週末は新聞を読みながら、朝ごはんをゆっくりと食べるのが楽しみです。
私が購読しているM新聞の日曜版の読者投稿欄には、世の中のおばあちゃんやおじいちゃんが、孫の可愛らしいエピソードを紹介していることが多いのですが、ちょっと気になっていることがあります。
それは、孫エピソード投稿文には、たいてい「男孫」とか「男の孫」というように、性別がわかるように書かれてあるのです。
内容を読んでみると、エピソード的には、性別情報が無くても、全く支障がないと思うことがほとんど。
不思議です。
検証、考察する価値がありそうです。
新聞の投稿といえば、同じM新聞では、昔から「女の気持ち」という読者投稿コラム欄がありました。
いつの頃からかは知りませんが、投稿者が男性の場合、「男の気持ち」に変わるようになりました。
おそらく昔は、家庭にこもっている女性たちの声を、新聞という「社会」に紹介しようという趣旨で、女性限定で募集していたコラム欄を、男性にも開放したという経緯があるのでは、と推察します。
でも、そろそろ、「女の」とか「男の」というのをやめてはどうでしょう。
ジェンダーレスが認識され始め、ジェンダーフリーの考え方を広めようと努力を始めているいま、社会への影響力の強いマスコミには、特に敏感でいてほしいです。
もちろん私も、これまでのあたりまえに違和感を覚えたら、勉強する努力が必要な世代です。
たとえば、自分の子供のことを、物心つく前から、「うちの息子」とか、「うちの娘」ではなく、名前で紹介するというのも、きっと大切な心がけですよね。
フランス語には敬語がありません。
社会において、人はみな平等という考え方が根底にあるからだそう。
同じ考え方で、ノルウェー語は、国民の意志で敬語を無くしたのだという話を、先日ラジオで聞きました。
変化を期待するなら、身の回りから、小さくても、アクションをみずから起こすことが大切なんですよね。
違和感を言葉にすることも、アクションのひとつだと思います。