退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
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「圧勝」ですか?-得票率ではなく「全有権者に占める支持率」-

2021年11月08日 14時41分06秒 | 日記
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 「自民圧勝」という文字が報道にちらつくので本当に圧勝なのかどうか「保守王国」にもカウントされる群馬県を例に愚考してみた。
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 2021年の衆議院議員選挙では、小選挙区群馬第1区で中曽根康隆氏、同第2区で井野俊郎氏、同第3区で笹川博義氏、同第4区で福田達夫氏、同第5区で小渕優子氏がそれぞれ当選している。
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 ここでは、得票『数』ではなく得票『率』と投票『率』から「全有権者に占める支持率」を眺めてみたい。
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 まず得票『率』だが、群馬県選管の発表によれば、中曽根康隆氏は56.32%、井野俊郎氏は54.03%、笹川博義氏は54.63%、福田達夫氏は65.02%、小渕優子氏は76.59%といずれも過半数を超え小渕氏に至っては「圧勝」と言ってもよいであろう。
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 では、この得票『率』を投票『率』から眺めてみよう。あたり前のことだが投票『率』を前提に得票率を考えなければ「全有権者に占める支持率」はわからない。
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 算数計算だが愚輩は算数が苦手なので、間違っていないか単純な数字で眺めてみよう。
 100人の有権者がいて80人が投票した場合、投票『率』は80%。
 その内80%の票を得た場合、得票『率』は80%。
 その結果、「全有権者に占める支持率」は80%の80%だから0.8×0.8×100=64%だ。
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 では、実際の計算に入ろう。
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 各選挙区の投票率も選管が発表している。
 第1区は52.97、第2区は50.66、第3区は53.62、第4区は56.39、第5区は56.42だ。
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 この数字で「全有権者に占める支持率」を計算してみよう。
 中曽根康隆氏の得票率は56.32%だから0.5632×0.5297×100=29.83、以下同様に井野俊郎氏は0.5403×0.5066×100=27.37、笹川博義氏は0.5463×0.5362×100=29.29、福田達夫氏は0.6502×0.5639×100=36.99、小渕優子氏は0.7659×0.5642×100=43.21。支持率だけを並べると、
 中曽根康隆氏29.83
  井野俊郎氏27.37
  笹川博義氏29.29
  福田達夫氏36.99
  小渕優子氏43.21
 76.59%と「圧倒的」な得票率となった小渕氏でも「全有権者に占める支持率」は過半数にとどいていない。
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 ちなみに、この五氏の全有権者に占める平均支持率は33.338%にとどまる。しかも、この数字には非有権者の数は入っていない。
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 甚だ唐突だが、この衆議院選挙の小選挙区で得票率1位(84.07%)と報じられた鳥取1区の石破茂氏の「全有権者に占める支持率」もみてみよう。
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 投票率が現時点で公表されていないか、見つからないので有権者数と投票総数から投票率を計算する。
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 鳥取選管によれば鳥取1区の選挙当日の有権者数は230,962人。石破茂氏と第2位の岡田正和氏の得票数を足して最終投票数を見ると125,426となる。この二つの数字から投票率を計算すると54.30%となる。これを得票率にかけると45.65という数字が出て来る。
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 上掲小渕氏の場合と同様、「全有権者に占める支持率」は過半数にとどいていないことが分かる。
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 さて、こうして当選した人々が国会に集結し法案を審理し採決に臨むのだが、成立する法案の「全有権者に占める支持率」はどのくらいになるのだろうか。
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 当選者の全員が石破氏や小渕氏のように高得票率で当選しているわけではないが、野党を含め当選者に有利な数字を設定しシミュレーションしてみよう。
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 仮に平均得票率80%、投票率60%で当選したとしよう。その当選者の「全有権者に占める支持率」は48%。この当選者たちが全会一致で法案を成立させたとしてもその法案の「全有権者に占める支持率」は48%を越えることはない。過半数にはとどかないのである。
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 野党勢力が法案に反対し、与党が過半数で法案を可決し、成立させたとしよう。48%の支持率で当選した議員が51%で可決した法律の「全有権者に占める支持率」は24.48%にとどまる。
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 人が100人集まり決めごとをしたとき、その内の24.48人、つまり25人が決めたことに残りの75人が従わなければならないという仕組が現在の日本の民主主義であり統治の形態なのである。
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 国の方針は多数決で決まっているわけではない。
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 ではどうすべきか。
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 議会制民主主義にはこのような不完全性が宿命的に内在している。だから民主主義には「立憲主義」(constitutionalism)という枠が嵌められるのである。立憲主義を前提としない民主主義は圧制を生む。
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 「立憲主義」と書くだけでは分かり難い。そこで「権利」を想起してみよう。ここでは選挙を話題にしているので選挙権について考えてみよう。
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 吹けば飛ぶような軽い権利だが絶対的に保障される権利として選挙権がある(日本国憲法第15条)。選挙権を害する行為は違憲であり許されない。
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 表現が悪いが、「たった一人」の投票権を害しても、その選挙で当選した候補者は当選が無効となり法的制裁を受けることになる。選挙買収を想起して欲しい。あれは投票権の侵害だ。言うに及ばず、選挙権は憲法が保障した権利である。
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 つまり、どれほど圧倒的多数で可決し成立させた法律であっても人の権利を侵害することは許されない。この考え方が条文となったのが日本国憲法第81条の「違憲法令審査権」(judicial review)だ。日本を含む英米法系の憲法にはすべて含まれている安全装置である。
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 しかし、いわば伝家の宝刀とも呼べる違憲法令審査権が発動されない立憲主義の盲点が近年明らかになった。
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 それが違憲な閣議決定とそれに続く諸立法である。
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 元来、立法、行政、司法の三権はいずれも日本国憲法に反する行為をすることはできない。これは立憲主義の大前提だ。それを明示しているのが日本国憲法第98条である。
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 同条は、「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と規定している。
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 しかし、「その効力を有しない。」と宣言しているだけなので、違憲な閣議決定がされても、違憲な立法がされても、それだけではそれらを「違憲無効」と宣言することができない。そもそも、宣言する機関が無い。
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 本来ならば、裁判所がこの役割を果たすべきなのだが、日本国憲法には裁判所にその憲法判断権限の発動を許す規定が第81条しかない。
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 しかし、第81条が定める違憲法令審査には司法が議会より優位に立つことを抑える安全装置が仕込まれていた。
 つまり、裁判所が判断を下す以上それは「裁判」、すなわち「訴訟」でなければならない。しかもそれは「真摯な争訟」でなければならない。これを「事件性の要件」と呼ぶ。
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 日本国憲法の母法であるアメリカ合衆国憲法の下で「事件性の要件」が生まれるきっかけとなる事件が起きた。
 詳細は割愛するが、要は議会で敗れた勢力が裁判所を使ってその法案を違憲無効としようとして、具体的な争点の無い「馴れ合い裁判」を起こしたのである。
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 しかし、アメリカ合衆国連邦最高裁判所はこの訴えを「事件性を欠く」という理由で退けた。裁判所は紛争を解決する機関であり政府の政策決定に関与する機関ではないという理性的判断であった。しかし、これが逆に政府と議会の暴走を許す結果となることもある。
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 2014年(平成26年)7月1日の集団的自衛権の行使を容認する閣議決定は政府の暴走であり、いわゆる平和安全法制二法(平成27年9月30日法律第76号、同第77号)が議会の暴走例だと言ってよい。
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 これらの法律についてその違憲性判断を裁判所に求めるならば「事件」が起きなければならない。したがって、例えば、これらの法律に基づいて海外派遣された自衛官がこの法律に基づく業務中に死亡したとき、ご遺族は「違憲な法律に基づいて派遣された結果当該自衛官が死亡した」と主張して国家賠償を求める訴えを起こすことができる。その裁判の中でならば、これらの法律の違憲性判断を裁判所に求めることはできるだろう。
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 議会制民主主義は事実上、多数決で動いているわけではない。したがって、偏りは必ず起きる。また不適当な政府の行為や妥当性を欠く法令が制定される場合もある。
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 「事件」が起きない限り、現実にはこれを止める手段はない。
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 ただ、国民は政府の行為が、そして議会の行為が多数決で動いているのではないことを認識しなければならない。
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 そして、不都合な事態があればそれを正す行動を起こさなければならない。これは当然の権利であるから。
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 しばしば、「投票しないものは政治に口を出すな。」という論調を耳にする。しかし、これは全くの誤りである。
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 白票を投じることも、棄権することも日本国憲法が保障する選挙権の行使の一態様である。
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 当然だろう。
 候補者名を書いて投票するのが投票権の行使ならば候補者名を書かないで投票するのも投票権の行使であるはずだ。
 投票所に行くことが投票権の行使の必然的付随行為として保障されるならば、投票所に行かないことも当然に保障されるべき権利である。
 普通に考えれば誰にでもわかることなのだがここに誤解が生じている。
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 そして、白票や棄権票は候補者や当選者に対する積極的反対票だということを候補者や当選者は自覚すべきなのである。
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 また、政府の強引な政権運営や妥当性を欠く立法に不満を漏らす人に「国民が選んだ政府なのだからあきらめろ。」という人がいる。
 しかし、これも誤りである。すでにお気付きと思うが、政府は国民の総意で形成された意思決定機関などでは全くない。
 いわば便宜上つくられてものだ。だから誰が総理になっても日本は変わらないのである。変わるべきは日本人の意識だと思う。
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 投票率が低いことを悪いことだと考え、投票率を上げようとする一部の人々には、議会制民主主義の宿命的、内在的欠陥や選挙の意味、そして最も重要な立憲主義について認識を深めて欲しいものである。
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