個人的に濃厚な一週間だったと思います(最初にまとめ)
自分で表現したいテーマを決めて情報をその都度表していく。それが文でも絵でも音楽でも同じことなのだと思う
するとその時その時に行きたい方向の情報が向こうから現れるようになってきて
仏教でも知恵は見つけるのではなく汚れた鏡を拭くように自ずから表れる(洗われる)というらしく
なかでも最近気になったのは確かに今の漫画は人が描いたのではなく加工みたいになっているんだな…とか
確かガンダムエースで安彦さんと寺田さんが手塚漫画をはじめ昭和の漫画家、日本の漫画家は海外とは違って登場人物に語らせてるから面白いと対談していたけれど
そういった日本民族性の土着感や物質に縛られない表現力がデジタルで密度が上がったことで今の漫画は工業製品みたいなものになってしまったのかな…とかなんだか思ってしまいました
CGでもそういったものを失わず表現している方もいてその辺りのラインに何らかの秘密があるのでは(何の)なんて
人は自由性を求めて表現すると思うけど、社会の技術や情報が発達することで作業効率や情報浸透率が上がるいっぽうで他者への追随や摸倣、規格品にと落ち込むリスクもあわせて発達してしまった
モノを発明したり技術が発達すると発明品に使われたりそれが増えすぎると環境に害を与えたり快適さを逆にそこなってしまう
発明には利と害の二極性が何故かともなうらしく、バランスを見極めないと道具に使われてしまうらしい
しかし、個人的にお金の常識辺りかなり覆されて、ドイツ作家のミヒャエル・エンデにパンチを喰らわされた感じなんですが「エンデの遺言」でですが
お金は国が発行するものだから本来はいわば公共物みたいなものですが、現代の経済では資本があればお金を所有できるから流通する過程で銀行や投資家といった民事のものになっていて相場を変動させるために流れが抑制されていたりもして
ルドルフシュタイナーは「お金は血液のようなもの」だと言っていましたがそういったお金というものにはよく観察してみると生物的なところもあって流れが止まると凝固してしまい死滅してしまう
結果、過去にはそれらが不況や恐慌になって表れたみたいですが…
だからお金は本来は時間と共に老化していって価値を減らさなければ物質的なものとは等価交換にはならないんです
モノは時間と共に劣化して価格は下がるけどお金は物質的な紙幣などはそのままでは増えないけど数字上だけでは増やせるから利子などは増やせてしまう
だから過去の地域紙幣は時と共に価値を減らすシステムを採用してゼロ利子やマイナス利子を実現することができた
現行のシステムだとプラス利子が常識みたいになってるけど、このシステムだと銀行や資本力のある人が流れを抑制し溜め込む事ができるけど、それによって市場全体にかかる金利負担が増大してしまい更に国の負担も増大するわけで効率の悪いシステムを未だにつづけているみたいです
お金は皆が共通して使うから公共の道路みたいなもので、お金を溜め込んでいる人は公共の道の真ん中に居座って通行人や車で道を通る人に利子という通行料を要求しているようなもので、本来は公共のお金を溜め込んでいるのだからそういった人から公共使用料をもらわないと経済バランスがとれないみたいなんです
「成長を前提にし、成長を強制する性格をもつ現行の金融システムが、この競争社会を産み出している根本原因です」
「現行の金融システムはたかだか数百年で人がつくったシステムだから、その限界や不合理にきづけば変えることもできる」ミヒャエル・エンデ
自分で表現したいテーマを決めて情報をその都度表していく。それが文でも絵でも音楽でも同じことなのだと思う
するとその時その時に行きたい方向の情報が向こうから現れるようになってきて
仏教でも知恵は見つけるのではなく汚れた鏡を拭くように自ずから表れる(洗われる)というらしく
なかでも最近気になったのは確かに今の漫画は人が描いたのではなく加工みたいになっているんだな…とか
確かガンダムエースで安彦さんと寺田さんが手塚漫画をはじめ昭和の漫画家、日本の漫画家は海外とは違って登場人物に語らせてるから面白いと対談していたけれど
そういった日本民族性の土着感や物質に縛られない表現力がデジタルで密度が上がったことで今の漫画は工業製品みたいなものになってしまったのかな…とかなんだか思ってしまいました
CGでもそういったものを失わず表現している方もいてその辺りのラインに何らかの秘密があるのでは(何の)なんて
人は自由性を求めて表現すると思うけど、社会の技術や情報が発達することで作業効率や情報浸透率が上がるいっぽうで他者への追随や摸倣、規格品にと落ち込むリスクもあわせて発達してしまった
モノを発明したり技術が発達すると発明品に使われたりそれが増えすぎると環境に害を与えたり快適さを逆にそこなってしまう
発明には利と害の二極性が何故かともなうらしく、バランスを見極めないと道具に使われてしまうらしい
しかし、個人的にお金の常識辺りかなり覆されて、ドイツ作家のミヒャエル・エンデにパンチを喰らわされた感じなんですが「エンデの遺言」でですが
お金は国が発行するものだから本来はいわば公共物みたいなものですが、現代の経済では資本があればお金を所有できるから流通する過程で銀行や投資家といった民事のものになっていて相場を変動させるために流れが抑制されていたりもして
ルドルフシュタイナーは「お金は血液のようなもの」だと言っていましたがそういったお金というものにはよく観察してみると生物的なところもあって流れが止まると凝固してしまい死滅してしまう
結果、過去にはそれらが不況や恐慌になって表れたみたいですが…
だからお金は本来は時間と共に老化していって価値を減らさなければ物質的なものとは等価交換にはならないんです
モノは時間と共に劣化して価格は下がるけどお金は物質的な紙幣などはそのままでは増えないけど数字上だけでは増やせるから利子などは増やせてしまう
だから過去の地域紙幣は時と共に価値を減らすシステムを採用してゼロ利子やマイナス利子を実現することができた
現行のシステムだとプラス利子が常識みたいになってるけど、このシステムだと銀行や資本力のある人が流れを抑制し溜め込む事ができるけど、それによって市場全体にかかる金利負担が増大してしまい更に国の負担も増大するわけで効率の悪いシステムを未だにつづけているみたいです
お金は皆が共通して使うから公共の道路みたいなもので、お金を溜め込んでいる人は公共の道の真ん中に居座って通行人や車で道を通る人に利子という通行料を要求しているようなもので、本来は公共のお金を溜め込んでいるのだからそういった人から公共使用料をもらわないと経済バランスがとれないみたいなんです
「成長を前提にし、成長を強制する性格をもつ現行の金融システムが、この競争社会を産み出している根本原因です」
「現行の金融システムはたかだか数百年で人がつくったシステムだから、その限界や不合理にきづけば変えることもできる」ミヒャエル・エンデ