『夜間飛行』

また靴を履いて出かけるのは何故だろう
未開の地なんて、もう何処にもないのに

映画 『華麗なるギャツビー』

2013-11-19 | Movie(映画):映画ってさ

『華麗なるギャツビー』
"The Great Gatsby"
監督:バズ・ラーマン
脚本:バズ・ラーマン、グレイグ・ピアース 
2013年・米豪



原作の色んなシーンがカットされていて、最初、

そこまで切るんかいッ!

と思ったものの。

監督の長い長い釈明を拝聴し、なるほど、まあ一理あるかなぁと納得。


悪くない映画です。

『ムーラン・ルージュ』のバズ・ラーマンらしく華やかでね!



ただ、俺的には・・・消化不良というか。

あのね。

ここからは個人的な例のアレですが。


俺はギャツビーでなく、本作の語り手、ニック・キャラウェイが好きなわけ。


トビー・マグワイアがキャスティングされちゃって期待してたのですが。


あの小説って第一章、冒頭の数ページで、キャラウェイが自分について語るとこで引き込まれない?

隣家の大富豪、ギャツビーについて語り始める前の、最初の数ページね。


おい、なんかこれって特別な物語なんじゃないか?

あの数ページで毎回そう感じちゃうんだよね。


そんでもって、小説を読んで一番共感するのが。

語り手であるニック・キャラウェイがトムに連れられて行く、あのビッチ系な愛人マートルとその仲間によるホームパーティ。

あのシーンで、ニックが感じる鬱陶しさ。


そして、下世話なほど贅を尽くしたギャツビー邸でのパーティー。

あのパーティー会場での所在無さ。


ニック、それって俺だよぉ!

俺もパンティー、じゃなかった、パーティー大嫌い。

(そのくせ、人からは「一番楽しそうだった」と言われますが・・・、だいたい記憶ないから分からんの) 



その辺が、この映画からはいまいち感じられないのだ。

監督さん、パーティー嫌いじゃないでしょ?という。

むしろ積極的にお好きでしょ、というね。


華やかさは充分すぎるほど描かれているんだけど、空虚さのほうはあんま力入ってません。

まあ、得手不得手というものがありましょう。

その点、フィツジェラルドの筆は格別。


例えばね。

傲慢男トムが、妻デイジーとギャツビーの関係を察して、皆を強引に街に誘うシーン。


映画だと、ただ

「プラザホテルに行くぞッ!」(トム)

になっちゃうんだけど。


フィツジェラルドの『グレート・ギャツビー』ではこの通り。

(以下、2006年の村上春樹訳でいきます)

++++

しかし二人は何ごともなくついてきた。

かくして我々はプラザ・ホテルの続き部屋(スイート)をとり、その客間(パーラー)に腰を落ち着けるという、更に意味を欠いた行動をとることになった。


ああでもないこうでもないという、騒々しい長い議論があり、結局僕らは一団となってホテルの一室に案内されることになったわけだが、そこに至る細かい経緯は今となっては皆目思い出せない。

ただしその過程における肉体的な記憶だけは鮮明に残っている。

下着がまるで濡れた蛇のようにしつこく脚にまとわりつき、冷やかな汗の玉がひっきりなしに背中をす滑り落ちていった。


バスルームを五つ借りて、みんなで冷水浴をしましょうとデイジーが言いだしたのがことの始まりで、やがてそれは

「ミント・ジュレップが飲める場所」

という、より具体的なかたちをとった。


それは

「たいした思いつき」

だとみんなが繰り返し口にした。


そして全員でフロント係に話しかけ、相手を困惑させた。

そして自分たちはとても愉快なことをしているのだと考えた。

あるいは考えようと努めたというべきか・・・・・・

++++ 


このダレダレな一日感!

涼しい海沿いのトムの邸宅から車で移動し、わざわざ大金を払って無風で死ぬほど暑いプラザ・ホテルのスイートに陣取るこの行為の意味の無さ。

あー、すげえなと。

こんな人生の

ある瞬間の持つ無意味さ」

を文章でこんなに上手に表現できちゃうんだ、という。


映画を見て、自分がこの小説をいかに好きかを再発見するという、そんな不思議な一本だったのでした。



■おまけ

原作モノの映画化ってどうしても登場人物が自分のイメージと合うか合わないかに目がいっちゃいますな。



新進気鋭のゴルファーであるジョーダン・ベイカー。
 
おっさんの個人的見解として、小説を読むときはいつも、ジョーダン嬢はもうちょいボーイッシュでスポーティなショートカット女子を想定しております。

映画では、ニックとのあれこれはすっぱりカット。

 
傲慢マン、トム・ブキャナン。

イヤな感じの演出が、まさかのチョビ髭とは・・・!


小説は、もうちょっと鬱陶しい系で。

前述の村上訳で言えばこんな感じ。(ここは完全に春樹節!)

++++

声はしゃがれたテノールのどら声で、それが彼の漂わせている傍若無人な印象を余計に強いものにしていた。

どことなく高みから相手を見下ろすようなところがあり、たとえ好意を抱いている相手を前にしても、彼のそのような態度は変わらなかった。

大学では少なからざる人々が、トムに反感を持っていた。

「かくかくしかじかの問題について、おれが何か意見を述べたとしても、それを最終的な結論だとは思わないでほしいんだ。

おれが君より力が強くて、格上だからという、ただそれだけの理由でね」

と言わんばかりなのだ。


++++

地獄のミサワですか・・・。

いいですね、ここ。

映画では、尺(時間)の関係か、もっとストレートに傲慢なヤツとなっております。 


デイジー(キャリー・マリガン)のことは前にどっかで書いたから、最後にギャツビー。


ラーマン監督からすれば、互いの出世作『ロミオ+ジュリエット』から17年ぶりの邂逅。

ギルバート・グレイプの天才少年が、ギャツビーを演じる年頃になりました。

ギャツビーに関してはイメージに合っているも合っていないもなく・・・、レオ様なのだった。 

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