退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
ご笑覧あれば大変有り難く存じます。

定年延長は何のため?

2020年02月26日 00時00分48秒 | 日記

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 「某氏の定年延長は、検事総長人事に絡めて論じられている。」とはよく耳にする話です。

 さて、ではなぜそうなるのでしょうか。

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 俗説に「某総理は検事総長に自分寄りの人物を据えたいと考えている。」と言われていますが、これは単なる「仲良し人事」とは思えませんね。そこで、忖度してみました。以下単なるファンタジーです。

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 検察庁は行政機関であるとはいえ、もとより唯一の訴追機関ですから警察が捜査した事件でも検察官が起訴しなければ法律上は事件にはならないわけです。

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 もちろん、政治家公務員が絡む事件では検察庁の特別捜査部が動きますが、それでも起訴するか不起訴にするかは、組織決定とはいえ、最終的には検察官の判断にゆだねられるわけですね。

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 さて、他方、こちらもご案内の通り、政府が検察官を指揮できるのは有名な「法務大臣の指揮権」(検察庁法第14条)ですね。もちろんこれは一般的指揮権です。つまり、具体的な事件について「起訴するな」とか「取調べを控えろ」とまでは言えないわけですね。ここに検察庁の政府からの独立性が見えるわけです。

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 ただし、ただしですね、ここにちょっと面白い仕組みが見えてくるのです。

 ご面倒ながらここで条文相互の関係を眺めてみたいと思います。

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 まず、法務大臣の一般的指揮権を定める規定は検察庁法14条で同条には「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。」と定められています。

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「第四条及び第六条に規定する検察官の事務」とは、まず第4条では「検察官は、刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し、且つ、裁判の執行を監督し(以下省略)」と規定されているのでザックリ言えば起訴及び公判維持権限ですね。したがって、捜査中の事件について「公訴の提起(=起訴)をするな」などと指揮することができることになります。

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 さらに「第六条に規定する検察官の事務」とは、第6条が「検察官は、いかなる犯罪についても捜査をすることができる。」と定めていますから一般的指揮権を発動して捜査を終結させることもできるわけです。

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 しかし、一般的指揮権は文字通り一般的なものですから捜査の具体的な進め方について干渉することはできません。このような場合、条文上、法務大臣は検事総長のみに対し指揮権を行使することになります。

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 ところが、検察庁法12条には「検事総長、検事長又は検事正は、その指揮監督する検察官の事務を、自ら取り扱い、又はその指揮監督する他の検察官に取り扱わせることができる。」と定められているので、法務大臣の指揮を受けた検事総長は、個々の事件の「取調又は処分」についてこれが必要だと考えたときはその事件をみずから担当し、または別の検察官に担当させるなどして「取調又は処分」を続行させることもできるわけです(第12条)。もっとも、その逆もできるわけですね(後掲参照)。

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 さて、検察庁法にこのような規定があるということは、法務大臣が個々の事件について「取調又は処分」に干渉したいときがあるということが想定されていると考えてよいでしょう。それはいったいどういうことなのでしょうか。

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 とりわけ、刑事責任を負う危険のある人にとって、関係者や事情を知っている者が検察官の取調べ対象となっているときは大変不安になるものです。

 取調べを受けているものは将来自分がいかなる刑事責任を負わされるかつかみ難いものです。不十分ながら日本でも定着しつつある取調べに先立つ権利告知でも取調べ事実の告知は求められてはいません。つまり、取調官は「〇〇罪についてお話を伺います。」とは言わないわけですね。

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 そこで、しゃべってよい事としゃべってはならない事との区別がつき難いのが現実です。取調官も客観的証拠に照らして取調べをするのですが、供述次第では捜査方針も変化し、ときには共犯者や別罪が浮上する場合もあるので真剣勝負となります。

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 もとより取調室は外界から遮断されています。近時、取調の録音及び録画が法制化されましたがそれでも身柄拘束下の取調は被疑者または(重要)参考人にとって厳しい状況であることに変わりはないでしょう。

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 したがって、その時点では容疑者とも共犯者ともなっていない者にとって、「関係者」が取調べを受けるというのは大変な状況となるわけで、できれば取調べを止めさせたいと思うのも無理の無いことだと言ってよいでしょう。

 とりわけ、人の供述が重要な証拠となる犯罪、たとえば、収賄罪や脱税、公選法違反他いわゆる主観的要素が犯罪の成否を決める罪では「口裏合わせ」ができないうちに「関係者」が身柄を取られたらさぞ不安になることでしょう。

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 しかし、法務大臣は取調担当検察官を直接具体的に指揮することはできません。さて、どうしましょうか。

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 将来、自分が刑事訴追を受ける虞がある人にとっては、できることならば自分の悪事を知る人が取調べを受けたとき、また受けそうになったとき、これを止めさせたいと思うのではないでしょうか。

 万に一つでもそう思うならば、取調に直接干渉できるポストに自分が信頼できる人を置いておきたいと思うのではないでしょうか。

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 刑事事件において、外部からの圧力や影響を受けず正義を追及する検察庁でも検事総長ならば、その指揮監督する検察官の事務を、自ら取り扱い又はその指揮監督する他の検察官に取り扱わせることができるわけですから(上掲検察庁法12条)、みずから取り扱い又は他の検察官に取り扱わせて取調べを止めさせることができるのですね。

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 いやいや、余計なことを忖度してしまいました。

 ファンタジーです。ファンタジー。(^^)


「桜をみる会」の問題は重要なのです。

2020年02月24日 13時50分16秒 | 日記

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 ある寄り合いで今の新型感染症の話が出ました。必然的に政府の対応の誤りを指摘する複数の意見が示され大方の賛同を得ていました。

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 ここまでは良いのですが、その後、「今の政府じゃダメだけど野党もダメだよね。いつまで『桜』をやっているのかねぇ~。」と一人が声高に言うと、「そうだよねぇ~。」という声がまた大方の数に上ってしまいました。

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 「いや、違いますね。」という声は愚輩一人。四面楚歌!

 「なぜ?」という誰かの声で再び大方の耳が愚輩に向いてしまいました。

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 否応なしに何かをしゃべらなければならない状況になってしまいました。

 以下、愚考卑見の要旨です。

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 日本が採用している代表民主制は国民の信頼の上に成り立っています。日本国憲法の前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて」という一文があります。原文では「Government is a sacred trust of the people」となっています。つまり、「信託」と訳されてはいますが国政は国民の信頼(trust)の上に成り立っていなければならないことを日本国憲法は命じています。

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 なぜこんな当たり前のことを日本国憲法の前文にわざわざ書き記したのでしょうか。

 それは前文が日本国憲法の解釈原理を定めたものであるからです。

 先ほど「原文では(云々)」という表現をしました。もとより、日本国憲法の原文は英文です。異論があるようですが事実は事実。したがって、愚輩ども研究者は日本国憲法を考えるときは必ず原文から出発します。

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 GHQが日本に示した日本国憲法の原文には米国が実現できなかった理想国家の姿が描かれています。

 そして、それと同時に米国が懸念する統治の失敗要因、すなわち「権力は堕落する」という真理を前提に代表民主制の基礎には国民の信頼があるということ、逆に言えば国民の信頼を失えば為政者はその地位を去るべきだということを前文に刻み込んだと言ってよいでしょう。

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 これを今般の「桜をみる会」の問題で考えれば、もし野党が指摘していることが真実であるならば政府に対する国民の信頼は限りなく0に近づくはずです。

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 しかし、政府も野党の指摘に対して100%反論し反駁することができます。

 それは野党が求める資料を国会(=国民の代表による意思決定機関)に提出し、野党が求める証人を国会で喚問し、政府の潔白を証明すればよいだけのことです。至極簡単な事であり、かつ正義に、とりわけ手続的正義(procedural justice)にかなう立派な反論となるはずです(ちなみに、手続的正義とは難しい概念ではない。一本のビールを二人で公平に分けるにはその半分以上が入る同じ容量のコップを二つ準備して一方が分け、他方が先に取ればよいのですね。)。これが手続的正義の基本です。

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 つまり、政府は野党の求めに応じて資料でも証人でもなんでも出せばそれで潔白は証明できることになり、潔白が証明できれば野党の指摘は「言いがかり」であったことになり国民の信頼は急上昇するはずです。

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 これに対して、「私は悪いことはしていません。私の言っていることを信じてください。」と百万遍言っても、信頼が失われかけた状態ではその言葉を信頼することはできないでしょう。浮気の現場を押さえられた人が、「私は浮気していません。私の言っていることを信じてください。」と言って信じてもらえるでしょうか。

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 つまり、日本の議会制民主主義は代表民主制で成り立っている。代表民主制は国民の信頼で成り立っている。桜問題はその信頼を揺るがす事態である。国民はあらゆる政策課題論争よりも、何よりもまず政府に対する信頼を回復できるよう桜問題を、そして、何故か消えてしまった、モリカケ問題の真相を明らかにする審議を国会に求めるべきでしょう。

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 日本人の多くは政府に対して、なぜか捜査機関が政治家に捜査の目を向けない限り「政治家は白」という根拠のない信頼を寄せているようです。

 しかし、政治家の責任と義務は大きな政策を実現すること以前に、先ず、何よりも国民の信頼を得ることなのですね。

 そして、政治責任は法律上の責任とは次元が異なる高位の責任であることを政治家、すなわち、国民の代表者には認識して頂きたいと思います。

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 捜査機関は犯罪の疑いが無ければ動きません。したがって、政治責任を刑事責任と同列に置けば、犯罪の疑いが無ければ国民の信頼が無くても政治家は政治を継続できることになってしまいます。しかし、それは違うと思います。

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 日本で最も強力な調査権限を持つ機関はどこでしょうか。大学生に聴くと「検察庁です。」と答えます。

 違いますね。

 日本国憲法第41条には「国会は、国権の最高機関」であると定められており、同じく第62条には「両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。」と定められています。

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 犯罪の疑いなぞ無くても国政上必要ならばこの調査ができます。日本で最も強力な調査権限を持つのは国会です。検察庁の特別捜査部は犯罪の疑いが無い限り動きません。

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 国会の国政調査権はこれほどまでに強大なのに、議会の多数派政党がこの調査権の発動を阻止しているのです。「権力は堕落する」とはこのことなのでしょう。

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 だから、「桜をみる会」の問題は重要なのです。

 そして、消えてしまった、否、消されてしまったモリカケ問題も重要だったのです。

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 と、こんな内容の話をしたところ、「そういうもんかねぇ~。」と懐疑的なご意見と「あぁ~、そうなんだ。」と少しご納得の意見に分かれました。

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 本題をすこし離れますが、人は一度信じたことを疑うことを嫌う習性があるようですね。

 裏切られた人を信じた自分を嫌悪せざるを得ないからでしょうか。

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 これが政党や政治家が相手となるとなおさら根拠のない信頼を維持しようと自分を納得させるみたいですね。

 「何かの間違いだろう。」、「野党は政権を奪還したいから針小棒大な表現をしているのだろう。」と、こんな感じで何度裏切られても一度信じた政党や政治家を信じ続け支持し続けるのですね。

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 「無党派層は信念が無い。」という批判を耳にしたことがあります。

 そうではないと思います。

 候補者の人柄も真の業績も分からず、また、当選後どんな活動をするのかも全く分からないまま人々は投票に行きます。ときには当選後に想定外の政党に入党する当選者もいます。

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 ほぼ熟慮無く政党を妄信して投票する人々よりもその時その時の必要政策と人柄に従って候補者を吟味する無党派層の方がよっぽど信念があると愚考しております。

 

浅学非才愚考卑見乱文長文多謝。m(_ _)m。。。


検察官の勤務延長は違法

2020年02月04日 11時57分19秒 | 日記

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 郷原信郎弁護士の「黒川検事長の定年後「勤務延長」には違法の疑い」と題する論考を是非ご一読いただきたいと思います。

https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20200201-00161318/

 また、以下の愚考卑見もご笑覧いただきたく存じます。m(_ _)m

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 ご承知の通り、政府は1月31日の閣議で、東京高検の検事長の勤務を国家公務員法の規定に基づいて今年8月まで延長することを決めたそうです。

 しかし、この決定は違法ですね(ちなみに、ここで言う違法とは「窃盗は違法な行為だ!」という趣旨の違法ではなく、法律の解釈と適用を誤ったという意味の違法ですね。)。

 このまま放置すると今後の検察事務に非常に大きな問題を残すことになるでしょう。

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 法律上の疑義に対して、森法相は2月3日の衆院予算委員会で、法的に問題ないとの見解を示したそうです。

 そして、その理由を「検察庁法は国家公務員法の特別法。特別法に書いていないことは一般法の国家公務員法が適用される」と説明したそうです。

https://www.sankei.com/economy/news/200203/ecn2002030018-n1.html

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 この理屈は法学部の2年生あたりが法原則を誤解して導く誤りのレベルです。試験答案に書けば不可ですね。

 確かに、検察庁法には定年について検事総長は65歳、それ以外の検察官は63歳と定められており、定年延長の規定はありません。しかし、定年延長の規定が無いのは定年を延長し、同じ人間が長期に検察権限を担う立場にとどまってはならないからです。

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 周知の通り、検察官には「独任制の官庁」という言葉で象徴される通り強大な権限が付与されています。この権限が濫用されれば民主主義は破壊され、三権分立は崩れ、国は独裁国家に堕します。

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 国家公務員であるとはいえ、他のそれに比し性質が全く異なるため、わざわざ法律に定年が数字で規定されているのです。数字で規定されている理由は任命権者の恣意を排すためです。

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 森法相は上記の通り、「特別法に書いていないことは一般法の国家公務員法が適用される」と説明したそうですが、そもそも特別法と一般法との関係は、たとえば、商法(商事に関する民法の特別法)と民法との関係のように同じ社会的現象(たとえば、金銭の貸し借り)に対して前者には後者とは異なる特徴(=商人が金銭を借りるのは商売で利益を得るため)があるので、その特徴に鑑み特に必要な規定を置いているに過ぎません。

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 さらに、特別法と一般法との関係には「特別法は一般法を破る」という法原則もあります。つまり、類似又は同じ社会現象について特別法と一般法とがあるときは一般法の適用は排除されるという原則です。

 「特別法に規定が無いときは一般法に戻る」との一般法の原則を持ち出すならば「特別法は一般法を破る」という法原則との整合性を考慮しなければならないでしょう。

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 この考慮をするとき指標となるのが法律の趣旨です。ここでは検察官の特殊性と、検察庁法が定年に関する規定を置きかつ数字で年齢を明示している点を重視しなければならないでしょう。

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 検察官の定年延長や勤務の延長は違法です。したがって、延長後に延長された検察官が事務を処理した場合、その事務は違法に身分を持つものがした処理ですから無効となる危険があり検察事務が混乱する危険があると言ってよいでしょう。

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 本件は速やかな撤回が必至だと愚考しております。

 それが難しければ当該検察官が辞する外ないでしょう。

 各位のご賢慮を願うばかりですね。

 

 ちなみに、政府は「法務省の請議」があったからと言っていますが、これが真実ならば法務省の担当者による具体的な説明が必要ですね。

 

浅学非才愚考卑見乱文長文多謝


恩師のご命日

2020年02月03日 20時26分09秒 | 日記

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 1月30日は恩師の7回忌のご命日でした。学恩に報いることもできず定年を迎えて早や1年になろうとしています。
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 最後に下さった「警察官の心の支援」に関する研究や活動も向かい風に遭い挫けそうです。
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 師が御存命であれば何と仰ったでしょうか。切ない限りです。
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 改めてご冥福をお祈り申し上げます。

合掌