「『辞表』を持って来い。」(終)(愚か者の回想二)
(「『辞表』を持って来い。」はファンタジーです。実在する個人及び団体とは一切関係ありません。)
8.かくして翌日の午後、使者が来た。
~~~ 以下再掲 ~~~
その日もいつもと変わらず少ない人数ながら優秀な学生諸氏を相手に法学の講義をしていた。講義時間が終わるまでまだ数分あるのに後方の出入口から人が入ってきた。学生でないことはすぐに分かった。職員である。講義中に無作法なことをするものだ。
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ほどなく講義は終わり学生諸氏が退出した後、この職員が教壇に向かってゆっくり近づいてきた。何とも気まずい雰囲気をまとい、足取りは重そうだった。教卓の向こうで足を止めたのでこちらから声をかけた。
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「退職願を出せと言っていますか。」と私。
「はい。学長が辞表を持って来いと言っています。」と職員。
「いいでしょう。私は私が持つすべての知識と人的資源を使って戦います。学長にはそう伝えてください。よろしくお願いします。」と私。
「はい、分かりました。」と職員。
~~~ 以上再掲 ~~~
出勤日は講義のあるときだけ。それ以外の日は自宅か学会の研究会に出席するというのが私の勤務状況であった。これは社会科学系教員として至極当然の勤務形態だ。とりわけ法学系教員では、毎日出校し研究室にいるものは無能だと評価されるのが普通だ。
今でこそインターネットを使えばある程度情報収集は可能だが、少し前までは裁判所、警察、繁華街等々関係する場所へ直接出向き調査をし、あるいは研究会に参加するという行動が法学系研究者の当たり前の日課であった。今も、インターネット情報がすこぶる不正確であるので現場主義は変わらない。
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これに対して、この大学は理系である。理系教員は大学の研究室や実験室にこもるのが常態らしい。したがって、出勤簿には出勤を示す印が並ぶ。私のそれには自宅研修を表す「宅研」の文字が並んでいた。このことも相まってか、本件は私を退職させるのによい口実でもあった。
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この日の翌日は宅研である。珍しく8時30分頃携帯電話に着信があった。
「はい、Hです。おはようございます。」
「あぁ~、モシモシ、おはようございます。Yです。昨日はどうも。」
「はい、何か。」
「あのですね、あの件、昨日の件ですが無かったことにしてくれと学長が言っています。今後も本学のために尽力してほしいそうです。」
「わっかりましたぁ~。よろしく~。」
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何ともだらしない幕引きであった。拍子抜けするとはこういうことか。とはいえ、一家が路頭に迷うことは避けられた。有り難い。
昨日のうちに事情を伝え、方針を検討してもらっていた友人の弁護士に断りの電話をした。
しかし、これが引きずっていた。(終)
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