わたくし、サンダー・ウルフは、長く自傷行為をしていました。
その理由のひとつは、「見えない心の傷を、身体の傷として表し、『手当て』を現実的・具体的にしたかった」のです。
けれど、その傷跡は、今もハッキリと残り、消えることはない。
そんな左腕の『声』が、あるとき聴こえてきたのです。
以下に記すのは、当時のピチピチの文章だ。
ーー
【左腕】
「切断してしまいたいな」と思ったことがある。
思っただけだ。
でも、その時、わたしは、「精神的に切断してしまった」のだ。
いつも、自分の視界に入らないように。
いつも、誰かの視界に入らないように。
毎日、風呂で諦めて。
毎日、着替えで諦めて。
でも、悲しくならないように、「しょうがなかったよね」と、なけなしの気休めを集めて、自分を慰めた。
こんなに消えないものだと知っていたら、やらなかっただろうか……。
こんなことを考えても仕方がないけれど、たまに考える。
そして、「それでもやっただろうな」と、また諦める。
本当に、こんなことを考えても仕方がないのだが。
考える。
「切断してしまいたいな」と思ったことがある。
悩まなくて済むのだから。
悲しまなくて済むのだから。
楽なのだろうから。
だから、わたしは、「精神的に切断してしまった」のだ。
左腕の感覚だけじゃなく、悩みや、悲しみや、どうしようもなさ……そういう感情ごと、切り離してしまった。
心の一部を、切り離したのだ。
ピアノが弾けなくなった。
――
長年通っている、原キョウコさんのダンスセラピー。
いつものストレッチ。
ふいに、左腕の声が聞こえた。
「俺はここに居るけど」
とても静かな声だった。
「俺はいつもここに居るけど」
このとき初めて、わたしは自分の左腕を「わずらわしいもの」ではなく、もはや「無いものとしていた」ことを知った。
左腕は、いつも、いつも、いつも、踊りに参加してくれていた。
右手と絡み、頬をさすり、足を持ち上げ……いつもこの身体のために、いやわたしのために、……いや、ただ、ただ、そうすることが当然であるように、在った。
わたしは、咄嗟に謝った。
けれど、『謝る』ことも、ましてや『感謝』することも、違うような感じがした。
「俺は、ただ、いつも、ここに居るけど」
……左腕は、ただ意思を伝えてきた。
そして、そんな左腕の声に、頷ける柔らかさが、わたしの中に生まれていた。
今まで、頷くことができなかったのだ。
左手がこの身体とともにあることを、認められなかった。
久しぶりに、左手をちゃんと見た。
――
ともにある。
これまでも、これからも、ともにある。
ともにあることを、ただ、想う。
それだけで、よいのだった。
ーー