『まばゆい残像 そこに金子光晴がいた』
小林紀晴(日:1968-)
2019年・産業編集センター
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しばらくすると鍵を開けているような金属音がして、扉が内側から開いた。
光がこちら側にこぼれ、同時に中年の男の怪訝な顔がヌッと現れた。
私は英語で話しかけてみた。
反応はなかった。
次に私はあらかじめ準備して手に持っていた金子の『マレー蘭印紀行』の文庫本を男の顔の前にかざした。
すると男はなかに入れと身振りとともに何かを呟いた。
内には驚いたことにビリヤードの台が置かれ、数人の男がそれに興じていた。
あまりに意外だった。
視線を移すと、部屋の隅の方にいる男達はテーブルの上にトランプを並べていた。
どうやらお金をかけているようだった。
「一年に一人くらいあなたのような人が、その本を持ってここへ来ます」
さっき内に入れてくれた中年の男が教えてくれた。
男はここが日本人クラブだと知っているようだった。
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なんで自分は旅に行くのかな?って考えた時に、知らないモノを見たいとか、人に出会いたいとか、美味いものを食べたいとか色々あるけど、やっぱりちょっと寂しくなりに行くのかもって部分もあるなぁって思います。
今はコロナでそういう贅沢な時間は持てませんけどね。
ロンドンに住んでる時に、欧州のいろんな国に割と一人で出かけて行ったんですけど、異国の繁華街で、知り合いなんて一人も居なくて、ポツンと淋しくビール飲んでるのって堪んないなァ、最高だなァってよく思いました。
この本を一発で好きになったのは、そういう部分に訴えかけるものがあったからだと思う。
本書は写真家の小林紀晴さんが、詩人・金子光晴のかつての旅路を追いかけた紀行文。
ただ、ちょっと入り組んでいるのが、小林さんの旅も既に時間を経てセピア色のノスタルジーに包まれていること。
だから、この本の中心には「過去を振り返る」という行為がある。
小林さんがその足跡を追いかけた詩人・金子光晴に触れておきます。
(↑ 嗚呼「襟が片っぽヨレてますよ」と教えてあげたい~)
金子は今を遡ること135年、1895年(明治28年)、愛知県に生まれた。
父が事業に失敗し6歳で養子になったりしていて、苦労もあったのだと思う。
しかし、成長して大学へ進むと、
①早稲田大学を中退、
②東京芸大を4カ月で退学、
③慶応義塾大学を中退、
と、恐るべき社会不適合者ぶりを見せる。
大学の風はとにかく肌に合わなかったようだ。
1924年(大正13年)には小説家志望の森美千代と恋仲になり、7月には美千代は妊娠してお茶の水女子大を退学。
まあ、やることはやっている。
このわずか数行で何度「中退」「退学」と書いたろうか。
1928年(昭和3年)、金子が32歳のとき詩作に行き詰まり、金も底を尽きる。
そんな折、妻・美千代は美術評論家との不倫に走る。
ここから金子光晴の人生は本格的に狂い始める。
「妻を恋人から遠ざける」。
この一点を目的とした足掛け5年におよぶ世界放浪の旅 with 妻が幕をあけちゃうのだ。
この時、小っちゃい我が子を日本に5年間置いていく辺り、金子は普通の倫理観で議論しても分かり合えない人であるのだろう。
長崎から上海、香港、シンガポール、ジャワと巡り、ここで再び金が尽きた金子は妻を一人パリに向かわせ(一人分だけ旅費を工面できたらしい)、自身はマレー半島を巡りながら絵を描いて旅費を稼ぎ、後にパリで妻と合流。
パリで妻の寝泊りする部屋を金子が初めて訪ねた時のやり取りが、金子の著作『ねむれ巴里』に、こう記されている。
「誰ですか」
「僕だよ。金子・・・」
「来たの?」
「入っても大丈夫なの?いいのかね。誰かが帰ってくるのではないのか?」
どうして、ここまで妻の不貞を徹底して警戒しながら、美千代を先にパリに向かわせたんでしょうね、この人(笑)
この後、金子は困窮を脱するべくアントワープ、ブリュッセルと転々とするが行き詰まり、結局、日本画の展覧会を開いて旅費を稼ぐと、現地で仕事をしていた妻を残して1932年(昭和7年)単身帰国の途に。
しかし、途中、マレー半島を4カ月ほど放浪した金子が神戸にたどり着いたのは、結局、妻の美千代が帰国した2カ月後の事だった。
もう、何がなんだかよく分からない。
5年かけて、何か事態は好転したのだろうか・・・。
金子はこの旅を振り返って幾つかの著作を残しており、若き会社員だった著者の小林さんも金子の著書『マレー蘭印紀行』を手に取った事から、金子ワールドに足を踏み入れている。
(もっとも、沢木耕太郎の『深夜特急』のようなものをイメージしていた小林さん的には、初読時の印象はあまりしっくりこなかったようだ)
ちなみに、冒頭の引用文で小林さんが訪れるバトパハ(バトゥー・パハト:マレーシア、ジョホールバル州にある40万都市)の日本人クラブ跡。
既に日本人クラブではないが建物自体は当時のまま残っていて、金子の旅路を追う人々にとって重要な道標になっていたようだ。
本書『まばゆい残像』にも恰好良い外観写真が載っているし、松本亨さんの『金子光晴の唄が聞こえる』では表紙に採用されている。
確かに人を惹きつける外観だ。
街を歩いていて、ふと見上げてこの建物が目に入ったらハッとさせられるだろう。
余談だが本ブログを書いている小生も幼少期に外国暮らしをした時、現地の日本人クラブには割と世話になった。
クラブには無難な中華料理屋と小さな図書館があるくらいだったけど、異国で自分たちのためのサーヴィスが提供される場がある事に対し、幼心にホッとしたもんだった。
で、このカッチョよい日本人クラブ跡の写真を小林さんは本書の中で見開きで使っているのだけれど、その写真に重ねて載せている金子の『女たちのエレジー』からの引用がまた凄みがある。
女たち。
チリッと舌をさす、辛い、火傷しさうな
野糞。
あの女たちの黒い皺。黒い肛門。
マレイ半島。バトパハでは、
女という女は、のこらず歯ぬけ。
情緒という一言では片づけられませんね(笑)
21世紀の東京を生きるもやしボーイ(小生)は、女たちが街のあちこちで人目も憚らず野糞をしている世界では、まぁ、ちょっと生きていけそうにありませんが・・・。
山口瞳が『酒呑みの自己弁護』の中で、鹿児島を訪れた時、町の多くの人が裸足で道を歩いていて衝撃を受けた、と書いていましたが。
昭和初期のバトパハの異界ぶりたるや、当然ながら往時の鹿児島の比じゃないスね、当然ながら(笑)
やる事もなく街を歩きながら、そこら中に転がってる干乾びた野糞を蹴りながら(実際に蹴ったかどうか知りませんが)、金子はどれ程の孤独を感じたか。
こういう、刹那な情緒を一瞬で切り取って、読んでいる我々の心持ちまでモヤモヤさせてしまう。
金子の天才性はココに表れている。
金子が向こうで見たものを我が目で確かめたくて、小林さんや多くの人たちがその足跡を追いかけたんでしょうね。
いや、干乾びたウンコって意味じゃなくて(笑)
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