後期は前期のこのサイクルにAt先生の刑事訴訟法特講・演習の予習が加わった。
夏休み中に他の3科目の予習は「やり貯め」した。刑訴の担当は夏休みの合宿の後半から始まった。
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合宿という文字は運動部を想起させるかもしれない。だが、中央大学法学部法律学科では一部のゼミは一年に数回合宿を行っていた。大学院でも合宿をやるゼミはあった。
学部の合宿ではそれぞれの法分野の重要論点をゼミ員が分担した。大学院のゼミでは教材を集中して読み込んだ。
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At先生のゼミ合宿は私の想像をはるかに超える内容であった。そもそも通常のゼミでさえ度肝を抜かれていたのだが合宿ゼミでは別世界を眺めているような感じさえした。
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合宿ゼミの教材はケースブックではなかった。LawWeekと書かれたコピーが配布された。LawWeekは米合衆国最高裁判所が一年間に下す判決の速報版である。
ゼミでは、この内、刑事訴訟法に関係するものを抜き出しそれを要約するのである。要約である。翻訳ではない。判決文であるのでその量は少なくはない。A4サイズで左右二段組みだがケースブックより文字は小さい。それが一件平均10頁くらいはある。それを3泊4日の合宿中に10数件処理するのである。
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担当するのは上級生だ。通常のゼミでは下級生の報告を黙って聞いていた先輩たちである。仮に翻訳されたものを読み上げれば1時間では到底終わらないであろう内容を15分から30分くらいで終わらせて行く。私は配布された印刷物に目を落としているもののどこをやっているのか全く分からなかった。親切な先輩は頁番号を言って要約に入っていたが、それでもすぐに分からなくなった。
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しかし、驚くのはまだ早かった。その凄まじい速度で進む報告の最中に、いつものように「違う!」という先生の声が飛ぶのである。私の想像のキャパをはるかに超える先輩たちの高速報告を聴きながらAt先生は間違いを指摘する。これはもはや語学の能力のレベルではなかった。否、その様なレベルで驚くこと自体、自分の認識の低さと狭さを実感させられる合宿ゼミであった。
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合宿ゼミの行程は濃密であった。初参加の日、私は道に迷い合宿所に着いたのは夕方であった。先輩たちはすでに到着しており、風呂から出てのんびりしていた。娯楽室らしき部屋には卓球台があり卓球をしている人もいた。そのとなりが食堂だが、のんびりしている人もいたが、そのかたわらで教材に取り組んでいる人もいた。
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その年の合宿初日はゼミも無く、穏やかに時が流れた。先生はご自分の山荘をお持ちだということで合宿所には居られなかった。日が落ちると高弟達が先生の山荘へ行かれた。若い人は明日の報告に備え勉強をしていた。あたかも嵐の前の静けさであったと後から気付いた。
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合宿二日目は普通の朝食で始まった。N〇Kの朝ドラをみ終わり、皆で「ごちそうさま。」。「9時からでいいですね。」とAt先生。食器を戻してテーブルを拭き。間もなく定刻。すでに全員席に着いている。
順序から言えば上座にいるはずの先輩Miさんが、なぜか最下座の私の前に座っていた。同じく先輩で全共闘風のMaさんも私の左隣に座っていた。この3人の配置はこの合宿ゼミが行われなくなるまで同じだった。
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9時から12時までゼミ。昼食を取り、朝ドラの再放送をみて13時からゼミ。16時を過ぎたころ休憩。誰かの「ソフトボールやりましょう!」の声でAt先生も加わり、合宿所前のグラウンドでソフトボール。一汗かいて風呂。18時頃から夕食。19時から21時頃までゼミ。その後、先生は山荘にお帰りになる。合宿所では明日報告をする人たちがそれぞれお気に入りの場所でノートと教材を広げ自習に入る。凄い集団に入り込んでしまったと感じた。とにかく皆、一所懸命勉強した。
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合宿最後の晩、夕食後のゼミが無かった。先輩方が先生の山荘に上がった後、先輩の一人から「皆も来ないか。」とのお声がかかった。
私もお邪魔に上がった。どういう時間が流れるのか見当が付かなかった。
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山荘にお邪魔すると中央のリビングに先生が居られ「いらっしゃい。」とニコニコと私達を迎えてくれた。
驚いたことに、リビングの両脇にある和室にはそれぞれ麻雀卓が出ていた。プールにいた頃、麻雀狂いがいたので麻雀には悪い印象しかなかった。だが、この先生が麻雀をなさるのかと不思議に感じた。
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ほぼ初めて私も麻雀卓についた。先輩方に教えられるままパイを積みゲームに加わった。食堂のゼミ室で私の隣にいた全共闘風のMa先輩がくわえタバコでパイをさばく様が板についていた。私は負け続けた。
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先生が見に来られた。「どうですか?」穏やかな口調だ。
「ダメですね。よく分かりません。負けっぱなしです。」と私はそう答えた。
「そうか!」そうおっしゃると私の後ろに立たれた。私がパイを積み上げて起こすと、「誰からだ?」と声が飛んだ。たまたま私からだった。「私です。」、「右の〇〇を切れ。」。
「〇〇」はパイの名前だったがそれが何を指しているのか分からなかった。たぶんこれだろうと思いパイを一つ摘まもうとしたところ、「違う!そのとなりだ!右だ!」とおっしゃった。このときの「違う!」がゼミのときの「違う!」とそっくりだったので愉快だった。
すぐに一回りして私の番になった。何をしようか迷っていると後ろから「一番右のパイを切る!リーチだ!」との声がかかった。その通りにして次の人がパイを捨てると「あたりだ!」と再び声がかかり、私が上がった。
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司法試験に合格した人がそれぞれの法曹になるために研修を受ける司法研修所というものがある。
そこでは毎年ある時期に麻雀大会があるらしい。その麻雀大会を始めたのがAt先生だったとのことである。
「一芸に秀でる者は多芸に通ず」とはこのことかと納得した。
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合宿3日目、予定されたLawWeekの報告がすべて終わった。ついに私の出番が来てしまった。努力はしたのだが惨憺たるものであった。要は言葉の問題ではない。もちろん、
語学力が足らないのは確かだが中身が分かっていないのだ。中身が分かっていないから英語が日本語にならない。改めて刑訴を勉強し直すことにした。
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ほぼ勉強漬けの夏休みが終り後期の講義が始まった。多少予習をやり貯めて置いたので少しは気持ちに余裕はあった。だが、やはりAt先生のゼミのことを想うと緊張し、不安になった。
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私の準備不足のためゼミが早く終わってしまうときもあった。準備不足を見破られていたのかもしれないが、報告している事件の背景を話して下さったり、その他の話題について話して下されたときもあった。
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ずいぶん後になってからMi先輩が私に話してくれた事がある。
「H君にはやめてもらった方が良いんじゃないか。」
私があまりにも力不足であったためだろうか、あのひときわ大柄でいかにも偉そうなKg先輩がMi先輩にそう言ったそうだ。
「Mi君はH君と親しいようだから君から言ってほしい。」ということだった。
Mi先輩とは合宿で私の向側に座っていた車好きの大柄な人だ。Mi先輩と全共闘風のMa先輩は私とよく話をしてくれた。その様子を知っていてMi先輩にそういう話をしたらしい。しかし、Mi先輩は私には何も言わなかった。有り難いことだ。
Mi先輩はそれから数年後、フルブライトで留学した。留学先はノースウエスタン大学ロースクール。ノーベル賞受賞者を複数人輩出している名門大学であった。(つづく)
※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。