退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
ご笑覧あれば大変有り難く存じます。

先生との出会い(45)― 火が付いた ―(愚か者の回想四)

2021年04月29日 19時58分41秒 | 日記

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 彼は3年生の一学期に入って来た。中間試験で英語が39点だったというのである。私より32点も良い。

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 「このままじゃ入れる高校が無い」と保護者が心配されて塾へ連れて来た。しかし、本人にその気はない。

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 彼は半ば勉強を諦めかけていた。「どうせやってもできない。」という負の感覚だ。私にも経験がある。

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 授業が始まった。教室に入って椅子に座り机に向かっても彼の気持ちは宙に浮いているようであった。

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 皆が課題に取り組んでいるときも、黒板の上で回る換気扇をボーッと眺めているように見えた。

 最後列に座っていた彼のところへ行き横にしゃがんだ。そして、彼が眺めているであろう換気扇を見ながら小さく声を掛けた。

 「分からないところが分からないんだろ。」

 ぴくっと反応した。図星だ。

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 そうなのである。中学生の英語で点が取れないのは多くの場合「分からないところが分からない」からである。何をどうすればよいのか全く分からないという経験が私にはある。

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 彼の学校からは他にも生徒が来ていた。学校では塾の話は厳禁なので彼は知り合いがここにいることに驚いていた。

 そしてその知り合いは学校のクラスで一位、二位を争う優等生であった。ちなみに、この一位、二位を争うもう一人もこの塾に来ていた。

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 次の授業の日、彼には運悪く試験日となった。試験は30分。終了後直ちに解答の解説。そして合唱大会。例の大声で英文を読む練習である。彼は驚いたようにこの合唱大会を見ていた。そしてさらに、彼が、優等生だと認識していた「知り合い」君もひたすら大声で英文を唱えていた。

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 「どうだ。これがうちのやり方だ。君もやってみないか。」そう促してみた。言われてすぐできるものではないが。

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 しかし、それから数回授業の日を経った頃だろうか、次の単元の試験日を迎えた。そして合唱大会だ。彼も声を出していた。彼の近くへ行って耳を近づける。「聞こえないなぁ~。」と言うとさらに大きな声で英文を読み始めた。この声に刺激されて他の生徒もボリュームを上げ5分間の大合唱大会が続いた。

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 英語は言葉である。何よりも声に出して読まなければ意味が無い。私自身、ドイツ語の勉強では声を出して読んだ。Si先生の大学院のゼミでも声を出して読むことを求められた。

 「声を出して読むと内容が分かっているかどうかが分かる。」というのがSi先生のお考えであった。

 私もその通りだと思っていた。大学院の後期試験の準備のとき、Os先生の下で勉強をさせていただいたときも英語を声に出して読んだ。

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 しかし、39点の彼にはまだ火が付いてはいなかった。待つしかない。急ぐ必要はない。時間はある。

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 彼は追試に来ていなかった。何とか引っ張り出したかった。

 合否記録を見ると例の優等生がまだ合格してはいなかった。合否記録は生徒の励みとなるよう教室にはり出してあった。

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 昨今の個人情報云々がにぎやかなご時世では難しかったかもしれない。

 面倒な世の中になったものだ。

 何でもかんでも個人情報だのプライバシーだのと秘密にしたがる。

 そんな状態では本当の指導なぞできるはずがない。

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 もっとも、当時も合否記録の教室内公開については本人と保護者の同意は取っていた。

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 たまたま早々と塾に来ていた彼が、掲示してある合否記録を眺めていた。

 「どうだ、あいつを超えてみないか。」

隣に立って声を掛けた。

 「・・・」

 「まあ、いい。追試はいつでも受けられる。気長にやってくれ。何回受けても合格は合格だ。」

 「・・・」

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 数日後、答案回収箱に彼の追試が入っていた。初めて受けた追試だ。内容は惨憺たるものだった。

 しかし、受ける気になっただけでもう十分である。

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 この課の追試を受けている生徒はまだ少なかった。そもそも、本試験で合格する者はいないのだから競争は追試から始まるのだ。

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 追試後の最初の授業で答案を返却する。同じ日に受けた生徒は複数人いた。彼の答案を一番初めに返却した。「〇〇君、不合格。」いつものように合否を言って返却する。このとき受けた生徒は全員不合格だった。だが、生徒達にとってこの場面では合否はどうでも良い。追試を受けることに意味がある。

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 想像して欲しい。毎回平均一文に10~20前後の単語を含む英作文が20前後 B5のわら半紙の両面に印刷されている。

 この追試に一回で合格した生徒は私が退職するまでの10数年間に一人しかいない。彼女は中学校を卒業後、学区外の難関高校へ進み現役で東工大に合格した。もっとも、彼女も一回で合格したのは一回だけだった。

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 その次の日、彼は追試を受けに来た。偶然、教室にいたのは例の優等生だった。教室に二人きりだ。

 直後の授業日に答案を返却した。再び全員不合格である。名前を呼んで返却するので誰が受験したか、誰が合格したかすぐわかる。

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 追試は一日に一回しか受けられない。これが約束だ。答案を回収箱に入れた直後に間違いに気が付いてもその日にもう一度受けることはできない。もちろん、回収箱から引っ張り出すことは約束違反だ。

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 次の日も彼は早々と塾にやって来た。一番乗りだ。その直後、例の優等生が教室に入って来た。すでに彼は解答モードに入っている。少し遅れて優等生も解答を始めた。教室の端と端に分かれ黙々と答案用紙に文字を書き込んでいる。互いを意識する風は無い。いい景色だった。

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 記憶が定かでないが、この試合は5回目くらいに決着した。二人が同時に合格した。優等生にとっては少し手間取った合格だった。彼にとっては大きな一歩となった。初めて英語で100点を取ったのである。何回受けても100点は100点である。だから私は何回目の追試であろうとも全問正解であれば大きく「100」と書いて返却した。

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 彼に火が付いた。(つづく)

 

 ※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。


先生との出会い(44)― 追試 ―(愚か者の回想四)

2021年04月26日 14時40分09秒 | 日記

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 追試という文字は普通名詞だが塾では特別な意味を持った。

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 大学や高校その他で成績が足らない学生諸氏の救済措置として行う追試では、全問正解でも得点は合格最低点の60点が当たり前だ。だが、塾の追試では何度受けても全部できれば100点とした。

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 ちなみに、昔の職場に、「追試でも全問正解ならば100点にすべきだ。」と主張した先生がいた。呆れた。

 単位がかかる正規の試験で「追試でも100点」は呆れる。

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 ところが、「それはおかしい。」という反対意見に対し「なんでですか?」と、100点先生が反撃した。

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 「いやぁ~、だって~、おかしいですよねぇ~。」と、反対派教員群は互いに顔を見やるが説得力をもって再反撃をするものはいなかった。これには更に呆れ、驚いた。

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 100点先生の孤軍奮闘は力強く、危うく「追試でも100点可」で押し切られそうになったので、やむを得ず正義論から説き起こして説明した。

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 「一回目がだめでも、二回目で頑張って全問正解ならば100点にしてもいいじゃないか。問題も違うのだから。」というのが100点先生の教育的配慮に基づく理由だった。

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 しかし、それがなんとなく「違う」ということは誰でもわかるのだが100点先生を納得させる理屈を展開する人はいなかった。それは仲間内の遠慮だったのかもしれない。

 だが、万一「追試でも100点」が通ったらこの大学の成績評価に対する社会的信用は失墜し、本試験で合格した学生諸氏の成績に疑念が持たれかねない。とんでもないことになるところだった。

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 塾の追試では合格点は満点の100点だ。塾だから。

 追試も本試験も試験問題はまったく同じ。この同じ試験問題を塾生は繰り返し、繰り返し、繰り返し解答する。

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 提出された解答用紙を私が採点し返却する。これを合格するまで何度でも何度でも何度でも繰り返す。

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 始めた当初は、「果たしてついてくるかな。」という不安もあった。

 だが、実際に始めてみるとこれが塾生に大いに受けた。

 日頃から成績の良い生徒だけでなく平均点以下でウロウロしていた生徒達にも大いに受けた。

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 「10回で合格した。」

 「俺は21回までねばったぜ!」

 こういう会話が塾にあふれた。

 ただし、学校では絶対に話題にするなと命じた。

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 追試は通常の授業が始まる前の30分間で受験しなければならない。そうでないと通常の授業が遅れるからだ。

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 はじめのうちは問題用紙を束ねて「問題用紙」と書かれた箱に入れていた。しかし、これが非常に使い難いことが分かった。

 すると塾長が多段式の書類ケースを用意してくれた。これを使えば Lesson 1 から直近まで過去の問題用紙を順番に置くことができる。

 塾生は自分が受験する問題をそのケースの引き出しから取り出して解答する。解答し終わった答案は「答案回収箱」に入れる。監督はいない。

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 この仕組は意外な使われ方がされるようになるが、それは後ほど。

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 答案回収箱は私の手作りである。そこらにあった段ボール箱を郵便ポスト状に加工して作った。

 こちらも当初、若干不安があったので箱の上に「この箱を開けてはいけません。」と書いた。しかし、鍵なぞは掛けなかった。そもそも、鍵をかけられるような箱ではなかった。この答案回収箱も大いに受けた。10余年の勤務中、不都合な事態はただの一度も無かった。そして退職するまで同じものを使い続けた。

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 子供たちはゲーム感覚で追試を受けた。なかには塾の無い日に筆記用具だけをもってふらっとやって来て追試を受けて帰って行くものもいた。

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 私が出勤すると答案回収箱がいっぱいになっている。これを取り出して赤ペンで〇を付ける。間違っている箇所には大きく✕をつける。添削はしない。すでに正解は分かっているからだ。

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 〇を付け終わった答案は通常の授業の中で返却した。返却するときは大きな声で「合格」または「不合格」と言って返した。

 このやり方も、当初、「不合格」と言われた生徒が嫌がるかと危惧したがそれは無かった。

 むしろ、日頃、低空飛行をしている生徒が「合格」と言われて答案を返されると拍手がわき起こり、本人はガッツポーズを見せた。時間はかかったが満点なのである。私には満点の経験が無いがさぞや嬉しかったのだろう。

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 時おり答案回収箱にすでに合格した塾生の答案が入っていることがあった。他の答案と同じように添削して返却する。もし間違いがあれば再び全問正解となるまで受けることになる。もっとも、前の合格が取り消されるわけではない。

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 「なぜ、一度合格した単元の追試を受けるのか」と、受験したものに尋ねたことがある。

 「期末対策ですよ。けっこう忘れているんですよねぇ~。」

 なるほど、そういうことか。うまい使い方だ。

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 塾の勉強は学校より先に進む。その為、学校の定期試験の範囲を塾で学習するのが「ずいぶん前」ということが起きる。

 しかし、学校の定期試験なぞ関係なく塾ではどんどん先へ進む。他の塾では学校の定期試験の時期に欠席する生徒がいると聞いたことがあるがこの塾ではそういう塾生はいなかった。

 その代わりというわけではないだろうが、すでに合格した単元の追試を受けて試験対策としていたのである。賢い子はどこまでも賢い。

 多段式の書類ケースのおかげで塾生は自分が弱い部分を自由に強化できるようになっていた。

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 この追試にかかる本試験は各単元が終るごとに私が作成した。設問はすべて英作文だ。

 この頃、中学生にとって最も苦手なのが英作文であった。そこで、英作文を攻略することで英文解釈やその他の問題についてもそれを解く自信がつくと考えた。

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 若い脳みそは刺激さえ与えれば猛烈な勢いで知識を吸収するものだ。

 本試験後の解説では英文を分解して説明した。そして、出来上がった英文と元の日本文を大きな声で読ませた。

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 しばしば耳にする教師の言葉に、「後でよく見直して復習しておきなさい。」というものがある。

 自分の経験からして復習はしない。このセリフは教員の責任逃れでしかない。「復習しておけと言ったのに復習していないから成績が悪いんだ(俺の責任ではない)。」ということだ。

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 塾の講師だろうと学校の教員だろうと知的遺産を伝える立場に就いたならばその知識をキッチリ伝えるのが責務だ。

 だから私はその場で覚えさせることにした。

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 「覚えさせる」というよりは大声で10回以上読ませた。子供たちはこれも遊び感覚で大声を出した。ただし、一斉にそろって言わせるのではない。5分とか3分とか時間を区切り「10回以上できるだけたくさん読め。」と指示をする。早い子も遅い子もいる。隣の子の声に引き込まれないように大声を出す。耳をふさぐのは禁止だ。多くの場合、私も大声を出して一緒に読んだ。当時、私の声は大きく、20人程度の中学生の合唱より大きかった。「俺の声に負けてるぞ。」と言うと塾生はさらに大声を出した。愉快だった。

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 中学生の脳みそはあっという間に英文を暗唱してしまった。これは3年生も変わらなかった。中学3年生ともなると、無邪気さが影をひそめ、照れも混じって大声を出したがらない。

 しかし、こちらの持って行きようで火はつく。一度ついた火は簡単には消えない。関係代名詞が入る少し長めの英文も見事に暗記した。

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 愉快ではないか。「できない子」とレッテルを張られた生徒が、もしクラス一番、学年一番になったら。記憶に残る珍しい例を紹介しておきたい。(つづく)

 

※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。


先生との出会い(43)― by bicycleとby Tokyo ―(愚か者の回想四)

2021年04月23日 17時30分01秒 | 日記

 

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「内容だ。『働き』といってもいい。」

「じゃぁ~、inは?」挑戦的に、そして私を試すように言った。おもしろくなってきた。

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 「inはスッポリ、atはピタだ。ピッタリじゃないぞ、似ているが。of、off、fromはバイバイだ。」

 「それっておもしろいけどわからない。」と女子。

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 「onに戻ろう。ピッタリついている状態を表すのがonだ。だから上でも横でも下でも状態がピッタリならばonだ。電気ごたつの天板の下についている電熱器もonだ。壁にかかっている時計もonだ。a clock on the wallだな。壁にかかっている時計が右に行ったり左に行ったり動いていたら時計を見たとき目が回るだろう。」

 「プッ」と女子が一人笑った。

 彼は黙っている。

 「『~について』は何と言う。」(私)

 「about!」と彼。

 「そうだ、aboutだ。だけどaboutだな。」

 今まで反応していなかった別の女子が黙ったまま大きくうなずきニコッとした。

 「onを辞書で調べてごらん。」

 我先にと辞書のページをめくる彼。

 「onで何を調べるの?」と別の女子。

 「『~について』という意味があるだろう。」

 間をおかず、「あった!」と彼が言う。だが、すぐに「で?『~について』とピッタリとどういう関係があるの?」と不満げだ。

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 私は今までの少し軽い調子を変えてゆっくり話し始めた。

 「onはピッタリ。それは変わらない。ただ、そこからいきなり『~について』につなごうとするからつながらなくなる。分からなくなる。onがピッタリを表すということを、辞書にあるonに関するそのほかの使い方でイメージしてみろ。分かるかな。『~について』、『~に関して』という内容は、人があることにこだわりそこから離れなくなる状態を指している。これもピッタリだ。『こだわり』って分かるかな。あれだ。」

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 これは「On Liberty」を読んだとき実感した。J.S.Millは自由にこだわったのだ。だからあの歴史的名著が生まれたのだと思う。「俺は自由にこだわりがあるんだよ!」とでも言いたかったのだと思う。on libertyダ。

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 「分かった!」彼が言った。このとき以来少しだけ素直になった。

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 「byは?」と、ここまでずっと黙っていた男子がボソッと言った。「byは『~によって』でしょ。だけどby bicycleは『自転車で』でしょ。」

 「by Tokyoはどうする?」(私)

 「エェ~、どうなの?」(別の男子)

 「『東京によって』じゃ変だよね。」と別の女子。

 「『東京によって』の『よって』の漢字は?」(私)

 「・・・」

  黒板に『寄って』と書き、「これならあたりだ。」と言うと、「エ~ッ?」とざわめいた。

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 「『東京で』ではないだろう。辞書で調べてごらん。」

 さすがに速い彼。

 「経由か!」

 「あたりだ!わっかるかなぁ~。」

 「わかる、わかる!」

 「by bicycleは?」

 まだ、困惑している男子がいる。

 「『自転車に乗って行く』というのは自転車『経由』で行くと考えるんだな、『英語人』は。

 「英語人?」と沈黙の女子。

 かかった、と思った。

 「よく気付いたな。そう、『英語人』だ。English speaking people、またはpersonだ。英語を話す人々ってことだ。」

 「で、それが何か?」と彼が言う。「お前はもういいから」と言いたいところだが、ここは我慢して「それは」と言いかけたところで「なるほど」と「沈黙の女子」がうなずいた。

 「何が分かったの?」と彼。

 「そういうことだ。分かるよな。」と「沈黙の女子」に振った後で、「つまり、考え方だ。」と彼に向かって言った。

 英語は得意なようだが頭の切れは「沈黙の女子」の方が数段上だ。彼もこれは分かっているのだが悔しそうだった。

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 「人は言葉で考えるんだ。そうだろう。今、何考えてる?その考えてることを考えるには日本語を使うだろ。人は言葉が無ければ考えられないんだよ。だから人から言葉を奪えば考えること自体も奪うことになる。小学校の国語で『最後の授業』ってやっただろ。覚えているか?」

 返事が無かった。覚えている子が皆無だった。やむを得ずあらすじを話した。

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 「人は言葉で考え、言葉で文化を形成してきた。だから、人から言葉を奪うことは最も悪い行為なんだよな。分かるだろ。」、「人を殺すよりも。」、「うん、人を殺すのと同じくらい悪いことだ。今はそう覚えておけ。」

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 そうしてまたbyの話に戻った。

 「by bicycleのbyを『手段』だと言う人もいるけど『手段』を直で伝える前置詞が別にあるから、『手段』ではないと思う。『経由』の方がわかりやすいだろう。」

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 英語に向ける生徒の関心が格段に向上していった。

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 英語だけでなくすべての科目に対して、「なぜ?」と問うようになった。

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 ただし、それを学校では口に出すなと告げた。「なぜ?」を発見したら塾で私に質問せよと指示した。

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 ちなみに、「なぜ?なぜ?」は私の小学校時代の貧弱な経験がきっかけになっている。

 誰もが持つ疑問だが、私も同じ疑問を持った。

 「1+1」の後ろの「1」と「1×1」の後ろの「1」とはどう違うのか、という疑問だ。

 これを質問したとき先生は、「今は考えなくていい。」と言って答えてくれなかった。学校が嫌いになった。

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 塾では成績を上げる工夫もした。自分の経験から、とにかく反復練習以外にこの種の科目の成績を上げる手段はない。

 しかし、ただ、やみくもに反復しても効果は上がらない。しかも飽きる。間違いが忍び込む危険もある

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 そこで、追試という仕組をつくった。これが当たった。(つづく)

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先生との出会い(42)― 授業を聴いていただく工夫;ピッタリの『on』 ―(愚か者の回想四)

2021年04月18日 00時06分56秒 | 日記

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 そもそも、当時の私は、否、高校生になってからも発音記号の存在すら知らなかった。だから単語の音は感覚で覚えていた。

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 中学校や高校の授業では教えていたはずだ。知らないのは私が授業に集中していなかったからだろう。自分の責任だ。

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 ただ、少しだけ言いたい。

 しばしば、教員は「授業に集中しろ」という。しかし、集中できない授業もある。

 兎にも角にも授業が面白くなかった。全教科、全く興味がわかなかった。

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 しかも、教室内は常にざわついていた。これは高校まで変わらなかった。教室内の静謐を維持するのも教員の役割のはずだが。

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 いずれにせよ、集中なぞできる環境ではなかった。

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 だから、自分が教える立場になってしまったとき、まず考えたことは私の話すことに興味を持ってもらうにはどうしたらよいかということだった。

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 他人が初めて聞く話、それを人がその人たちにするとき、その話に集中してもらうには方法がふたつある、と感じていた。一つは聴衆をひきつける話術。もう一つは「つかみ」だ。

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 恩師のSi先生は寄席に通って話し方を学んだと他から聞いたことがある。話の内容が豊かな先生が話術を落語で鍛えたとあれば誰もが引き込まれるに違いない。

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 先生を褒めるのは不遜なことだが、実にご講義がお上手だった。「流れるような話」とはあのような話し方を言うのだろう、と感じていた。学生諸氏にも大変人気があった。

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 しかし、自分にはあの真似はできない。そこでもう一つ、集中を促す方法として聞き手の知的好奇心を刺激するという方法がある。私はこれを選んだ。寄席の噺で言うならば、いわゆる「つかみ」なのだろうか。

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 塾も大学も同じだ。興味がわかなければどんなに大切な話でも耳には入らない。嫌々聴かされる話は頭には入らない。

 だから、教材にはこだわらず塾生が関心を持ちそうな切り口から入った。

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 発音記号は概ねローマ字なので一年生でも入りやすかったようだ。

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 bookの訳し方の話も受けた。

「book=本」と覚えている子が全員なので、I book.と黒板に書いてみた。

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 「わたしボン!」爆笑だ。

 気のきいた子は「私は本」と首をかしげる。「『は』が無い。」というと、「あっ、そうか。」と納得する。

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 「『予約する』だ。」

 静かになってしまった。ポカンと口を開けたまま固まっている男子もいた。

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 「まぁ~、そういうことだな。bookは『書き込む』という内容が元なんだな。」

 「それが何で本になったの?」と秀才型の女子。

 「書き込んだものをそのままにして置いたら扱いにくいだろ。書き込むことがたくさんあれば書き込む紙も大きくなる。大きいままだと扱いにくい。たたんでたたんで綴じれば本だ。分かるだろう。」

 「そ~か~。」とポカン男子。

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 「英語を勉強し始めた今しかできないから、新しい単語が出てきたらその単語の元の内容を探ってみると良い。おもしろいことが分かるから。」そう言うと別の例をせがむ子がいた。

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 「それはまた後で。別の機会にやろう。」と保留した。こればかりやっていると本来やるべきことができなくなる。

 また、「いつかこの『ゲーム』ができる」と思うと子供たちは切り換える。良い感じだ。

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 ちなみに、その「別の機会」にはこれもまた知る人ぞ知る、「I love you.をどう訳すか。」という話題を提供してみた。1年生も二学期になっていた。

 「私はあなたを愛します。」だけなのか。

 「月がきれい。」は有名だが、それだけなのか。

 ある高名な通訳氏が、「あなた、良い人ね。」と訳したのも有名な話だ。

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 「I love it.はどう訳す。『私はそれを愛しています。』と訳すのか。」とぶつけてみた。

 『I love it.』は、今どきならば、『これやばくねぇ~?』とでも訳す脈絡があるはずだ。

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 この種の問を一年生から三年生まで毎回少しずつぶつけていった。

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 ある時、三年生が前置詞に苦慮していた。

 「何が何だかわからない。頭に入らない。」そう言うので、「何が、何が何だかわからないんだ。」と訊くと、「前置詞ですよ。一つひとつおぼえなきゃいけないんですか。何か『サッと』つかめるところは無いんですか。」と困り切っていた。

 程度の差はあるにせよ3年生全員がその状態だった。

 「分かった、何から始めるか。」

 「onですね。onは上でしょ。なぜテーブルの下もonなんすか。下ならunderでしょ。」半分怒っている。

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 たしかに、教科書のイラストにはテーブルの天板の下についている物の横に「on」と説明が書いてある。

 「onはピッタリだよ。」

 「・・・」

 「だからピッタリ。つまり、動かないでくっ付いている状態をonであらわす。分っかるかなぁ~。」

 「『上』じゃないの?」

 「上にあるときは上でいい。だけど上じゃないときは上じゃないだろう。」

 「何それ?」

 「だからぁ~、ピッタリくっ付いている『状態』を表すのがonだ。『上』と覚えたから混乱するんだよ。」

 「『上』って習ったもん。」

 「俺じゃないな。とにかく単語は訳で覚えるな。内容で覚えろ。」

 「・・・」

 「訳で覚えるから忘れることもあるし応用がきかなくなる。」

 3年生はこのとき、まだ私に対して不信感があった。2年間指導を受けた先生が突然いなくなり若造が出て来たのだから無理もない。

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 中でも最も私に不信感を抱いていた男子が向き直った。彼は英語が得意だった。

 「訳で覚えなければ何で覚えるのさ。」不満そうに鋭く言った。(つづく)

 

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先生との出会い(41)―「æ」、「ʌ」、「ʃ」、「ŋ」、「ɔ」―(愚か者の回想四)

2021年04月13日 19時52分43秒 | 日記

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 「bookは『本』としか訳さないのかな?」と問うてみた。

 「book=本」だと当たり前に覚えていた子が動転した。

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 塾では1年生から、私が大学に入って初めて手にした英和中辞典を準備してもらった。

 学校では使わないし必要もない。だから準備しないものもいた。

 しかし、絶対に必要なものだと言って準備させた。保護者に伝われば必ず購入するはずだ。もっとも、購入代金を着服したものもいた。この点は塾が関知することではない。

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 辞書は、いわばパーソナルな学習用具だ。教科書やノートと同じで共用はできないし、すべきでもない。したがって、貸し借りは禁じた。少しかわいそうなときもあった。

 しかし、こうすることで早い時期から辞書に慣れてもらうことができた。

~~~

 bookを辞書で調べてもらった。買ってもらった新しいオモチャの箱を空けるみたいに辞書を箱から出しページをめくっていた。

 そのしぐさが何とも表現できないほど初々しく可愛かった。

 「みつかったら手をあげてくれ。」と告げていたので、「はい、みつかりました!」と次々に手があがった。

 「『本』という意味しかないかな?」と問うと、「はい、『本』という意味しかありません。」という声が元気な生徒から帰って来た。「本当かぁ~?」と問い直すと女子群が爆笑した。「本当かぁ~?」をダジャレと取ったらしい。すでに何を見ても可笑しく感じる時期に来つつあった。

~~~

 ボーッとしている男子に、「bookは見つかったかな?」と尋ねると、「どうやって探すんですか?」と問われた。

 その通りだ。辞書の使い方は習わなければ分からない。そこで、辞書の使い方講習会に移った。

~~~

 「分からない単語を探せばいいんだよ。」と元気な女子が言った。

 「それだけかな?」と問うてみた。

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 少し前までは小学生だ。難しいことを言えば飽きる。しかし、ごまかしはいけない。

 そこで、辞書の文字列の組み立てを説明した。

 「見出し語の次にあるのが発音記号だ。それから・・・」

 「なんだ『発音記号』って。」すかさず男子が声を張る。 

 「良い質問だ!bookの後ろにカギカッコで何か書いてあるだろう。」と言いながら黒板に「book[buk]」と書いた。

 「『発音記号』っていうのは英単語の読み方を記号で示したものだ。」

 「なぁ~んだ、ふりがなか。」

 この発想がいい。

 「ローマ字かぁ~?」

 「とも言えるがローマ字には無い記号もある。」

と言って、黒板に、「æ」、「ʌ」、「ʃ」、「ŋ」、「ɔ」、他を書き実際に発音して見せた。

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 こんなに受けるとは思わなかった。一年生はゲラゲラ笑い、勝手に私のマネをして音を出した。

 一年生の一学期である。まだ、これらの発音を含む単語なぞ出て来ていない。そこで、日本語になっていて、これらの発音を含む単語を黒板に書いた。

 「æはbagのaだ。カバンだな。バッグじゃないぞ、バァェッグだ。catのaも同じだ。キャットじゃなくて、キァエットだ。」

 bagとcatの発音を含め、このやり取りを文字化するのは困難なので想像にお任せするが、この練習も一年生には受けた。とりわけ男子のノリが良かった。

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 「あとは!」と、他の発音記号を含む単語をせがむので順番に代表的な簡単な単語を並べた。

 「[ʌ]はcutだな。『~を切る』だ。catと一文字違いだけど発音は違う。これは日本語のアとほぼ同じだな。カットでOK。」

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 「左から三つめは?」

 「これか?これはsheのsの音だ。日本語の『シ』ではない。」

 口を少しとがらせてsheを発音した。

 「sheは発音記号で書くと[ʃi:]だ。日本語の『シ』に近い音は海のseaだ。seaを発音記号で書くと[si:]だ。『見る』という意味のseeも同じ発音だ。」

 そう言って口を横に引いてseaを発音し、その後、sheとseaを繰り返し発音した。

 「[ʃ]は[s]を上下に引っ張った形だ。分かるだろ。」と説明を加えたが、すでに大合唱が続いていた。

~~~

 「4番目は?」

 「これか?これはsongのgの音だ。songを発音記号で書くと[sɔ:ŋ]だな。」

 「cのさかさまも入っているんだ。」と女子。

 [:]を指して、「チョンチョンは?」

 「これは伸ばす記号。」

 「ŋはn+gだな。鼻にかかる『グ』だ。『ング、ング』。」と私が鼻にかけて音を出すと男子が腹を抱えて笑い、「やってごらん」と言わなくても勝手に各自で音を出していた。実に楽しそうだった。自分の中学時代には想像もできない時間と空間だった。

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 私が中学生のとき定期試験の発音問題は全滅だった。高校入試も同じだった。(つづく)

 

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