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彼は3年生の一学期に入って来た。中間試験で英語が39点だったというのである。私より32点も良い。
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「このままじゃ入れる高校が無い」と保護者が心配されて塾へ連れて来た。しかし、本人にその気はない。
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彼は半ば勉強を諦めかけていた。「どうせやってもできない。」という負の感覚だ。私にも経験がある。
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授業が始まった。教室に入って椅子に座り机に向かっても彼の気持ちは宙に浮いているようであった。
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皆が課題に取り組んでいるときも、黒板の上で回る換気扇をボーッと眺めているように見えた。
最後列に座っていた彼のところへ行き横にしゃがんだ。そして、彼が眺めているであろう換気扇を見ながら小さく声を掛けた。
「分からないところが分からないんだろ。」
ぴくっと反応した。図星だ。
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そうなのである。中学生の英語で点が取れないのは多くの場合「分からないところが分からない」からである。何をどうすればよいのか全く分からないという経験が私にはある。
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彼の学校からは他にも生徒が来ていた。学校では塾の話は厳禁なので彼は知り合いがここにいることに驚いていた。
そしてその知り合いは学校のクラスで一位、二位を争う優等生であった。ちなみに、この一位、二位を争うもう一人もこの塾に来ていた。
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次の授業の日、彼には運悪く試験日となった。試験は30分。終了後直ちに解答の解説。そして合唱大会。例の大声で英文を読む練習である。彼は驚いたようにこの合唱大会を見ていた。そしてさらに、彼が、優等生だと認識していた「知り合い」君もひたすら大声で英文を唱えていた。
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「どうだ。これがうちのやり方だ。君もやってみないか。」そう促してみた。言われてすぐできるものではないが。
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しかし、それから数回授業の日を経った頃だろうか、次の単元の試験日を迎えた。そして合唱大会だ。彼も声を出していた。彼の近くへ行って耳を近づける。「聞こえないなぁ~。」と言うとさらに大きな声で英文を読み始めた。この声に刺激されて他の生徒もボリュームを上げ5分間の大合唱大会が続いた。
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英語は言葉である。何よりも声に出して読まなければ意味が無い。私自身、ドイツ語の勉強では声を出して読んだ。Si先生の大学院のゼミでも声を出して読むことを求められた。
「声を出して読むと内容が分かっているかどうかが分かる。」というのがSi先生のお考えであった。
私もその通りだと思っていた。大学院の後期試験の準備のとき、Os先生の下で勉強をさせていただいたときも英語を声に出して読んだ。
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しかし、39点の彼にはまだ火が付いてはいなかった。待つしかない。急ぐ必要はない。時間はある。
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彼は追試に来ていなかった。何とか引っ張り出したかった。
合否記録を見ると例の優等生がまだ合格してはいなかった。合否記録は生徒の励みとなるよう教室にはり出してあった。
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昨今の個人情報云々がにぎやかなご時世では難しかったかもしれない。
面倒な世の中になったものだ。
何でもかんでも個人情報だのプライバシーだのと秘密にしたがる。
そんな状態では本当の指導なぞできるはずがない。
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もっとも、当時も合否記録の教室内公開については本人と保護者の同意は取っていた。
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たまたま早々と塾に来ていた彼が、掲示してある合否記録を眺めていた。
「どうだ、あいつを超えてみないか。」
隣に立って声を掛けた。
「・・・」
「まあ、いい。追試はいつでも受けられる。気長にやってくれ。何回受けても合格は合格だ。」
「・・・」
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数日後、答案回収箱に彼の追試が入っていた。初めて受けた追試だ。内容は惨憺たるものだった。
しかし、受ける気になっただけでもう十分である。
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この課の追試を受けている生徒はまだ少なかった。そもそも、本試験で合格する者はいないのだから競争は追試から始まるのだ。
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追試後の最初の授業で答案を返却する。同じ日に受けた生徒は複数人いた。彼の答案を一番初めに返却した。「〇〇君、不合格。」いつものように合否を言って返却する。このとき受けた生徒は全員不合格だった。だが、生徒達にとってこの場面では合否はどうでも良い。追試を受けることに意味がある。
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想像して欲しい。毎回平均一文に10~20前後の単語を含む英作文が20前後 B5のわら半紙の両面に印刷されている。
この追試に一回で合格した生徒は私が退職するまでの10数年間に一人しかいない。彼女は中学校を卒業後、学区外の難関高校へ進み現役で東工大に合格した。もっとも、彼女も一回で合格したのは一回だけだった。
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その次の日、彼は追試を受けに来た。偶然、教室にいたのは例の優等生だった。教室に二人きりだ。
直後の授業日に答案を返却した。再び全員不合格である。名前を呼んで返却するので誰が受験したか、誰が合格したかすぐわかる。
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追試は一日に一回しか受けられない。これが約束だ。答案を回収箱に入れた直後に間違いに気が付いてもその日にもう一度受けることはできない。もちろん、回収箱から引っ張り出すことは約束違反だ。
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次の日も彼は早々と塾にやって来た。一番乗りだ。その直後、例の優等生が教室に入って来た。すでに彼は解答モードに入っている。少し遅れて優等生も解答を始めた。教室の端と端に分かれ黙々と答案用紙に文字を書き込んでいる。互いを意識する風は無い。いい景色だった。
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記憶が定かでないが、この試合は5回目くらいに決着した。二人が同時に合格した。優等生にとっては少し手間取った合格だった。彼にとっては大きな一歩となった。初めて英語で100点を取ったのである。何回受けても100点は100点である。だから私は何回目の追試であろうとも全問正解であれば大きく「100」と書いて返却した。
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彼に火が付いた。(つづく)
※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。