『蛍・納屋を焼く・その他の短編』
村上春樹(日:1949-)
1984年・新潮社
1987年・新潮文庫
寂しい。
『蛍』は、たった40ページ足らずで『ノルウェイ』1冊分寂しい。
この短編が後にノルウェイになることを読む側が知ってるからなのか、それとも、この小品が単独で持っている力なのか、今となってはもう分からん。
ノルウェイを知らない頃には戻れないからね・・・。
『納屋を焼く』については、消失する女性、五反田君的破壊衝動を持つ男性・・・、と村上作品のステレオ・タイプであるものの、読後の余韻が何とも言えない。
最後の1行の後に漂う、この余韻のために書いてるんだろうね、この話。
しかし、先週テキサスの肥料工場の火事で大変なことになったように、要らないものでも無闇に燃やしちゃダメ。ゼッタイ。
余談だけど、主人公の家で、彼が「納屋焼き」の独白を始める瞬間(文庫の63ページ左端)みたいな小技っぽいの、最近やんないですね。
才気走ってたというか。
と同時にちょっとだけ若さもちょっと感じるよね、作者の今の文章を知る身としては。
『踊る小人』は、ザ・短編というハッキリしたストーリー展開がちょっと珍しい。
文章にいつもの洒落っ気がなく、筋を追って書いている。
舞台設定が多少メルヘンチックなことを除けば、小人が出てきたりすんのは珍しくないんだけどね。
っていうかほぼ毎回出てくるよね、小人の類が。
巨人はあんま出てこないけどね。
いや、まあ巨人どーでもいいか・・・。
そういうい意味で言うと、『めくらやなぎと眠る女』が一番、意外な読後感。
別の作家の作品に見える。
べスの中が、なんだべスって、バスの中が全員「*人」(ここ、気遣い)だと気付いた時の訳の分からない不安感って、映画で言うとデビッド・リンチ的手法だよね。
あの導入部があるせいで、病院の待合室でいとこを待ってる時に、主人公がふと思い出す17歳の夏の思い出が、なんだかひん曲がって見えてくる。
8年前、17歳の夏の日、古い病院の食堂で主人公と話しながら
「彼女が、その安物のボールペンで何をしていたか」
を急に思い出すシーン。
ここで、俺様をそんなにビビラせる必要があるんでしょうか。
急に線を引くなよ、文章に!
びっくりするじゃないか。
『三つのドイツ幻想』について、真剣に意味を考えたりする必要はないだろう。
幻想なんだし。
まさに小品。
朝飯前という感じだね。
これに関しては、ヘルWの浮き庭、俺も欲しぃ!
くらいの感想で良かろう。
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