そんなこんなで、コロナ以来、約3年ぶりの渡米。
一気に気温が下がったニューヨークへ。
NYは、11月前半は15度くらい気温があったのに、11/14の週から一気に1度くらいに冷え込みました。
米国は6/12から入国に際してCOVID-19の陰性証明を提示する命令を取り消したので、だいぶ行き来しやすくなりました。
そして、9/7、日本への再入国においても陰性証明の提示が不要に。
ここで登場するのがワクチンの接種証明。(3回接種した証明が必要)
あの、打つ度に我々に軽からぬ副反応をもたらした腹立たしいワクチン・・・、
こと渡米においては、打っといて無駄じゃなかったって事で。
言うまでもなく、過去に3回ワクチンを打ったなんて事は、現時点での感染有無に何の保証も与えませんけどね(笑)
まあ、これが政治的判断というものなんでしょう。
それにしても、とっても時間がかかるのであった。
フライト時間、12時間45分。
ちょうど、アンカレッジ上空のこの辺りで半分くらいかな。
・・・ZZZ
着いた!
さ・・・、寒いッ!
今日の最低気温はマイナス1度。
コートを持ってきてよかった。
(日本を出るまではコートがとっても邪魔だった)
勿論、仕事で来てる訳ですが。
今日は明日以降の準備に使う予備日なので、ほんのちょっと時間があります。
米国の博物館は、スケールが多くてたまりません。
ちょっと個人的にネイティブ・アメリカンについて調べ事をしておりまして。
国立アメリカインディアン博物館。
1625年設立のこの税関ビルの美しさ。
アッパー・ウエストサイドの自然史博物館も外せません。
うちの子供達は映画「ナイトミュージアム」が大好きなんで、次回は連れてきてあげたい。
ちなみに・・・。
あんまりブログで語った事はありませんが、小生は無類のビートルズ好きです。
学生時代は『ノーウェア』も毎号買って読んでました。
(ノーウェアは、とっくに解散してメンバーも半分他界したビートルズを毎号徹底的に掘り下げる執念の雑誌です)
そしてロンドンに住んでいた時は、アビーロード・スタジオを見下ろせるアパートに居ました。
今、こうしてNYに居る以上は・・・
ダコタ・ハウスは欠かせません。
1980年12月8日。
まさにここで、ジョン・レノンは凶弾に倒れてしまった訳ですが。
犯人はわざわざホノルルからジョンを殺害しにやってきた25歳の警備員、チャップマン。
倒れたレノンは40歳でした。
今でもオノ・ヨーコさんはこの最上階で暮らしています。
ジョンが今生きていたら82歳ですが、今ある以上の名曲をどれくらい生み出したかと思うと、悔しい限りです。
すっごい当たり前の事書いてるけど、こんなとこで奇抜なコメントをする気にならない。
ただ、残念だなぁとしみじみ思います。
勿論あの名曲から名を取られた、ストロベリー・フィールズを通って帰ろう。
ちょっと、最後しみじみしちゃったナ。
それにしても、秋のセントラルパークは素晴らしいですね。
・・・さて、ご飯食べて、仕事の準備!