
カール・テオ・ドライヤー監督『裁かるるジャンヌ』を表現主義的と批判したブレッソンは、過剰な演技や演出を本シネマトグラフから極限まで削ぎ落とし、(一応)長編と呼べる彼の作品の中でも特に短い62分という尺におさめている。ジャンヌダルクの異端裁判についてはフランス人にとって常識中の常識らしくその歴史的経緯は本作においてあえて省略されているため、世界史に疎い自分が見ると少々とっつきにくい印象を受ける。
イングランド軍に包囲されたオルレアンを解放し、シャルル7世のフランス王戴冠を促したヒロインがなぜ火刑に処せられたのか不思議でならなかったのだが、ググって調べてみるとなかなか複雑な事情が絡んでいることがわかった。当時のフランスはイングランドと百年戦争の真っ只中。国内もイングランドと関係が深いブルゴーニュ派とシャルル7世を王位につかせたいアルマニャック派との間で内戦状態にあったそうなのである。
ジャンヌ・ダルクが反旗を翻したのはシャルル7世がブルゴーニュ派との間で和平交渉を進めていたちょうどその時期にあたっていて、ジャンヌの反乱はいわばありがた迷惑。ゆえにコンピエーヌに援軍を送るという約束を反古にされたジャンヌは、あわれブルゴーニュ派の捕虜となってしまうのだ。また、この百年戦争自体がカソリック内部の争いであり、本来教会が当事者同志の調停をする役割を担うべきところ、“神の遣い”を名乗る文盲の田舎娘に手柄を横取りされ、教会としての面目は丸つぶれだったとか。
そして何よりも、神と人間の仲介者である自分たちでさえ見たこと、聞いたことがない神の姿や声を再三にわたってはっきり見たり聞いたりしたと言い張るジャンヌが羨ましくもあり、教会の威信にかけても小娘の嘘を暴き出す必要があったにちがいない。ブルゴーニュ派によって捕らえられたジャンヌはその後提携先のイングランドに売り飛ばされ、そこで異端裁判を受けるのである。実際には、「お告げ」の内容、使いとして現れる聖人の姿形、ジャンヌがシャルル7世に示したという「しるし」、男装の理由、行動とお告げの関係、ジャンヌ自身の処女性を焦点として、教会側から尋問を受けたという。
記録として残されている質疑応答をほとんど脚色することなく再現したというブレッソン、主役の(後に作家となる)フロランス・ドゥレをはじめ、尋問する教会側の神父役などには、画家や検事、弁護士などの演技経験のない“モデル”たちが集められたとか。歴史上の出来事を現代に甦らせることに意義があったというブレッソンは、男装の乙女が着ているブルゾンを遠縁にあたるシャネルにデザインさせたらしい。時折ドゥレの頬が涙で濡れる以外はほぼ全員無表情の台詞棒読みで、鎖をはめられたジャンヌの手元や足元を無機質にクローズアップでとらえた映像は、シネマトグラフ以外の何物でもない。
では一体ブレッソンは本作で何を描きたかったのだろうか?フランス人ならば誰もが知っている史実をシネマトグラフとして現代に甦らせれば、神の恩賜をフィルムにおさめることができるかもしれない。なにせ主人公は“神の遣い”を名乗るあのジャンヌ・ダルクなのだから。それはくしくもデンマークの巨匠が目指した生涯テーマであり、ロベール・ブレッソンがカール・ドライヤーと比較されることが多い由縁にもなっている。尋問されるジャンヌ・ダルクの背中を覗き穴からじっと見つめるイングランド軍人の眼差しの奥には、カメラレンズごしに神の似姿を見ようと試みたブレッソンの瞳があったはずなのだ。
「私が聞いた声は神からの声です。私の行ったすべては神の命令で行ったことです。いいえ、私の声は私を欺きませんでした。私が得た啓示は神からの啓示でした」(ジャンヌ・ダルク)
ジャンヌ・ダルク裁判
監督 ロベール・ブレッソン(1962年)
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