「さよなら国立競技場2014」
1分40秒の短いビデオですが、思いを込めて作ってみました。
クリックして、見て下さい。(BGM入りです。)
サッカーに携わった者の憧れの聖地
国立競技場(正式名称:国立霞ヶ丘競技場)が幕を閉じようとしています。
私のサッカー人生で感動と興奮と幸せを与えてくれた場所です。
《サッカーでかかわった思い出の国立競技場を4回にわたって、書き綴ります。》
お付き合い下さい。
1979年開催された「FIFA U-20ワールドカップ」のヒーローは 、若干18歳の天才「ディエゴ・マラドーナ」。
彼のテクニック、ボールの持ち方、ドリブル、キックの妙に釘付けになり、真似をしたことが思い出されます。
貴賓席からグランドレベルにおり、第4コーナー内側に立てられいる15m21㎝の「織田ポール」に向かいます。
日本初の金メダリスト「織田幹雄氏」のアムステルダム五輪(1928年)三段跳びの記録に合わせた長さになっています。
ポールの横の穴は、競技中に選手がトイレに向かう入口です。
当時のゴールドメダリストの表彰台です。
見るたびに綺麗な芝に感心します。
当時は、枯れた芝の上で、1977年「サッカーの王様 ペレ」の引退試合が行われたのも国立でした。
ペレ、ベッケンバウアーを擁するスーパースター軍団「NYコスモス」と日本代表との間で行われた試合です。
中学時代にテレビで見た、初めてのペレ「FCサントス」と日本代表とのゲームでした(国立競技場で)。
ペレのゴールシーンのプロセスを、今でも記憶しています。
トラックは柔らかく、走ると跳ね返ってきます。
第4コーナー側のシャッターから退場します。
千駄ヶ谷門のスロープから2階レベルに上がります。
左を見ると「出陣学徒壮行の地」の碑があります。
その裏には、取替え用のグランド芝を養生しています。
2階ゲート入口です。
この通路もよく歩いたものです。
1984年8月25日、静岡の義弟と行った「釜本邦茂の引退試合」。
国立競技場に6万人の観衆が集まり、ゲストプレーヤーとしてブラジルから「ペレ」と「ストッキングの上を丸めて履くドイツの「オベラート」好きな選手でした。
1ゲートです。40ゲートまであります。
「逆走右廻り禁止」? 床がラバーになっています。
ここが、ランニングできる場所とは知りませんでした。
なんでしょう、これは。
記憶だと売店が出きるまでの簡易売店だったか。
案内モニターだったか、試合の中継もしてたような、定かではありません。
バックスタンド下の通路です。市松模様の天井が綺麗です。
もしかしてこの「市松模様」から「2020オリ・パラ」のエンブレムのヒントを得たのかも?
照明塔の脚部を見ながら、バックスタンドの最上階に上がります。
40ゲートです。
この位置から聖火台までの通路は、上り坂となります。
思い出の40ゲート。
最上部の売店によく並んだものです。
夏は生ビール。
「トヨタカップ」の雪の中では、おでんに熱燗だったでしようか。
売店ごとに「さよなら記念メニュー」が売られているみたいです。
この後の国立のスケジュールは、
4月は
19(土)~20(日) 第77回東京陸上競技選手権大会 兼 第69回国民体育大会東京都代表選手選考会 26(土)MLB チャリティーリレーマラソン at 国立競技場
29(火) Jリーグ FC東京vs名古屋グランパス
5月は
3(土) Jリーグ 東京ヴェルディvsFC岐阜
6(火) Jリーグ ヴァンフォーレ甲府vs浦和レッズ
11(日)セイコーゴールデングランプリ陸上2014東京
17(土)~18(日) ポール・マッカートニーアウト・ゼアー ジャパン・ツアー
2014 25(日) アジア五カ国対抗2014 第4戦 ラグビー日本代表 対 ラグビー香港代表
31(土)「国立競技場さよならイベント」は、計画中です。
何が行われるのか楽しみです。
そして、再来月以降のイベント は、こう書いてありました。
〔 イベントはありません。〕 と……
正面入口のブロンズ像、かなたを見る背中が、寂しそうです。
次回は、最終回 美しい国立を紹介します。
最後まで読んでいただき ありがとうございました。