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某日21時過ぎ、会議中にゲッチから着信。
21:23
「おたん」
21:24
「じょうび」
21:26
「おめで」
21:29
「とぅ」
ぅは小文字か・・・。
このメールは、誕生日の祝福メールが1通も来ない場合に供え、あらかじめゲッチに依頼しておいたものだ。
4通に分けるとは、さすが気が利く。
4件にカウントできて助かるわぁ。
と、いう訳で今年もひとつ、歳を重ねることが出来ました。
お仕事。
プライベートはともかく、 職場では比較的大人ぶっていたりするものの。
最近、英語の打合せなど増えて四苦八苦。
話せねーなぁ、まじで!
特に電話がまいっちんぐ。
ある程度は英語ができるという周囲の誤解を、長年放置してきた過去の自分を今からでも殴りたい。
今から一緒に、これから一緒に、殴りに行こうかぁ~ ♪
(クスリはダメ、ぜったい。)
私生活。
やはり一番大きいのは子供かもしれない。
子供と接するというのは、人生の主役の座をいくらか明け渡すコトだと思う。
(パーセンテージは人によって様々でしょうが)
奥さんの努力に較べればおこがましいくらいだけど、旦那とてやはり、多少そういう部分はあるわ。
世界が誰のものかが、理屈じゃなくて、実感としてストンと腑に落ちるとでも言うのかな。
圧倒的な輝きとエネルギー。
誰かを支えるという行為にも、若い頃には思いもよらなかった喜びがあるもんだと、思い知る次第。
主役って話で言えば、俺も
モラトリアムの波間をふわふわと漂っていたい・・・
という期間の長い男だった。
詳細な年表は見苦しいので割愛しますが、まあ長かったよ。
相変わらずゆとり成長(今年も健康診断で検便提出できず)の俺だけど、あの頃と比べたら今昔の感に堪えんね。
だってね。
まず、モノを考えるトレーニングをしてないから、一言で言うととっても頭が悪かった。
今でもアホだけど、今の比じゃなかった。
そのくせ自意識だけは高くて、人から賢いと思われたがり、
聞きかじったような言葉で喋るから、何を言っているか誰にも分からず(俺にもわからん)。
そんなチンカス君だった。
なぜ、そこまでアホで居られたかと言うと、変化に鈍感で、いつまでも今の毎日が続くと思っていたから。
それは誰の心にも潜む思いで、
徳永英明が
思春期に少年から大人にかわるぅ♪
と歌ったその変化を一言で言うすれば、要するに、
「いつ、どんなふうに勘違いと決別するか」
ってことに尽きると思う。
変な例ですが、仮にあなたが妙齢の女性だとして、彼氏のたーくん(誰やねん)が、
「俺、お前のこと大好きだよ。
でも、俺はこのとおり未熟で・・・、まだまだ学ばないといけないコトが沢山ある。
収入だって、自分を食わすのが精一杯だしさ。
だから・・・、だから結婚はちょっと待って欲しい。
時間が欲しいんだよ。
お前を背負って人生を歩いていくだけの自信が着く、その日まで・・・」
とか言い出したら、それは直訳すると
「俺、もっとフラフラ遊んでたい」
というだけのことなんで。
昔の俺に匹敵するスカタンという事になります。
もし30歳ならギリ治る可能性があるものの。
35歳の彼氏だったらもう不治の病なんで、別れないと低温火傷するでしょうね。
そんな患者さん、および症状を、自戒をこめて、
「モラトリアムふわお」
そう呼んでおきましょうか。
ふわおは、一回身体から出て行ったらゼッタイ再度憑依しない、とは言えない気もするんで。
一歩一歩、油断せずに行こうぜ、なあ >俺。
(写真は、オクトーバーフェストちら見帰りの日比谷公園)