退屈男の愚痴三昧

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先生との出会い(33)― 排除法則 ―(愚か者の回想四)

2021年02月16日 19時34分40秒 | 日記

 つまり、すでに1791年の時点で権利章典規定は成立しており、したがって、日本国憲法31条から39条の権利保障は修正規定として存在している。

 それなのに1865年まで奴隷制度が残っていたのは、奴隷州において奴隷は「citizens」ではなかったからだ。

 自州のcitizensとするかしないかは主権を持つ各州に委ねられていた。

 citizensでなければそのものに権利章典規定は及ばない。

 奴隷をcitizensではないと宣言すれば奴隷制度を維持できた。

 これが米国型連邦制なのである。

 日本人には不可解かもしれないが米国型連邦制ではこの結論は至極当前ということになる。

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 そこで、この不合理を打破するために、第14修正はpersonsという概念を使った。

 personsはcitizensを包摂する上位概念である。

 citizensはpersonsに付与される、いわば資格や身分を包含した概念なのでその元となるpersonsの文字を使えば人種でcitizensに保障される権利を制限することはできないことになる。まさに英知だ。

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 第14修正はこれに続き、「No State shall make or enforce any law which shall abridge the privileges or immunities of citizens of the United States; nor shall any State deprive any person of life, liberty, or property, without due process of law; nor deny to any person within its jurisdiction the equal protection of the laws.」(「いかなる州も、合衆国市民の特権または『法律上の免責事由』(immunities)を制限する法律を制定し、または実施してはならない。いかなる州も、『法の適正な手続』(due process of law)によらずして何人からもその生命、自由または財産を奪ってはならない。いかなる州も、その管轄内にある者に対し法の平等な保護を否定してはならない。」)と規定する。この部分は第5修正とほぼ同じ文言だ。

 法の適正手続(due process of law)の部分を単純に抜き出すとこの二つの修正規定は、

Amendment XIV:

No State shall deprive any person of life, liberty, or property, without due process of law.

「いかなる州も、法の適正な手続によらずに、何人からもその生命、自由または財産を奪ってはならない。」となり、

Amendment V:

No person shall be deprived of life, liberty, or property, without due process of law.

「何人も、法の適正な手続によらずに、生命、自由または財産を奪われることはない。」となる。

 一見、中学英語で登場する受動態と能動態の違いしかないように見える。

 これも建国史や憲法制定経緯を知らないと「なぜ同じ文言の修正規定があるのだろうか。」という疑問につながる。

 だが、この疑問はすでに眺めた米国型連邦制の仕組みを知れば氷解するであろう。第14修正はStateに対し強いメッセージを送っていると言ってよい。

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 ちなみに、これらの修正規定を「修正第〇条」と言ったり書いたりする人がいる。だが、それは間違いだ。

 元の文字列は、第4修正ならばthe Fourth Amendmentだ。これを第4条と訳すことはありえない。英語の試験ならば0点だ。ちなみに、Amendment4. と書くときや短縮してAm.4と書くときがある。これを「修正第4」と読むのは正しい。しかし、「条」を付けてはいけない。

 米合衆国憲法には正しく「条」と訳すべきArticleの文字が本文に並んでいる。

 「修正第4条」などと発言する人に、口頭で上記のように卑見を述べると、「細かすぎる。そんなことはどうでもいい。」と腹を立ててゴマカス人もいる。官僚上がりの横滑り教員に多い。

 違うものは違う。

 中には「『修正』という文字を付けているのだから間違いとは言えない。」と真顔でいう人がいる。

 だが、一回の議会承認で、順序がある複数の事項を一括して修正として制定したのであればそれも分かる。

 だが、米合衆国憲法の修正規定はそのような仕方では制定されてはいない。したがって、この解釈も違う。

 こだわり過ぎだという人がいるが私はそうは思わない。

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 ついでながら、日本法の「条」には論理的な順序がある。

 意外にも、若手研究者の中に気付いていない人が少なくないことに驚く。皆さまはご存じだろうか。

 たとえば、刑法の第三十六章には「窃盗及び強盗の罪」が規定され、第三十七章には「詐欺及び恐喝の罪」、第三十八章には「横領の罪」、第三十九章「盗品等に関する罪」、そして第四十章には「毀棄及び隠匿の罪」がそれぞれ条を分けて規定されている。

 日本の法典は、基本的には抽象的事項(総則)から具体的事項(各則)へ、基本形から変化形へ、重から軽へと条文が並ぶ。

 例えば、刑法典の「財産に対する罪」では、行為態様において基本的なもの(例:窃盗)から変化したもの(例:強盗や詐欺)へ、重いもの(例:強盗)から軽いもの(例:隠匿)へと並んでいる。

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 これは一つの条文の中でも当てはまる。

 「項」という文字は多くの人が知っているが、議会で法案が審議され可決し成立した法律に「項」を示す数字がないことはあまり知られてはいない。

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 一つの条文の中に複数の区切られた文がある場合、市販の法令集では見やすいように順番に番号が振られる。これが「項」だ。

 だが、元は一つなので番号が振られた第二文(第二項)や第三文(第三項)から条文を考えることは論理的に出来ない。

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 たとえば、多くの人が正当防衛という言葉を耳にしたことがあるだろう。過剰防衛という言葉も同じくらい有名だ。

 しかし、過剰防衛は正当防衛を規定する刑法第36条の第二文、つまり第二項に置かれている。

 したがって、第一項の正当防衛事情が無ければ過剰防衛を論じる余地はない。

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 また、正当防衛を規定する第一項の文字列にも論理的な順序がある。同項には「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。」との文字が並ぶ。

 正当防衛が認められるためには「急迫不正の侵害」があることが大前提となる。そして、その「侵害」は「急迫」でなければならない。

 「急迫」ではない「不正の侵害」には正当防衛はできない。日本の刑法学者が大好きなドイツ刑法では正当防衛ではなく「緊急防衛」と訳すべき文字(Notwehr)が使われている。

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 さて、では、ここでいう「急迫」とはどの程度の接近性を言うのだろうか。当然のことながら、明らかな過去や未来は排除される。

 しかし、判例によれば「不正の侵害」が『現在』することまでは求められてはいない。

 抽象的過ぎて分かり難い。多謝。

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 たとえば、悪い例だがケンカを例にしてみよう。

 しばしば「一発殴られてからならいくら反撃しても正当防衛になる」と主張する人がいる。だが、それは違う。

 軽微な先制攻撃に対して重大な反撃をすれば過剰防衛ではなく普通に暴行罪や傷害罪が成立する。

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 他方、判例は侵害が目前に迫っているときは「急迫」に当たるとの判断を示している。

 「目前」とは、相手が攻撃態勢に入りこちらに殴り掛かって来たときをいう。

 このときは「急迫」要件を満たすので反撃ができる。

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 それた道からさらに道がそれた。「ダーティーハリー」(☆)に帰ろう。

 米合衆国憲法第4修正は日本国憲法第33条及び第35条、第5修正は同じく第29条、第31条、第32条、第38条、第39条、第6修正は同じく第34条、第37条の内容を含んでいる。

 したがって、「米合衆国憲法第4、第5、第6修正違反だ。」と言われたことは、捜査活動で遵守すべきすべての憲法上の義務に違反したということになる。

 personの側から見れば権利章典規定に掲げられたすべての権利を侵害されたことになる。

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 この頃、米国では警察による市民の権利侵害が大きな問題となっていた。

 そして、これを止める対策として米合衆国最高裁判所は、後に一部の学者や警察実務から「劇薬」だと激しく批判される『排除法則』(the Exclusionary Rule)と呼ばれる強烈な準則を宣言したのである。(つづく)

 

※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。



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