退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
ご笑覧あれば大変有り難く存じます。

「再任拒否」の9(愚か者の回想一)

2020年08月31日 19時47分23秒 | 日記

 九 学長との面談の後、しばらくして副学長から呼び出しがあった。その後も様々な文書を大学当局に送り、一段落したところであった。

 副学長は、「お前も研究者としてこの世界で生きていきたいんだろ。家族も養わなきゃならん。だったらあまり騒ぐな。就職先は何とかするからおとなしくしろ。」

 まるで脅しのようなことを言った。すでに発信すべきものはすべて発信した後のことだった。

 ほどなくして再びあの副学長から呼び出しがあり、「お前、C-Choへ行かないか。」と言われた。

 「『行かないか。』とは無礼な。」とは思いつつ、「C-Cho」と聞いて承諾した。敵は嫌がらせのつもりだったのだろう。自宅から160km以上離れているのだから。しかし、「C-Cho」と聞いた瞬間、「やったね!」と思った。詳しいことはまた後日。

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 承諾すると、「じゃぁ今から会いに行く。」と言ってハイヤーを呼び都心へ向かった。何と言う公費の無駄遣いか。電車で行けば済むのに。

 結局、この再任拒否事件は当局者にとっても青天の霹靂であったわけだ。

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 以下合理的推論だ。

 まず再任拒否の結果について最も深刻に驚嘆したのが執行部であった。何と言っても学内に二人しかいない法学専任教員が揃って拒否されたのだから。

 一人は小物だが他の一人は学会の重鎮でもあり、万一訴訟でも起こされれば大学は絶対に負ける。

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 しかも、拒否手続きについて学則が無い。手続きも明確になっていない。再任を拒否された者が不服を申し立てる仕組みも無い。告知聴聞を受ける権利の侵害と不当解雇は明らかだ。

 この事実がマスコミに流れたら、今で言う説明責任をどれだけ果たしうるか極めて疑わしい。早期の解決が必至だったに違いない。

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 ちなみに、それからずいぶん経った頃、この大学の節目の記念日があった。

 なぜか私にも招待状が来たので出向いてみた。あのときの助教授さんたちのバツの悪そうな顔が愉快だった。そんな中、かの副学長と懇親会で遭遇した。声をかけようとしたが、彼は目をそらした。病気なのだろうか、顔が曲がって目が虚ろだった。

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 退職してから数年後のことであった。

 同じ専攻に属していた教員と新たな職場でたまたま会うことがあった。久しぶりなので近隣を案内した。海が見える場所へも連れて行った。

 彼は雄大な景色を眺めながら、「Hさん、あのとき質問状(前掲1から6の文書のことらしい。)というか何かたくさん書いたでしょ。あれね、そのまま学則になりましたよ。」と。あまりにも意外な言葉に「えっ。」と聴き返すと、「学則になったんですよ。Hさんが作った文書がほぼそのまま。あの時は何も無かったんですよ。」と。

 呆れてしまった。呆れると同時に「お人よしにもほどがあるね。」と自分に言いたくなった。あの時、不当な解雇だとして訴訟を起こし1から6の文書の提出を裁判で請求すれば被告である大学は出せなかったことになる。勝訴するのは私だった。

 そもそも、1から6の文書があっても確実に勝訴する自信はあった。しかし、それすらなければ、そもそも応訴もできない。

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 しかし、勝ってどうなる。

 その程度でもある。

 次に何が残る。

 何も残らないだろう。

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 同時に、妙な感じがした。

 自分が作った文書が某大学の人事に関する学則になっているというのだ。

 法学者としては愉快なことかもしれない。

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 そんなことはどうでもいい。

 それよりももっと愉快なことが有る。

 こうして身近に雄大な海を眺め、若い人と科学を楽しみ、大好きな趣味に興じることができる。

 この町は愉快だ。

 この町には仲間がいる。一人や二人ではない。

 街を歩けば、「よ~、センセ~!」と声をかけてくれる人がいる。

 「ビ~」っと車の警音器がなるので音のする方を見ると窓から手を振りながら傍らを走り抜ける人がいた。

 ラーメン屋に入れば「センセ~、元気かい。」と声をかけてくれる。

 夜の街でさえ、「センセ~、この前、センセんとこの学生さんが『バイトしたい』って来たけど、ウチはあれじゃない、だから断っといたよ。」と分かるような分からないような分かる話をしてくれる。

 また、帰途、高速バスに乗れば「お疲れさん。今日は遅いね。」と全く面識のなかった運転手さんが声をかけてくれた。

 有り難い。

 再任拒否がなかったらこの町に来ることはなかった。

 幸せだった。

(終)


「再任拒否」の8(愚か者の回想一)

2020年08月31日 18時14分31秒 | 日記

 八 家族が路頭に迷うことになるので周到な対応が必要だ。いきなり地位保全の民事請求をしたり、不当解雇だと騒いだりしても墓穴を掘るだけだ。何と言っても相手はデカイ。そこで、まず私の再任を拒否した手続について照会文を大学当局に送った。その内容は、

1.再任拒否決定をした機関名の公開、

2.再任拒否決定をした機関の人的構成と実名の公開、

3.再任審査規定の公開、

4.再任拒否手続に適用された学則の公開、

5.再任拒否決定後の被再任拒否者に対する説明規定の公開、

6.被再任拒否者の異議申し立て手続きの公開、

以上6点を求めるものであった。

 この要求とは別に、友人の弁護士に相談をして民事訴訟の準備も始めた。これに対して、しばらく間を置いた後、学長が会うと通知が来た。今度の学長は水の専門家だった。この会見には、当時出始めていたICレコーダを持参しすべてを録音した。今もそれは残っている。

 しかし、残すほどの内容ではなかった。なぜならば、上記1から6のすべてについて回答が無かったからだ。否、回答ができなかったのだろう。数年後に判明したことだが、このとき上記1から6に対応できる学内法規が無かったのだ。つまり、再任審査を行う委員会の決定は再任希望者について漠然と可否の投票をするだけで、個別に審査をすることはしていなかったのだ。もちろん業績審査もしていない。「自分ぐらい✕を付けても大丈夫だろう。」と考えたものが過半数を超えてしまったために再任拒否が決まってしまったということだった。何ともお粗末な話である。(つづく)


「再任拒否」の7(愚か者の回想一)

2020年08月31日 18時07分51秒 | 日記

 七 この二つの事件はいずれも例の学長の時に起きた。その後、この学長は任期途中で栄転し日本で一番偉い学者になった。大学を去るとき、「 Hさんの再任は無くていいね。」と言い残した。後日先輩教員の話で知った。

 私と一緒に再任を拒否された高飛車は私と違って大物である。その動向が注目された。重要な科目も複数担当していた。その為か否かは分からないが特別な待遇で教員として残った。

 さて、私である。再任を拒否された後、あの夏の陣で一緒に戦った、否、どちらかと言えば私がお助けした多くの武将の皆様はことごとく私と距離を置いた。

 何がしかの行動を起こしてくれるかと期待した私が愚かだった。私の再任拒否が明らかとなった直後、上層部から助教授会のメンバーに「騒ぐな」の一語が下されていた。

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 ところで、再任を拒否された者はどうすればよいのだろうか。このままでは、確実に1年後には失職する。

 大学の教員事情を少しでも知る人ならば分かると思うが、大学の教員になるのは非常に難しい。

 しばしば、「学位、業績、留学の三種の神器が決め手になる」と言われるがそれは研究者の就職事情に疎い人の空言であり現実は違う。私が眺めてきた限り三種の神器はほとんど関係ない。

 学位が無くても、業績が無くても、留学経験が無くても、人的つながりさえあれば大学の教員にはなれる。

 逆に、学位、業績、留学経験があっても人的つながりが無ければ大学の教員には絶対になれない。

 私の先輩で若くして司法試験に合格し人並に修士号を持ち海外留学の経験もある教員志望者が、結局、ポストが無く法曹になった。

 これとは逆に大卒の学歴しかなく、業績どころの話ではなく論文と呼べるものが一本もない人を教授に採用した大学もある。もちろん留学経験はない。

 私の専門は刑法だが、まず刑法担当教員でポストを探してもほとんど無い。あってもすでに内定者が決まっていて公募が出る。近年、採用の透明性などと言って公募が盛んだが公募のほぼ全ては候補者が決まっている。

 したがって、教員のポストを得るには学会に足しげく通い人脈を広げ、人事に力のある学者にすり寄り、ときには自説を捨て実力者の学説や、いわゆる通説に屈しなければポストは無い。他者の足を引っ張ることも平気でできなければだめだ。

 私が教員になれたのはほとんど偶然だった。幸運というべきだろう。向上心のある健全な友人が先に就職し、彼が栄転する際、私を推薦してくれたのだ。どれほど感謝しても感謝し尽せない。しかし、今度は全く人脈が無いまま荒野に放り出されることになる。(つづく)


「再任拒否」の6(愚か者の回想一)

2020年08月31日 14時54分24秒 | 日記

 六 その直後の教授会で私はこのことについて発言し、執行部と事務局の認識を質した。執行部を代弁した事務局担当者は「通常の成績評価の訂正で問題は無い。担当教員の許可も得ている。」と説明した。

 この説明に手続上の問題が内含されていることに発言者は気付いていない。

 担当教員による成績評価の変更が可能なのは教授会で成績評価簿を確定させる前までだ。教授会で成績評価簿を確定させることで当該科目に関する当該科目担当者の評価は大学の評価となる。したがって、教授会で成績評価簿を確定させた後は当該科目担当者でも当該科目の評価を変えることはできない。先の事務局担当者の説明には公信力を持つ文書に関する認識が欠落している。

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 そうは言うものの、情実が入らない純粋な事務処理上のミスで評価を変えなければならないときもある。その典型例は答案と名簿の照合ミスだ。Aという学生の答案を評価した結果をBという学生の成績表に書き込んでしまったためAという学生とBという学生の成績が正しく記録されていないという場合だ。したがって、誤った評価が50点で正しい評価が80点のときは数字の書き換えができる。ただし、そのことを示す資料が添付された成績評価訂正申請書、またはこれに類する当該科目担当者の成績評価変更の意思を明示する文書が教授会に提出されなければならない。通常この種の場合には変更は可能だが、それでもその変更を可とする教授会の議を経る必要がある。

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 しかし、この場合でも同一人物の評価を評価とは質を異にする「欠席」にかえることは許されない。「欠席」は評価には当たらないからである。この処理は法律以前の問題である。

 私はこの思考過程を教授会で丁寧に説明した。そして、これを放置すれば本学の成績評価について学生諸氏から疑念を持たれる結果となると主張した。しかし、結局この件は「今後気を付けます。」という意味不明な回答で終わった。

 教授会が終わるとすぐ、直近の上司である超有名官僚養成国立大学を定年で退職して降りてきた教授が「何で先に私に言わない。」と高飛車に言ってきた。この教員は私が学生だったときその専門領域では第一人者とされた学者である。「もし先にご相談申し上げたらどうされましたか。」と尋ねると「もちろん、握りつぶすよ。大きくする問題じゃないから。」と高飛車。「だからご相談申し上げなかったんです。」と私。カリスマとして遠くから眺めているだけの方がよかったなと寂しくなった。ちなみに、私が再任を拒否されたとき高飛車も一緒に拒否された。(つづく)


「再任拒否」の5(愚か者の回想一)

2020年08月30日 11時37分02秒 | 日記

五 妻の「やっぱり」にはもう一つ思い当たることがある。

A「あの学生、欠席扱いにしたらしい。」

B「それはおかしいよね。」

 ある日の会議で最後に入室した私にはその会話の意味が分からなかった。「遅くなってすみません。でも、遅刻じゃないですよね。」と私。

A「その遅刻なんだよ。」

B「覚えているかなぁ、今年の夏の試験だけど。あの学生はずいぶん遅刻してきたんだよね。」

C「そうでしたね。私が監督した教室でしたから覚えています。」

D「『どうしますか。』と確認したら、『受けます。』って言ったから受験してもらったんだよね。困ったもんだ。」

「何かあったんですか。」と私。

D「○○先生はその日休みだったのかなぁ。例の予備校の先生をやっている学生のことなんだよ。あの学生ね、英語の単位落としたんだよ。そうしたら教務課に怒鳴り込んで、『あんな短い試験時間で受験させる方が間違っている。』ってね。こっちは本人が『受けます。』って言ったから受験してもらったんで文句を言われる筋合いじゃないよね。だけど、副学長と教務課長が菓子折り持って詫びに行って、不可を欠席に直したらしいんだよね。○○先生、どう思う。」

私「それって、よく分からないんですが、何を詫びに行ったんですか。何か詫びることがあったんですか。」

D「だからさぁ~、いろいろ騒がれると面倒でしょう。それでじゃないかな。」

私「『いろいろ騒がれる』って、騒ぎようがないでしょ。試験ができなくて単位を落としたのに、なんで副学長と教務課長がガン首そろえて菓子折り持って行くんですか。」

D「試験時間が十分無いのに受験させたのは監督者の不手際だっていうことなんだよ。しかも彼は英語の塾を経営しているでしょう。自分でも教えているらしくて。それが英語の試験で不可を取っちゃ洒落にもならんでしょう。」

私「事情は分かりましたけど、さっき『不可を欠席に直した』とかなんとか言ってませんでしたか。」

D「うん、そう。菓子折りを持って行ったとき、『成績評価簿は欠席にしましたから。』って相手さんに言ったそうですよ。それで相手も納得したらしいんだよね。」

私「ちょ、ちょっと待ってくださいね。それって、もしかして成績評価簿を書きかえたってことですか。成績評価簿って教授会で確定させたあれですよね。」

D「そう。」

私「それ違法ですよ。」

D「だよね。私は法律のことはよく分からないが、やはりまずいよね。何とかした方が良いよね、何ともならないと思うけど。」

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 この会議の議題ではないにもかかわらず、この件は大きな問題として会議参加者の記憶に残ることになった。

 

 教授会で確定させた成績評価簿、いわば原本の記載を教授会に諮ることなく書きかえれば有印私文書偽造の罪の問題が生じる。そこまで言わないにしても成績評価簿の、さらに成績評価に対する信頼が害される。大学にとって、成績評価に対する信頼が害されることは致命的だ。(つづく)