『夜間飛行』

また靴を履いて出かけるのは何故だろう
未開の地なんて、もう何処にもないのに

『蛇の石 秘密の谷』 バーリー・ドハティ

2012-02-21 | Books(本):愛すべき活字

『蛇の石 秘密の谷』
バーリー・ドハティ(英:1943-)
中川千尋訳
"The Snake-Stone" by Berlie Doherty(1995)
1997年・「アンモナイトの谷」新潮社
2001年・新潮文庫


++++

お父さんが、ぼくの肩を抱きよせた。

クラブのほかの子がもう来てるんじゃないかと、気が気じゃなかった。

「遅れちゃうよ」

からだをよじって逃げようとすると、お父さんは大声で笑いだした。

「親子なんだから、いいだろう?

さあ、行ってこい。

ふたりして雨にぬれてることもないか。

じゃあ、ジェームズ、また夜にな」


ぼくはダッシュで道路をわたった。

ぐちゃぐちゃした気持ちが吹きとんでいた。

なんかさっぱりした。

お父さんて、でかくて気のいいシープドッグみたいだ。

お父さんが相手じゃ、いくら腹がたっても長くは怒ってられない。


ぼくはプールに一番乗りするのが大好きだ。

水はガラスのようになめらかで、この世のなによりもしずかに澄みわたっている。

飛び込み台の上から見おろすと、あまりにも透明で、じつは水なんかすこしも入ってないんじゃないかと思ってしまう。

頭からまっすぐに飛び込むぼくのまわりで魔法が解け、水が砕け散る。

ぼくはいつだって、魔法を解く最初の人間になりたかった。

++++


美しいなぁ。

透明だなぁ。

そして、決まりました。

うちの子が大きくなったら読ませたい本がッ。


主人公のジェームズ少年は15歳だけど、そうだなぁ、10歳くらいで読むのにちょうどいい内容かな。

(思えば俺が10歳くらいの頃には、ひたすら西村寿行と夢枕獏を読み漁っていた。

できれば我が子にはそうはなって欲しくないぜ)


とにかく、感想として書くべきことは、中川千尋さんの短いが的を射た「訳者あとがき」で言い尽くされているのだが。


それでも、あえてなんか書くとすると。

ジェームズの母親の浅はかな出産に、無理やり妙ちくりんなストーリーが詰め込まれていないのがいいね。

ただ、少女は若くて恋をしていた、それだけ。

世の中、そんなもんだよ。


あと、その母親が、事件から15年を経てもジェームズほど成長できてない・・・、というか、まんま15年前を生きているところも、この物語をしっかり浮世にとどめているっていうか。

母親が聖母マリア様みたいになってたら、それはそれで白けちゃうよね。


っていうか、この母親、どうやって出産まで親父にお腹を隠したんじゃいっ!

てとこは、まあ、本作の数少ないファンタジー(っていうかミステリー?)的要素ですが。



本書の中で、個人的に忘れられないシーンがある。


物語の冒頭で、ジェームズ君は公園で開かれる「フェア」に出かける。

クラスのほとんどの子が行くって分かっているフェアだ。

どうしてもフェアに行きたかったわけじゃない。

ただ、毎日飛び込みの練習に明け暮れていて、ろくに友だちと遊ぶ暇もないジェームズは、一度くらいみんなと同じことがしてみたかっただけだった。


しかし、お父さんはそんな時まで

「全英大会が来月に迫ってるんだぞ」

と、飛び込みの練習をすることを求め、苛立ったジェームズはお父さんと喧嘩をしてしまう。


このあと、無理やりフェアに行くんだけど、お父さんと喧嘩までしてフェアに行っても、楽しく過ごせるはずがない。

幼き日の、あの、親と喧嘩してまで家を飛び出して遊びに行き、その後味わう、1日のつまらなさ。

ずっと忘れてたなぁ・・・、あんな感じ。


++++

お金も、ほとんど持ってなかった。

フェアの乗り物にのれば、帰りは歩きだ。

しかも雨が降っている。

芝生はぬかるみで、ぼくのスニーカーは新品。

何人もの迷子が、ぼくのまわりで泣き叫んでいた。


大声、怒鳴り声、笑い声が乱れとび、きんきんする音楽が流れ、せわしない照明が点滅するなか、だれか知ってるやつはいないかと歩きまわった。

次の日学校で

「ゆうべ、フェアで会ったよね」

っていえれば、それでよかったんだ。

++++


ちょっとぉ(涙)

この、次の日学校で「ゆうべ、フェアで会ったよね」っていえれば、それでよかったんだ、っていう台詞には完全にやられましたね。

ここには、子供心の全てが詰まっている。

ジェームズ、きみはあの頃の俺だ。


このフェアでは、ジェームズはクラスの友人たちにうまく話しかけることができず、結局濡れたまま、家へと退散する。

心の中で自然な話しかけ方のシミュレーションばかりして、うまくいかずに一人毒づくジェームズ。


この辺りは、ちょっとサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』みたいなんだけどね。


ところが、その後、物語を読み進めるにつれて、読者は、ジェームズ君は『キャッチャー』のホールデン・コールフィールドとはまるで違う存在だということを知る。

そう、『飛び込みへの情熱』と『両親の無償の愛』が、ジェームズをホールデン的な暗闇から、1000光年も先へ遠ざけているのだった。


■おまけ


本書は、97年に『アンモナイトの谷』として新潮社から出版されたものの改題。

作者のバーリー・ドハティが”The Snake-Stone”言うてるのに、またも、無理やりつけてきたね、『谷』を。

どうも、新潮社は『蛇の石』だけじゃ絶対に売れないと思っているようで。

まあ、確かにちょっと重いかなぁ、『蛇の石』じゃ。

そこまで谷にこだわるんだったら、いっそ某有名な谷とか勝手につけてみたらどうでしょう。

『蛇の石と風の谷』とか。

あ、あとは、なんとなーく某英国人気シリーズと間違うようにしむけて

『蛇の石と、賢者の杖』とか・・・。

こんなタイトル付けといて、最後まで杖のエピソードが一切出てこないってのもちょっとお洒落だよね。


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蛇の石(スネークストーン)秘密の谷 (新潮文庫)
Berlie Doherty,中川 千尋
新潮社

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