デジカメ散歩・鈴鹿!春夏秋冬!

毎日を明るく楽しく健康に!生まれ育ちは東京下町千住の川向こう梅田、いまは独り静かな鈴鹿川のほとりで過ごしています。

一級河川 鈴鹿川-6 十三仏

2008年07月07日 | デジカメ散歩!
一級河川 鈴鹿川に出かけデジカメ撮って楽しむ。
・高岡山の中腹に作られた、十三仏参拝
 
・十二支による各自の念持仏(守本尊)
不動明王   酉の年生まれ
釈迦如来
文殊菩薩   卯の年生まれ
普賢菩薩   辰、巳の年生まれ
地蔵菩薩
弥勒菩薩
薬師如来
観音菩薩   子の年生まれ
勢至菩薩   午の年生まれ
阿弥陀如来 戌・亥の年生まれ
阿悶菩薩
大日如来   未・申の年生まれ
虚空蔵菩薩 丑・寅の年生まれ


高岡城跡・由緒
標高50mの丘陵の突端にあった高岡城は、伊勢平野を一望でき眼下には南側から東に鈴鹿川が流れ、北は谷が深く入り込んで自然の要塞に恵まれた地にあった。永禄十年(1567)織田信長は伊勢平野平定の為に、数万の大軍を率いて北勢から押し寄せに火を放ち高岡城を攻めた。城主山路弾正は知友を兼ねた名将で、織田軍は仲を攻略できず再び翌十一年にも来襲し城を取り囲んで攻撃したが、頑強に抵抗されたので、信長は和解策を講じて養子縁組を申し入れた。これにより山路弾正は和解したが、その後主君友盛の不遇なことに主家再興を企てたが志ならず自害したと伝えられている。

山の谷間に当時の将士の石仏が散在、郷土を守り敢えなくも尊い生命を捧げられた数多くの霊を慰めるために、山麓に地蔵尊を勧請し慰霊塚に石仏を安置して菩提を弔うことになりました。建立に当たっては土地のご寄進を賜り亦、多数の方々の御賛同と御協力を得て完成しました。傷ましき戦場が再び悲惨な争いの無い平和な蜜厳浄土でありますように祈念し尊霊各位の冥福を念じ上げます。