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ひとり ときどき ふたり旅 さんぽ

②松山 道後温泉 ふたたび 道後の湯に洗へ 2/3

 

道後温泉駅に向かう途中、「道後ハイカラ通り」にある

坊ちゃん団子の元祖「つぼや菓子舗」に寄ってみます。

看板は椿の花で囲まれています。

 

 


夏目漱石が温泉帰りに立ち寄った

団子屋さん「坊ちゃん団子」をいただきます。

上から抹茶餡、白餡、小豆餡、中には小さな餅が入っています。

 

 


道後温泉駅の正面には高低差の面白い坂が

登りきった上には「伊佐爾波神社(いさにわ)」が建っています。

道後の街が一望できます。

 

 


来ましたミカン色の伊予鉄電車、長く親しまれた可愛らしさがあります。

 

 


松山城の最寄りの駅、松山の中心地「大街道(おおかいどう)」アーケードの前で降ります。

 

 


おっ! 向かいには、お尻の痛くなる「坊ちゃん列車」が通り過ぎていきます。

 

 


煙突の向こうに、「松山城」がそびえ建っています。

 

 


お店が建ち並ぶ「ロープウェイ街」通りを歩いて行くと

「ロープウェイ東雲口駅舎1階」が左に見えてきます。

 

 


長者ケ平まで、ロープウェイと1人用リフトが通っています。

行きはロープウェイ3分で上がります。

 

ロープーウェイの面に

こんな投稿俳句が

「退職し 帰りました 松山に 還暦過ぎて マドンナと」 

 

 


「本丸広場」まで徒歩10分で登ってくると

松山城のマスコットキャラクター「よしあきくん」が待っています。


松山城の初代城主 加藤嘉明(よしあき)にちなんで名付けられています。

 

 


黒船来航の翌年に落成した大天守と小天守の「連立式天守」が見えます。

 

 


大天守まで登ると松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ姿がよく分かります。

 


眼下には、松山市の街がよく見えます。

熊本と松山の城下町に共通すること

高層ビルがないこと、駅JRが繁華街に無いこと、そして路面

電車がいい風情を醸し出していること!

 

 


天守広場の茶屋で見つけました。

『愛媛県の蛇口からはみかんジュースが出る』と言う都市伝説。

 

ただの迷信だと思っていたら、このお店に本当にありました。

 


1杯100円で紙コップをもらい

恐る恐る蛇口をひねると黄色いみかんジュースが本当に出てきました。

しかも、絞りたてで美味しゅうございます。

 


暑い暑い! 涼しい茶屋に入って、「いよかん氷」をいただきます。

みかんの味が濃い一品です。

 

 


帰りは、1人用リフトで6分、つれあいは後ろで、はしゃいでいます。

 

 


そろそろお昼、「ロープウェイ街」通りの入り口にある、「かどや」に寄ってみます。

ランの花がぎっしりと、オープン仕立てのお店です。

宇和島の鯛めしやじゃこ天の愛媛県南予地方の郷土料理を中心に扱っています。

 

 


綺麗な4つの色をした宇和島郷土料理の「ふくめん」をいただきます。

上に与色(四色)を基本とした素材で「覆い隠す」ように盛り付けることから、「ふくめん」と呼ばれています。

※白身魚の紅白そぼろ・細く刻んだみかんの皮・葱がのっています。

 

 


なんでしょう、箸を入れると千切りにしたこんにゃくが出てきました。だし汁、砂糖、みりん醤油の味ついたこんにゃくを混ぜ合わせて食します。

 

※すぐに混ぜて食べるのでなく、中心あたりから、のの字を書くように混ぜてゆき、最後まできれいな姿を残すのが通の食べ方らしいのです。

 

 


もう一品は、「鯛めし」をいただきます。

伊予水軍が船上で食べたという

新鮮な鯛の身を卵と混ぜたタレに漬け込み

そのタレごと熱い御飯にかけて食べます。

 

全国でも愛媛にしかない独特な食べ方で美味しいこと。これはいけます。

 

 


「かどや」から歩いてすぐの所にある「坂の上の雲ミュージアム」、2回目の訪問です。 

テレビでも放映した、司馬遼太郎氏の小説『坂の上の雲』をテーマにしたミュージアムです。

松山出身の「秋山好古と秋山真之、兄弟」と「正岡子規」の3人の生涯を通して、近代国家として成長していく明治日本のすがたを描いています。

 

◯秋山好古(あきやま・よしふる) 

阿部 寛 陸軍軍人。真之の兄。

日露戦争では騎兵第一旅団長としてコサック師団と互角に戦い、後に「日本騎兵の父」と称される。

 

◯秋山真之(あきやま・さねゆき) 

本木雅弘 海軍軍人。

日露戦争では、作戦参謀として日本海海戦の作戦を立案する。

 

◯正岡子規 (まさおかしき) 

香川照之 

 

 

 


テレビを見て記憶しているのが、作品の時代観で使われたこの文面

まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。

小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年のあいだ読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものをもった。
誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。(昂揚:気分が高まること。)
 
この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。
社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、教師にも、軍人にも、成り得た。
この時代の明るさは、こういう楽天主義(オプティミズム)から来ている。

今から思えば、実に滑稽なことに、コメと絹の他に主要産業のない国家の連中は、ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。陸軍も同様である。 財政の成り立つはずがない。
が、ともかくも近代国家を作り上げようというのは、元々維新成立の大目的であったし、維新後の新国民の少年のような希望であった。

この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振舞ったかという物語である。主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない。が、ともかく我々は三人の人物の跡を追わねばならない。

四国は、伊予松山に三人の男がいた。この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるに当って、勝利は不可能に近いと言われたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇跡を遂げた。もう一人は、俳句短歌といった日本の古い短詩形に新風を入れて、 その中興の祖となった俳人・正岡子規である。

彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。
上って行く坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

 


『坂の上の雲』のまちづくりの核となる建造物は

特異な三角形という大胆な形状の地上4階

ここを設計したのはあの日本を代表する建築家の安藤忠雄氏。

柱のない空中階段は必見です。

 

 


2階のミュージアムカフェでお茶にします。

「伊予かすり」のコースターにのった「砥部焼(とべやき)」の器と

「一六タルト」がついた「ミュージアムセット」をいただきます。

 

 


1日ゆっくりと二ヶ所、松山城と坂の上の雲ミュージアムをまわって伊予鉄で帰ります。

 

 


駅前には、1時間ごとに坊っちゃんやマドンナなどの小説の登場人物が踊りだすからくり時計。

 

 

 

汽笛の音が聞こえます、今日の仕事を終えて「坊ちゃん列車」が帰ってきました。

客車を切り離した機関車は、レールの間に枕木を並べた、「油圧ジャッキ回転場」まで移動します。

 

今から始まる回転シーンを見るため、人が集まっています。 

つづく…

 

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