At先生とやり取りした内容を伝えると、「あっ、そう。それならいいけど。」と釈然としない様子で席に着いた。
どうやら、着席する場所も決まっているようだ。この種の部屋の上座下座の定石に従い入り口近くの端の椅子に座ってAt先生の到着を待った。
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定刻より少し早く、At先生がいらした。私は起立した。しかし、他の先輩方は座ったままだった。
「ここは狭いな。いつもの部屋にかえてもらおう。」
そう先生がおっしゃると、誰かが足早に部屋を出た。すぐに戻ってきて、「教室変更しました。」と言い、全員で移動した。全員と言っても10名もいなかった。
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移動前の教室は窓が無く狭い部屋だった。移動後の教室には窓もあり広かった。机は長方形のロの字型に配置されていた。
先生は黒板の前の席。大柄の先輩はその左の窓側の席に着いた。他の先輩方もそれぞれお気に入りの席があるらしく、すぐに各々着席した。
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ゼミは英語、否、米語で書かれたModern Criminal Procedureという分厚いケースブックから報告者が自分で選んだテーマに関連する部分を翻訳するというやり方で進められた。
私はまだ自前の教科書を持っていないので図書館から借りてきたものを眺めていた。
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この日の担当者は前期二年生(M2)の先輩だった。先輩はノートに書かれた日本語訳を一気に読み始めた。
普通の会話の早さよりも早い。先生はそれを聞きながら時折、「違う。」とおっしゃってみずから日本語訳を示し。「はい。」と言って続行を促していた。先生の手元にはあの分厚い教科書しかなかった。このようにして一回のゼミで数十ページが読み進められた。
ちなみに、教科書とされたケースブックはA4版で1ページが左右二段組みになっている。厚みは6cmくらいだった。比べるべくもないが高校の教科書なら6年分以上の厚みだ。
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At先生は凄い。大学院とはこういうものなのかと改めて驚嘆した。このゼミで私が報告を担当するのは夏合宿の後半からだった。
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私が指導教員として選んだ先生は学部のときに講義を盗聴していたSi教授だ。Si教授の講義も少人数のゼミ形式であった。
ところが、同期で入学した他大学出身者が刑事政策の専攻だというので教材が二つになった。
Si教授のゼミの教材はドイツの学者の論文を日本語にするというやり方で進められていた。
大学院に入学する一年前、Si教授は「候補生として大学院のゼミに出たらどうだ。」と声を掛けてくれた。
一年早く参加していたゼミだがその時の教材は一種類だった。
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二種類のドイツ語論文を一回のゼミで扱う。時間は約3時間。報告を担当者は3名だが報告内容の正否を問われるので自分が担当する部分だけ目を通しておけばよいという具合には行かなかった。
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ちなみに、外国語論文を日本語にするという作業は言葉の能力だけでは到底できるものではない。
日本語の法学論文にも言えることだが、論文と名のつくものの中身は概念と概念が論理で結び付けられている。したがって、それぞれの「概念内容」が分からなければ、たとい外国語の文字列が日本語の文字列に置き換わっても何を言っているのか全く分からない。これは他の文化領域でも同じだと思うが私には非常に難しく混迷する世界であった。
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さらに、概念と概念とを結ぶ「論理」の内容が分からなければ論文の筋がとんでもない方向へ行ってしまう。
そうは言ってもその論理の内容をどうやって探し、確認し、日本語に置き換えるかやり方が全く分からなかった。大学を目指した機械科3組の頃を思い出した。
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しかし、今はあの時とは違う。手繰る手段はあった。図書館だ。中央大学には学部学生が使う中央図書館の他に大学院図書館がある。また、学部学生では入れない中央図書館の書庫に大学院生は入ることができた。
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分からない単語が出てくると図書館へ直行した。その内、書庫の中でゼミの準備をするようになった。頻繁に使うものは高額だが購入した。図書館へ行かなければ言葉の意味が分からないが、図書館へ行けば予習の時間が減る。多少高額でも時間には代えられない。他で節約した。
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他の大学院生の多くは一言語に集中していたが、英語が苦手な私は英語とドイツ語の二言語を相手にするので苦労した。
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さらに、日本語で行われるゼミでも報告の仕方が全く分からなかった。「レジメをつくって来なさい。」と指示されたが「レジメって何だ?どうやって作るんだ?」という状態だった。
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同期の連中は昼間部の出身なので昼の学部のゼミでこうした基礎知識は身に付けていた。しかし、私はそうした知識が皆無だった。
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先に報告した人の真似をしてレジメらしき配布物をつくったが10分ともたなかった。少しの静寂の後、先輩から質問と言おうか、意見と言おうか、助言と言おうか、どう表現すればよいのか分からない言葉の機関銃が放たれた。
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しかし、有り難かった。嬉しかった。
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この先輩は、すでに数年前に司法試験に受かっていた。いつでも、判事、検事、弁護士になれる人物であった。実際、それから数年後、どこかの裁判所の判事になっていた。
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そういう先輩が真正面から私に質問を浴びせて来た。もとより、私の無理解を質す質問なのだが、それでも「まぁ、いいか一年生だから。」という妥協を一切せず高いレベルから機関銃を撃って来た。それが腹の底から嬉しかった。
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「・・・と・・・は違うでしょ。だから〇〇と△△の関係を先に論証しなければ君が主張したいものが伝わらない。そもそも、何をしたいの?」
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何も言えなかった。
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「次回までに考えてきます。」それを言うのが精一杯だった。
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大学院に入る前、別世界と感じたKa先生のドイツ語の特訓、このときは民法特講・演習だったが、これが最も心安らぐひと時だった。しかし、手抜きなぞできるほど私は器用ではなかった。大量のドイツ語を読んだ。読んで、読んで読みまくった。
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これらの履修科目の予習は受験勉強の比ではなかった。
火曜日がKa先生の民法特講・演習(ドイツ語)、水曜日がYa先生の刑法特講・演習(日本語)、木曜日がAt先生の刑事訴訟法特講・演習(米語)、そして週末の土曜日がSi先生の刑法特講・演習(ドイツ語)だ。
この4教科の準備をいつするか。前期のAt先生のゼミはM2の先輩が担当してくれたがそれ以外はすべて毎回担当だった。
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土曜日のSi先生のゼミが終った後から日曜日と月曜日を使ってKa先生の民法特講・演習、Ya先生の刑法特講・演習、Si先生の刑法特講・演習の予習をする。火曜日が終ると水曜日の予習の仕上げをする。水曜日が終ると少しだけAt先生の刑事訴訟法特講・演習の予習をし、木曜日が終ると少し休息して、金曜日の早朝から土曜日の予習の仕上げをする。
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前期の最終日、その日は土曜日だった。
「じゃあここまでにしようか。続きは後期。」というSi先生の言葉でゼミが終った。思わず天を仰いだ。
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Si先生は「H君、充実しているでしょう。今の気持ちを忘れないように。」とおっしゃった。
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先生をお見送りしたその足で同期のNと大学の裏にあるバッティングセンターへ走った。バカバカしいほど楽しかった。(つづく)
※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。
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