サンダー杉山blog

まあいろいろと。音楽主体かな。あと本とかアニメとか。

小松左京氏のSF的なヴィジョン

2011-08-02 00:05:06 | Weblog

小松左京氏の訃報をニュースで知った。

SFのドラマ的な構造として、個人ではなく、社会を描く、といった側面を氏ほどのスケールで表現した作家は類を見ないと思う。

「日本沈没」は、日本が科学的にどういうメカニズムで沈没するか、というより日本が沈没する、というSF的な状況の中で、どうなっていくか、というわけだ。

ゆえに、スペクタクル活劇というより、住むべき国土を失った「日本人」が「日本が沈没」したあと、どう生きていくか、ということがテーマであり、明確な結論を示さないまま、わかればなれになった恋人の姿に余韻を託す。

映画版で、印象深いのは、老人が札幌雪まつりの雪像をつくりながら、津波に飲み込まれていったり、落ちそうになったロープーウェイから、老婆が飛びおりて、廻りを助けようとしたところに、子供が抱いていたぬいぐるみを捨てたことによって、ロープーウェイが動きだしたりする場面がある。

政府が、日本の今後についていろいろな意見書見たいのを作らせるわけだが、その中で、「日本人総自決案」みたいなのがあって、外国に行ってばらならになって生き延びるより、沈没と一緒にみんな死んじゃったほうが幸せなんじゃないかみたいな、案があったりする、といった想像力は生半可じゃない。

「復活の日」は米ソ冷戦のなかで、生物化学兵器の事故で、ほとんどの人が死んじゃって、一部だけ南極大陸で生き残るっていう、状況なわけなんだが、人類の種の存続のために、パートナーをくじ引きで決めるっていう場面に、かなり強烈な印象がある。

そしてなにより、「さよならジュピター」である。

もう構想が巨大すぎて、もはやモンド的な色彩が強い。映画版はSF映画ファンからはゲテモノ扱いである。

まあ、ここでいわゆる日本のSF映画ファンは、申し訳ないけどスターウォーズでも見ててくれ、と言いたくなるのだが、それはさておき。

そもそも、木星を太陽化する「JS計画」ってのもすごいが(このアイデアはクラークの2010と同じモチーフですな)、それが木星を爆破する「JN計画」に変わるわけなんだが、どっちにしても許せん、といってジュピター教団がテロを仕掛ける。

なんかイルカをかわいがってる、ヒッピーな教祖は平和主義なのに、木星までいってレーザー銃を撃ちまくる教団のメンバー。このへんはいわゆるいまどきの原理主義テロを予言していたような想像力というか、なまなましさを感じないわけにはいかない。

「さよならジュピター」に関しては、ジュピターゴーストといった、なんだかわからない木星の主みたいなのも出てきたり、とにかくいろいろテンコ盛りで大好きな映画である。

宇宙戦争やら、冒険活劇だけが、というより小松左京氏のモチーフこそがSFの本流なんだよ、といまさらながら声を大にして言いたいと思った…