距離を置くと見えてくるものがあるものですね。
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数年前までほぼ一年中お祭りのお神輿渡御にお邪魔に上がっていました。ところが、あることが契機となって距離を置くことになりました。
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そのようにして遠くから眺めているとそれまでは見えていなかったことが見えてきて恥ずかしくなり後悔するばかりです。
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愚輩がお邪魔に上がって来たところばかりでなく知人を通じて見聞きした東京以外の場所でも、いわゆる「東京者」の存在が難しい事態を惹き起こしていることに気付きました。
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地方には地方の担ぎ方があることは教えて頂いていたので知っていました。しかし、それに加えてそれぞれに「遊び方」があることまでは知りませんでした。
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東京者はお神輿を上げることに意を注いでいるようです。愚輩もそうでした。
お神輿が低くなって、担いでいる人が重そうにしているとき、スッと上げると「ワー」っと歓声が上がりお神輿はみごとに持ち上がりきれいに進んで行きました。
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そんな光景を目にするたびに、「自分もいつかあのひとのようになりたい。」と感じたものでした。
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ところが、このとき、お神輿が上がった瞬間、数人の人がお神輿から離れて行ったのですが、そんな様を何度も目にしていたのに当時はあまり気になりませんでした。
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その本当の意味を知るには距離が必要だったようです。
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いわゆる同好会が地元の人を排除してしまったり乱闘騒ぎを起こしたりしてお祭を台無しにしてしまったという話はよく耳にします。あってはならないことだと思います。
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ところが、こうした反社会的勢力が背後にいたり、武闘系と呼ばれる同好会でなくても、そして地元の人を排除しなくても、また乱闘騒ぎを起こさなくても地方のお祭を台無しにしていることがあることに気づかされました。
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御神輿が落ちているならば、落ちているなりにそこで楽しく遊んでいる人がいるのですね。
「重かったねぇ~」、「肩が真っ赤になっちゃった!」、「腰が痛くて明日は仕事にならないよ!」などとヒーヒー言いながらも笑顔でその痛さ自体を楽しむ。それがその土地のお祭の遊びなのですね。
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担ぎ手がまったく集まらず神輿を出せないという場所ならばいざ知らずそれなりに渡御しているお祭では上げることに専念する東京者は大層迷惑であったことが分かります。
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しかし、地元の人は不満を口に出さないのですね。
「せっかく遠くから来てくれたのだから楽しんで行ってくださいね。」というばかりです。
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そう言われるとそれを真に受けてそれ以上に頑張ってしまう人がいるのです。
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宮出しから宮入まで特段大きなもめ事もなく無事終了し、「お疲れさまでしたぁ~。」と言われて帰って行く人。その人の耳には後ろで「ここの神輿も『東京かぶれ』ばっかしになっちゃったね。面白くないね。」とささやく声はとどいているはずもありません。
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こんなところにも「東京優位」の文化が流れ込み、そのようにして地方の活性化が遅滞するのだと実感しました。
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その土地その土地には、その土地その土地のお祭があり、その土地その土地の遊び方があるようです。
担ぎ方は似ていてもその遊び方を知らないと本当に「お邪魔」に上がることになってしまうようだと感じました。
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東京人には東京人がまったく気づかない傲慢さがあるようです。
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地方へ行ったら、たまに振り返り、刺すような視線が自分に注がれていないか注意して眺めるのも必要なのだと感じました。
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ちなみに、興味深いことを思い出しました。愚輩が2004年からほぼ毎年お邪魔に上がっていた銚子のお神輿渡御で、ある年、地元でお店を営む友人と行き会いました。彼はお神輿に目をやり「あぁ~、担ぎ屋さんだ。」と言いました。その時、担いでいた人たちはほぼ地元の神輿好きの人たちでした。しかし、彼には「担ぎ屋さん」に見えたのですね。
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銚子ばかりでなく愚輩が知る多くの町で「担ぎ手募集」のポスターを目にします。しかし、それでも地元から「担ぎ手」に手を挙げる人は少ないと聞いています。
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「あぁ~、担ぎ屋さんだ。」の言葉に象徴されるように、お祭が地元から離れ一部の愛好家に占有されているとの認識があると、ますます地元から手を挙げる人が減ってしまうのかと愚考しております。
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お祭は「根拠のない大量消費と集団見合だ。」と昔どこかの長老から聞いたことがあります。
こうした役割を果たすお祭が「悪気の無い善良な『担ぎ屋さん』」によって台無しになることがあれば悲しいことです。
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お祭から少し離れ、それなのに寂しくなく後悔もない。「なぜだろう」と一人でもやもやと悩んでいたことが見えてきたような気がしました。
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ここ数か月の間にふつふつとわいてきた思い、離れて初めて分かる遠くからの景色でした。「担ぎ屋」である前に「助っ人」を目指したく存じます。
浅学非才愚考卑見雑感駄文多謝
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数年前までほぼ一年中お祭りのお神輿渡御にお邪魔に上がっていました。ところが、あることが契機となって距離を置くことになりました。
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そのようにして遠くから眺めているとそれまでは見えていなかったことが見えてきて恥ずかしくなり後悔するばかりです。
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愚輩がお邪魔に上がって来たところばかりでなく知人を通じて見聞きした東京以外の場所でも、いわゆる「東京者」の存在が難しい事態を惹き起こしていることに気付きました。
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地方には地方の担ぎ方があることは教えて頂いていたので知っていました。しかし、それに加えてそれぞれに「遊び方」があることまでは知りませんでした。
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東京者はお神輿を上げることに意を注いでいるようです。愚輩もそうでした。
お神輿が低くなって、担いでいる人が重そうにしているとき、スッと上げると「ワー」っと歓声が上がりお神輿はみごとに持ち上がりきれいに進んで行きました。
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そんな光景を目にするたびに、「自分もいつかあのひとのようになりたい。」と感じたものでした。
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ところが、このとき、お神輿が上がった瞬間、数人の人がお神輿から離れて行ったのですが、そんな様を何度も目にしていたのに当時はあまり気になりませんでした。
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その本当の意味を知るには距離が必要だったようです。
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いわゆる同好会が地元の人を排除してしまったり乱闘騒ぎを起こしたりしてお祭を台無しにしてしまったという話はよく耳にします。あってはならないことだと思います。
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ところが、こうした反社会的勢力が背後にいたり、武闘系と呼ばれる同好会でなくても、そして地元の人を排除しなくても、また乱闘騒ぎを起こさなくても地方のお祭を台無しにしていることがあることに気づかされました。
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御神輿が落ちているならば、落ちているなりにそこで楽しく遊んでいる人がいるのですね。
「重かったねぇ~」、「肩が真っ赤になっちゃった!」、「腰が痛くて明日は仕事にならないよ!」などとヒーヒー言いながらも笑顔でその痛さ自体を楽しむ。それがその土地のお祭の遊びなのですね。
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担ぎ手がまったく集まらず神輿を出せないという場所ならばいざ知らずそれなりに渡御しているお祭では上げることに専念する東京者は大層迷惑であったことが分かります。
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しかし、地元の人は不満を口に出さないのですね。
「せっかく遠くから来てくれたのだから楽しんで行ってくださいね。」というばかりです。
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そう言われるとそれを真に受けてそれ以上に頑張ってしまう人がいるのです。
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宮出しから宮入まで特段大きなもめ事もなく無事終了し、「お疲れさまでしたぁ~。」と言われて帰って行く人。その人の耳には後ろで「ここの神輿も『東京かぶれ』ばっかしになっちゃったね。面白くないね。」とささやく声はとどいているはずもありません。
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こんなところにも「東京優位」の文化が流れ込み、そのようにして地方の活性化が遅滞するのだと実感しました。
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その土地その土地には、その土地その土地のお祭があり、その土地その土地の遊び方があるようです。
担ぎ方は似ていてもその遊び方を知らないと本当に「お邪魔」に上がることになってしまうようだと感じました。
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東京人には東京人がまったく気づかない傲慢さがあるようです。
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地方へ行ったら、たまに振り返り、刺すような視線が自分に注がれていないか注意して眺めるのも必要なのだと感じました。
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ちなみに、興味深いことを思い出しました。愚輩が2004年からほぼ毎年お邪魔に上がっていた銚子のお神輿渡御で、ある年、地元でお店を営む友人と行き会いました。彼はお神輿に目をやり「あぁ~、担ぎ屋さんだ。」と言いました。その時、担いでいた人たちはほぼ地元の神輿好きの人たちでした。しかし、彼には「担ぎ屋さん」に見えたのですね。
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銚子ばかりでなく愚輩が知る多くの町で「担ぎ手募集」のポスターを目にします。しかし、それでも地元から「担ぎ手」に手を挙げる人は少ないと聞いています。
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「あぁ~、担ぎ屋さんだ。」の言葉に象徴されるように、お祭が地元から離れ一部の愛好家に占有されているとの認識があると、ますます地元から手を挙げる人が減ってしまうのかと愚考しております。
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お祭は「根拠のない大量消費と集団見合だ。」と昔どこかの長老から聞いたことがあります。
こうした役割を果たすお祭が「悪気の無い善良な『担ぎ屋さん』」によって台無しになることがあれば悲しいことです。
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お祭から少し離れ、それなのに寂しくなく後悔もない。「なぜだろう」と一人でもやもやと悩んでいたことが見えてきたような気がしました。
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ここ数か月の間にふつふつとわいてきた思い、離れて初めて分かる遠くからの景色でした。「担ぎ屋」である前に「助っ人」を目指したく存じます。
浅学非才愚考卑見雑感駄文多謝
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