ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

世界の測量 ガウスとフンボルトの物語

2020年05月04日 | 映画評じゃないけど篇


アマゾンにはコンテンツを提供しないという、最近にしては珍しい骨太なポリシーを貫いている三修社から出版されている本書は、本国ドイツのみならず世界各国でベストセラーを記録した哲学的冒険小説。登場人物の会話をあえて「」書きにしない間接話法を用いた訳者先生の翻訳も、伝記部分と創作部分の境界をあえてあいまいにしている本書のモキュメンタリーな雰囲気をうまく伝えられていると思う。

哲学界の革命児マルクス・ガブリエルと著者ダニエル・ケールマンの対談番組をたまたまTVで見たのだが、カントを引き合いに“倫理感”の必要性を二人してやたらと強調していたのを覚えている。それを本書の中にあてはめるとしたら、人が未知なるものを発見した時それを科学的に測量し解明しないではいられない“使命感”のようなことになるのではないか。本書のあとがきでケールマン自身も述べていた、脇目もふらず目標に猪突猛進する“ドイツ的なもの”と言い換えることができるのかもしれない。

地球水成論の真偽を確かめるために蚊の大軍に襲われ全身血だらけになりながらアマゾン川を遡り、現地人から渡された毒矢の成分を確かめるべくそれを味見したり、高山病でフラフラになりながらも世界最高所(と信じられていた場所)で気圧を計ろうとしたフンボルト。はじめて乗った気球から眺めた風景からすべての平行線は交わる?ことを理解し、結婚初夜にいきなり数式を思いつき新婦をベッドに置き去りに、そしてナポレオンがゲッティンゲンを攻撃しなかったのは自分がそこにいたからだとかたくなに信じるガウス。

方や世界の果てに実際に赴いて測量収集に励んだ冒険家、方や代数学や幾何学にとどまらず天文学にいたるまでたぐいまれなる発見をほぼゲッティンゲンを出ることなく頭の中だけで抽象化しその計算を成し遂げた天才である。一見すると交わりのない二人の天才が、ガウスが気球上で思いついたという非ユークリッド幾何学における“平行線”のごとく、人生のある時点で濃密に交わっていたのではないか。そんな仮定に基づいて編まれた小説が本書といえるだろう。

書簡のやりとりを通じて両天才の間に実際交遊関係はあったらしい。生涯妻をめとることのなかったフンボルトが、本書の記述どおりゲイであったかどうかは想像におまかせするとしても、我々のような凡人からながめれば奇人としか映らないフンボルトとガウスの間に、お互いがお互いを認め合う友情めいた関係性が築かれていたとしても不思議ではないのである。
 
凡人が見るとなんの変哲もない陳腐な地球そして天空の風景が、好奇心のかたまりのような天才が観察するとまったく違った風景に変化する。その異常なほどのギャップ感がとてもユーモラスに描かれていて、本書の魅力にもなっているのである。やがて自分たちを追い越す後人があらわれ、この世のすべてが明らかになることを予言して逝った2人。そんな2人の天才にとって人生はあまりにも短かすぎたのだろうか。いやいや世界がまだ未知にあふれていたあの時代だったからこそ、フンボルトとガウスは自らの好奇心をフル回転させて完全燃焼することができたのではないだろうか。

世界の測量 ガウスとフンボルトの物語
著者 ダニエル・ケールマン(三修社)
[オススメ度 ]

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