6.この年のパレードではほとんど担がなかった。それが作法だと考えた。立場を入れかえれば当然わかることだ。終始眺めていた私に別の役員が「先生、入りなよぉ~。」と言って、明らかに接待と分かる仕方で前真棒の最前部に入れてくれた。しかし、すぐに押し出された。こうして記念すべき初めての御神輿参加が無事終わった。
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秋も過ぎこの町の御神輿の季節が去った。私は大学の袢纏をつくることにした。敏腕の職員が力を尽くしてくれた。大学の予算で祭袢纏をつくる。ちょっと考え難いことだ。しかし、担当職員は言い放った。
「この町は祭が盛んだ。海外からも留学生が来る。式典もある。そんなときに使えるものでなければ作る意味がない。スーパーのバーゲンセールで店員が着るような安物では大学の恥だ。」
みごとな論陣を張り経理を納得させた。予算が付いた。市内の呉服屋へ話を持ち込んだ。
この店のショーウインドーには季節になると祭袢纏がたくさん飾られる。同好会がこの店で作った袢纏だ。お店の佇まいからして老舗である。袢纏で最も重要な背柄は大学名とし、この町の名を短冊で斜めに入れた。色は濃い緑。毎年5枚4年間で20枚つくることになった。これとは別に襟に自分の名を入れた袢纏を妻のものと併せて2枚自腹で作った。
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年が明けた。袢纏が出来上がってきた。良い出来だ。値も良い。自腹の部分はキツイが、まぁ、いいだろう。
背柄は、お世辞にもカッコいいとは言えない。大学名が江戸文字の漢字で縦に二行に渡って5個並ぶ。中央の短冊でかろうじて祭袢纏らしさを維持していた。
年度が替わり祭の季節が始まる。それに先立ち開学祭が行われた。どうやら地元住民と折り合いがついたようでメインキャンパスが完成していた。そして、市の職員と本学職員を兼務する人の肝いりでこのキャンパスで御神輿渡御が行われた。
C大袢纏のデビューである。この町へ来る前から知り合いだった隣の市に住む仲間たちが遊びに来てくれた。そのうちの数名はC大袢纏を羽織ってくれた。嬉しい。有り難い。学内の外周を一周するだけの渡御であったがこれには大変大きな意味があった。
ちなみに、式も盛大であったらしい。聞くところによると後の総理大臣も式典と祝賀会に参列していたらしい。私には関係ない。
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すでにこの頃、私を引き受けてくれたM宮の担ぎ手を中心にこの町の神輿仲間は急速に増えていた。私は名刺を配りまくっていた。パソコンとプリンターで作る自家製名刺だ。大学の公式デザインの裏に袢纏の背柄を刷り込み個人の連絡先も入れた。半纏を着た自分の顔写真も入れた。自分のためではない。大学に対する負のイメージを変えるためだ。否、大学自体はどうでも良い。大切なのは学生諸氏だ。大学に対する負のイメージが変われば学生諸氏に向く目も変わるだろう。
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この大学は関東では後発の弱小小規模大学だ。しかし、学生を確保するには全国に入試会場を展開し、全国から学生を受け入れざるを得ない。もちろん留学生で埋めざるを得ない席もある。この環境を良好なものに維持するには地元の協力は絶対不可欠だ。
もとより、地元というのは役所ではない。住民だ。誘致段階では、「高齢化が進む町に若い学生があふれる。」、「学生専用マンションをつくれば常に満室だ。」というプラスの掛け声が多かった。
だが、ふたを開けてみると町が学生で賑わうことは無く、学生専用マンションも空き室が目立った。当初の負のイメージとは異質な、現実の負の評価が広がりつつあった。
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もとより、「大学のイメージアップ」なぞ一介の平教員が関心を持つ必要は無い。事実、私のような行動をしている教員は私を除き皆無だった。
しかし、はるか遠くから単身で子供をこの地に送り出した親の気持ちを想うと教員として自分にできることがあるならばやるべきだと無条件に考えていた。ずいぶん持出しもあったが。
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5月になった。祭の季節が始まる。一年の最初に上がる神輿がM宮だ。二年目のこの年、私は学内に神輿同好会をつくった。入会するものも二名いた。嬉しい。この二名は開学祭で初めて御神輿を担いだ。そして、5月の御神輿渡御に参加した。
「おぉ~、センセイ、半纏つくったんだ。」と声をかけてくれる人もいた。嬉しい。「本気じゃねぇ~か。」と言ってくれる人もいた。
大学の干乾びた教員が興味半分で担ぎに来ても早々に退散すると思っていた人もいたようだ。実際、昨年のパレードではほとんど肩を入れなかったのであるからそう思われても仕方がない。また、干乾びているのも事実だ。
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昨年は、パレード以降も、あればあるだけ妻と二人で御神輿渡御に参加した。行き会う人すべてに挨拶し自己紹介をし「うちの学生をよろしくお願いします。」と頼んだ。5月の祭の頃には連合会にも入れていただいていた。もちろん年会費は自腹だが。
開学祭は番外だ。大学の袢纏で初めて参加する御神輿渡御がM宮の御神輿となった。
事件はこの年の初夏に起きた。(つづく)
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