先日思い立って「鈴鹿300座」の
リストをチェックしてみると
未踏の山が150もあります。
全部登れるかどうかわかりませんが
暇があれば登って行きたいですね。
ところで鈴鹿山脈って何処から何処まで?
北は関ヶ原できっちり
区切られているのでわかり易いですが
南の布引山地との境界が良くわからない。
ウィキペディアには鈴鹿峠と書いてありますが…
地形図を見るともっと南の柘植川〜
鈴鹿川支流加太川のライン
=大和街道(現・国道25号)
がその境目のように見えます。
「鈴鹿300座」によると
そのラインより南にある山が5つ。
そうすると西名阪自動車道あたりが境目なのか。
大和街道の北側にある3つの山を
合わせて登ってみることにしました。
柘植駅からスタート。
まずは大和街道の北側の「廻り戸」へ。
関西本線の四日市〜柘植間は
明治23年の開業で線路などは
当時のままとあって
線路下の通路が見事な煉瓦造。
そこを潜ると右手に扉があるので
開け閉めして線路沿いに東へ。
すると赤い鳥居がずらりと並んでいます。
まだ2月になってませんけど!とツッコミながら
階段を登り祠に達すると行き止まり。
踏み跡を探して祠の左手の斜面に取り付きます。
尾根伝いに急登して10分で山頂です。
木々の合間から柘植の街並みが見えます。
直進して植林帯をおり
登り返して廻り戸山頂より15m高い
ピークに立って右カーブ。
南方向へ景色を見ながら尾根伝いにおり
薮を掻き分け抜けると
コンクリの水路が現れました。
滑って降りると線路。
すぐ左手に踏切があったので
横断して国道に出ました。
東進して鴉山池の堰堤下を進むと橋。
渡っていきなり急斜面。
池を見下ろしながら
尾根筋を上がると標高370に
アンテナの基礎らしいのが4つ。
さらに右カーブしてP395に立つと
左手に雲海広がる上野盆地です。
左に右にカーブしながらコルに降りて
登り返すと三角点のある「大仙」山頂。
南方向へ降りると
西名阪自動車道の加太トンネルの真上。
ここが大阪湾に向かう木津→
淀川水系と伊勢湾に注ぐ鈴鹿川水系の分水嶺。
標高370程。 谷を降りて西方向に転じ
昭和の別荘地を登っていきます。
左手の鈴鹿の山並みを楽しみながら
南西ー北東の尾根筋を15分で
今度は「大仙山」。
こちらのほうが10m高いのですが
「大仙」とは双耳峰って感じで
同一の山塊に思えます。
北方向に石灰岩の採掘で
大きく削られている経塚山。
北西には小平山ー旗山の稜線です。
尾根筋から谷川へとおり林道に出て東進。
加太川を渉って国道25号へ。
風情のある大和街道を
鉄道遺産や
右手の布引山地の山並みを見ながら下り
板屋から北の出雲谷へと入っていきます。
標高178.1△三角点を通過し田園風景を北へ。
鈴鹿山脈の懐へと分け入る感じ。
東海自然歩道の案内板にぶち当たります。
すると正面に廃道の隊道。
見学してUターン。
林道の峠の右手に標高260のピーク。
直登して稜線を南へ。
次第に痩せ尾根となり最後は
よじ登って「板屋行者山」。
さすがに名前通り。祠や観音菩薩。
眺望も素晴らしく鈴鹿の山並みや
加太地溝帯に布引山地が見渡せます。
ここから見ると大和街道の南にある大仙山
(写真の真ん中右寄り)
は鈴鹿山脈と繋がっているように見えます。
直進して尾根筋を東へ。
左カーブの所を右に行ってしまい
慌ててUターン。
無事蛇谷川に降り立ち橋を渡って
左岸を遡りますが
倒木祭りで四苦八苦。
右岸を見るとまだ歩きやすそうな林道。
渡り直すと舗装道に出て西進。
すぐに右手の尾根に登ると別の林道に出ました。
どうやら尾根筋をグネグネ登る
道のようなので右折して登っていきます。
終点まで行くと尾根筋に踏み跡が
あったので急登して左カーブ。
すると牛谷山からの道に合流して
間もなく山頂が見えてきました。
植林された尾根を登って「行者山」。
こちらは祠や観音菩薩はありませんが
三角点ありです。
樹間から鈴鹿の山並みがチラホラ。
Uターンして先程の林道に降りて下山。
すると舗装道に出たので
そのまま加太の集落まで
続いているのかと思いきや
すぐに崩壊林道。
突き当たって左手に切り通しが見えたので左折。
切り通しを抜け薮搔きすると
右手に線路下のトンネル。 抜けると…
加太川でした。水路のトンネルだったのね(笑)
また薮搔きして線路を渡ると
ようやく国道に出ました。
次は「梶ヶ坂」。
てっぺんが見えてるので竹林を直登。
炭焼き窯跡がありました。元里山って感じです。
山頂に三角点あり。眺望はなし。
Uターンして国道に戻り
東進して加太駅下を右折。
左手に山が見えてきました。「東垣内」です。
この三角点には大きな送電鉄塔が立っているので
中電の保守道案内板を探すと。。ありました。
見上げると巾3mぐらいの道が続いているので
そこを登って行きますがかなりの急勾配。
15分で東垣内三角点・標高276に到着。
何故かここがYAMAP山頂。
最高地点はもっと上。ここからは普通に登山道。
尾根筋を行くと右手に仏ヶ平と寒風の姿。
その向こうに雪を被った山。仙ヶ岳でしょうか。
間もなくで標高370に到達。
最高地点は南方向にありますが
そのまま直進して景色の良い稜線を下りていきます。
標高310で右にカーブ。越川へと下山。
川を渡ってさらに東の「久我山」へ。
何故かシュロ?の木のある斜面を
直登して尾根へと四つん這いで上がると
もう脚がヘロヘロ(笑)
だいぶ疲れが出てきました。
が、もう一踏ん張り。
肩まで上がり右折すると目の前に山頂。
ここも三角点ありですが眺望はなし。
直進して東北方向の尾根筋を下りると
右手に林道が見えたので下山。
15分で国道25号に出ました〜
平凡社・世界大百科事典によると
鈴鹿山脈と布引山地は
100-200万年前に隆起し
境は加太地溝帯とあります。
地質図を見ると1.5-2kmの幅で数千年前の
非海成の岩が堆積しています。
(中央の横に長い黄色部分)
つまりこの地溝帯は何処かから流れ込んだ
岩石で埋められたということでしょうか。
日本列島はこんな感じだったとのことですから
どこに山があったとか
細かい地形はわかんないですよね〜
なんせ濃尾平野にあった東海湖が650万年前
琵琶湖誕生が400万年前とのことですから…
1000万年前の岩が何処から来たとかは…
もしかしたら南西40-50kmにある
1500万年前に活動した室生火山群と
関係があるのかないのか。。。
今日訪れた行者山2つと廻り戸以外の
5峰はこの地溝帯の中にあります。
(ただし最後に登った久我山は
鈴鹿山脈や布引山地と同じ
白亜紀の火成岩が東縁の断層によって
隆起したものと思われます)
そしてこの地溝帯の北端と南端には
東西に走る断層が確認されていて
北の断層沿いに大和街道。
南の断層沿いには
西名阪自動車道が通っています。
JR関西本線はというと
柘植から北の断層沿いに走った後
鴉山池を過ぎたところでトンネルで大仙山塊を
潜って南の断層沿いに出て
西名阪自動車道に近づいたかと思えば方向転換
北東へ向かい大和街道沿いに戻って関へ。
加太駅の東(↑地図参照・山の印は久我山、
ブルーの線は通った道筋です。)
関・金場に抜ける箇所は狭い地峡となっていて
もしかしたら塞がっていた
時期もあったかもしれません。
すると加太地溝帯には水が溜まり
加太湖といえる湖があったかも…
なんてことを考えながら関宿到着です。
街道沿いを歩いて
駅へ向かいます。
15:59亀山行きに乗車〜
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます