自由と孤独の真ん中で

こじらせ中の60歳。
行きたいところへ行き、会いたい人に会う。

仕事初め

2025年01月06日 | 日記
旧友たちを呼んで新年会をした。
みんな小学校からの付き合い
それぞれに歳を重ねてきたけど心はいつまでも変わらない(と思う)
会えばいつも学校時代の話になる
好きだった男の子のその後や怖かった先生のこと、部活のこと。
憶えていたりそうでなかったり
人によって思い出の抽斗の中身が違っていて
強烈に記憶に残っている出来事も他の子には全く印象に残っていないことに驚く

私もいろんなことがあったけどみんなもそう。
離婚したり、孫が出来たり、親が亡くなったり、職を変わったり、県外から帰ってきたり
身体もだんだん無理がきかなくなってきたけどホドボドにだましだましやろうね。

その時に撮った画像が送られてきたが
ミニマリストが見たら発狂するのではなかろうか
とにかく家の中にモノが多すぎる


なかなか棄てられない上に空き瓶なんかもつい溜め込んでしまうからカオス
今年はスッキリ暮らすのが目標。どんどんモノを処分していかないと。
いつ何があるか分からない

といいつつ
お土産に持ってきてくれたプリンの空き瓶が可愛くてしかも人数分あるし
(蓋付きでちょっとした保存容器にもなる)
どこに仕舞おうか考えている





4日ぶりに職場に行ってみると
意外にも全然汚れてなくて肩透かし
落ち葉も今はもう落ちきって玄関周りの数枚を掃いただけ
館内を巡回して鳥の雲子を数個、駐車場で数個見つけて流して終わり
あとはゴミ置き場を整理して日誌を書く
今日は半日の3時間なのであっという間に終わった

ありがたいなぁとしみじみ思った。
この職場があることで生活にもメリハリが出来て
適度に体も動かせて体力維持にもなる。 
しかも少し痩せて体が軽くなった気がする
仕事があるから休みの嬉しさも感じられるし
いいことずくめだ。
無職の時もそれなりに楽しかったけどどこか漠然とした不安があった。
こんなことしてていいのかなとか
このまま引きこもって誰とも話さず年老いていくのかなとか
常に頭の隅にあって
純粋には楽しめなかった


それでも明日はどうなるかわからない
きっと嫌になることもある
気持ちなんてその時々で毎日違うから。
それでも自分の家以外に居場所があるのは嬉しい


来週は七回忌でお寺に行く
雪にならなければいいけど





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