『蛇の石 秘密の谷』
バーリー・ドハティ(英:1943-)
中川千尋訳
"The Snake-Stone" by Berlie Doherty(1995)
1997年・「アンモナイトの谷」新潮社
2001年・新潮文庫
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お父さんが、ぼくの肩を抱きよせた。
クラブのほかの子がもう来てるんじゃないかと、気が気じゃなかった。
「遅れちゃうよ」
からだをよじって逃げようとすると、お父さんは大声で笑いだした。
「親子なんだから、いいだろう?
さあ、行ってこい。
ふたりして雨にぬれてることもないか。
じゃあ、ジェームズ、また夜にな」
ぼくはダッシュで道路をわたった。
ぐちゃぐちゃした気持ちが吹きとんでいた。
なんかさっぱりした。
お父さんて、でかくて気のいいシープドッグみたいだ。
お父さんが相手じゃ、いくら腹がたっても長くは怒ってられない。
ぼくはプールに一番乗りするのが大好きだ。
水はガラスのようになめらかで、この世のなによりもしずかに澄みわたっている。
飛び込み台の上から見おろすと、あまりにも透明で、じつは水なんかすこしも入ってないんじゃないかと思ってしまう。
頭からまっすぐに飛び込むぼくのまわりで魔法が解け、水が砕け散る。
ぼくはいつだって、魔法を解く最初の人間になりたかった。
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美しいなぁ。
透明だなぁ。
そして、決まりました。
うちの子が大きくなったら読ませたい本がッ。
主人公のジェームズ少年は15歳だけど、そうだなぁ、10歳くらいで読むのにちょうどいい内容かな。
(思えば俺が10歳くらいの頃には、ひたすら西村寿行と夢枕獏を読み漁っていた。
できれば我が子にはそうはなって欲しくないぜ)
とにかく、感想として書くべきことは、中川千尋さんの短いが的を射た「訳者あとがき」で言い尽くされているのだが。
それでも、あえてなんか書くとすると。
ジェームズの母親の浅はかな出産に、無理やり妙ちくりんなストーリーが詰め込まれていないのがいいね。
ただ、少女は若くて恋をしていた、それだけ。
世の中、そんなもんだよ。
あと、その母親が、事件から15年を経てもジェームズほど成長できてない・・・、というか、まんま15年前を生きているところも、この物語をしっかり浮世にとどめているっていうか。
母親が聖母マリア様みたいになってたら、それはそれで白けちゃうよね。
っていうか、この母親、どうやって出産まで親父にお腹を隠したんじゃいっ!
てとこは、まあ、本作の数少ないファンタジー(っていうかミステリー?)的要素ですが。
本書の中で、個人的に忘れられないシーンがある。
物語の冒頭で、ジェームズ君は公園で開かれる「フェア」に出かける。
クラスのほとんどの子が行くって分かっているフェアだ。
どうしてもフェアに行きたかったわけじゃない。
ただ、毎日飛び込みの練習に明け暮れていて、ろくに友だちと遊ぶ暇もないジェームズは、一度くらいみんなと同じことがしてみたかっただけだった。
しかし、お父さんはそんな時まで
「全英大会が来月に迫ってるんだぞ」
と、飛び込みの練習をすることを求め、苛立ったジェームズはお父さんと喧嘩をしてしまう。
このあと、無理やりフェアに行くんだけど、お父さんと喧嘩までしてフェアに行っても、楽しく過ごせるはずがない。
幼き日の、あの、親と喧嘩してまで家を飛び出して遊びに行き、その後味わう、1日のつまらなさ。
ずっと忘れてたなぁ・・・、あんな感じ。
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お金も、ほとんど持ってなかった。
フェアの乗り物にのれば、帰りは歩きだ。
しかも雨が降っている。
芝生はぬかるみで、ぼくのスニーカーは新品。
何人もの迷子が、ぼくのまわりで泣き叫んでいた。
大声、怒鳴り声、笑い声が乱れとび、きんきんする音楽が流れ、せわしない照明が点滅するなか、だれか知ってるやつはいないかと歩きまわった。
次の日学校で
「ゆうべ、フェアで会ったよね」
っていえれば、それでよかったんだ。
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ちょっとぉ(涙)
この、次の日学校で「ゆうべ、フェアで会ったよね」っていえれば、それでよかったんだ、っていう台詞には完全にやられましたね。
ここには、子供心の全てが詰まっている。
ジェームズ、きみはあの頃の俺だ。
このフェアでは、ジェームズはクラスの友人たちにうまく話しかけることができず、結局濡れたまま、家へと退散する。
心の中で自然な話しかけ方のシミュレーションばかりして、うまくいかずに一人毒づくジェームズ。
この辺りは、ちょっとサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』みたいなんだけどね。
ところが、その後、物語を読み進めるにつれて、読者は、ジェームズ君は『キャッチャー』のホールデン・コールフィールドとはまるで違う存在だということを知る。
そう、『飛び込みへの情熱』と『両親の無償の愛』が、ジェームズをホールデン的な暗闇から、1000光年も先へ遠ざけているのだった。
■おまけ
本書は、97年に『アンモナイトの谷』として新潮社から出版されたものの改題。
作者のバーリー・ドハティが”The Snake-Stone”言うてるのに、またも、無理やりつけてきたね、『谷』を。
どうも、新潮社は『蛇の石』だけじゃ絶対に売れないと思っているようで。
まあ、確かにちょっと重いかなぁ、『蛇の石』じゃ。
そこまで谷にこだわるんだったら、いっそ某有名な谷とか勝手につけてみたらどうでしょう。
『蛇の石と風の谷』とか。
あ、あとは、なんとなーく某英国人気シリーズと間違うようにしむけて
『蛇の石と、賢者の杖』とか・・・。
こんなタイトル付けといて、最後まで杖のエピソードが一切出てこないってのもちょっとお洒落だよね。
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蛇の石(スネークストーン)秘密の谷 (新潮文庫) | |
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