起こすときくは
いと嬉し

さまざまなおもひよぎれる会津なる若松城の壁の白さよ 丹人
otome
蕎麦
おはようございます。
会津と言えば・・・お蕎麦です。
わざわざ権現蕎麦食べに行ってきました。
今までで一番美味しかったかなと・・・
青大豆のお豆腐が又香りが良くて美味しかった!
あつ!お酒が又格別ですね~
とらんぼうとやらを探しにも行ってきました。
私はいつも目的が違ってます<(_ _)>
磐梯山はもちろん登ってきました。
お幸
会津と長州
飯盛山
とても悲しい場所でしたね。
眼を背けたい理不尽な場所でした。

会津に嫁いだ友人が
だんなさんが長州をとても意識していると言う話をしていました。

山口出身の夫の友人も会津を・・・。
みんな昭和の戦後生まれですよ。

会津の友人のお譲ちゃんが国体に出ると言っていたことがあって
種目を聞いたら、ナギナタですって。

お国柄というものがあるのかなと思ってしまいました。

会津
猪苗代
特に裏磐梯
良いところですよね。
酒徒善人
あかべこ
昔、筑波の研修中に会津を旅しました。
同じ研修中の福島県の方の案内で飯盛山にも登りました。
その時に温泉宿で旅の土産に買った“あかべこ”は、今もTVの上で首を揺らせています。
アザミ
鶴ヶ城
お帰りなさい。

ずいぶん昔のことになりますが、幼かった子供を
連れて何度か会津に行ったことがあります。

桜の時期の鶴ヶ城は美しいものですが、
戊辰戦争を思うにつけ、<哀しい美しさ>と
私自身は感じていました。

鶴ヶ城を見ると、17年前に他界した父を
思い出します。
両親と共に天守閣から会津の街を眺めたことが、
昨日のことのように思われます。

写真を拝見しながら、さまざまなことに
思いを馳せていました。

感謝いたします。
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