「福山菱の会」のホームページによれば、ここは日本化薬の社宅が建っていた場所だが、戦前用地が軍に接収され倉があったという。歩兵第四十一聯隊兵営(現・緑町公園及びココローズ)にも近く、何らかの関係があったのだろう。栴檀(せんだん)の大木は私の生まれる遥か前から福山の発展を見てきたことになる。
現在、巡礼道路として石佛が祀られている堤防より入江の海を埋め立てた土地、すなわち日本化薬住宅、運送会社がある土地は、廿山(はたちやま)新涯といわれています。
廿山とは、福山藩の抱え力士の名です。その力士は天保二年に死んでいます。城内の阿部藩主の前で廿山が角力をとり、この川口新涯の土地の一部、すなわち文久三年(一八六三年)に埋め立てられた入江の部分を、ほうびとして与えられたので廿山新開(新涯)と呼ぶようになったそうです。
『おもしろふくやま史 / 平井隆夫(二〇〇一年)』
広陽産業から東へ約50m、広島恵友堂山田薬品(同町3丁目1‐50)脇にまた地神さんが配置されている。丸みを帯びた石には大正五年(1916)建立の銘がある。