まだ「赤旗(せっき)」と呼ばれていた戦前。全国に届ける要の部署で活動していた女性がいました。タイプ技術を習得し兄を頼って山口から上京した田中サガヨです。
当時「赤旗」は活版印刷となり写真も載るように。最大時7千部の発行でしたが、回し読みされ実際には数万の読者がいました。持っているだけで逮捕、投獄、拷問の時代。捕まったサガヨも「如何(いか)なるいばらの道であろうと覚悟の前」だと(『こころざしつつたふれし少女〈おとめ〉』)。
印刷所から配布の拠点となる場所まで命がけのリレーは何度も。そこから先もしのばせ、手から手へと渡されていきました。反戦平和や生活向上を求める人びとの思いを込めて。
それは今に。社会正義のための情報源。政治・経済の教科書。日本の社会進歩のためには、なくてはならない新聞―。「赤旗」の発行を守るために党中央が呼びかけた募金には激励のメッセージが添えられています。“貧者の一灯”を送るという年金ぐらしの読者も。
創刊97周年に寄せられた談話には、裏金スクープをはじめ調査報道への評価とともに、民主主義や生活を脅かすものと連帯してたたかう役割を期待する声もあります。弁護士の角田由紀子さんは「いま私たちが直面している困難な毎日を打開し、そのさきにある希望の未来を現実のものにするために、『赤旗』の力はますます重要」だと。
「朝ごとに希望を探す赤旗(はた)届く」。時代とともに手段や方法は変われど、よりよき社会を胸に抱いたリレーはこれからも継がれて。
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