作詞することは嫌いじゃない。
というか、06年から、よっぽどのことがない限り作詞作曲セットというスタンスにしている。
作詞をするときは、罫線のない白い紙にシャープペンで書いていく。家にいるときはクロッキー帳を使うし、出先の時はシステム手帳にさした白い紙を使う。
書き直し書きなおしするからだ……。
はてさて、今日の夕方くらいから3時間くらい詩を書いていたのだけれど、たまたま同じふわりの曲と同じ歌詞になっていて、今日はもう駄目だー、というあきらめモードになった。
ここ二年は、女性ボーカル曲ばっか(ボカロ含め)書いている。キモいとか言われるかもしれないが。
といっても、どーも「アタシ」という人称が好きではない。使うとしたら「ワタシ」にする。ボカロの場合は初音ミクなら「ボク」にしてしまう。
それはさておき。
いま書いてるのは、ディスコ・クラッシックスっぽい曲なんで、それっぽいシチュエーションで書いている。
行き詰ったところで、ひさしぶりに鷺沢萠の「少年たちの終わらない夜」という中短編集を本棚から引っ張り出してきた。
鷺沢萠が大学生だった頃の作品は本当に大好きで、同じ年だったりするものだから、時が過ぎてもなんだか、自分の甘酸っぱい思いでみたいのが年々付加されてくるような気がする。
ちょっとややこしいんだけど、ディスコ・クラッシックスというと、だいたい、80年代後半を軸にしてのクラッシックスなので、70年代から80年代前半のものをさしたりする。
「少年たちの終わらない夜」に収録されている「ユーロビートじゃ踊れない」という中編があるのだけれど、この辺の感覚が僕にとってもすごくある。「ユーロビート」じゃなくて何ならいいの、っていうと
ボビー・ブラウン「ドン・ビー・クルエル」だったりする……。
文中に明確な表現はされていないけれど、ユーロビートに相対する音楽としてソウル・ミュージックがあることは明らかにわかるし、流れ的にディスコ・クラッシックスが響いている。
それほど長くない話なんだけれど、やっぱ相反するもの、たとえば、工事現場でバイトしてる主人公と女子大生みたいな構図がある。
ただ、表面的には社会的な立場の違いが描かれていつつ、主人公たちの恋愛模様は、大人と子供の境界線みたいなものが作用してくる。こういった重層的な相反は「スタイリッシュキッズ」までの鷺沢萠の重要なモチーフになっている。
こっちがわとあっちがわ。
それをいきかう、人の気持ち。
まあそういったものを歌の歌詞に込めたいわけです。
まあ歌の歌詞はあんまり重くしたくないんで、答えが出ないところは世界とか地球とか宇宙を出してあやふやにしちゃうんだけどね。
それはごまかしではないと思うよ。
すれ違う気持ちを、一つにすることもポップミュージックの要素だからね!!
というか、06年から、よっぽどのことがない限り作詞作曲セットというスタンスにしている。
作詞をするときは、罫線のない白い紙にシャープペンで書いていく。家にいるときはクロッキー帳を使うし、出先の時はシステム手帳にさした白い紙を使う。
書き直し書きなおしするからだ……。
はてさて、今日の夕方くらいから3時間くらい詩を書いていたのだけれど、たまたま同じふわりの曲と同じ歌詞になっていて、今日はもう駄目だー、というあきらめモードになった。
ここ二年は、女性ボーカル曲ばっか(ボカロ含め)書いている。キモいとか言われるかもしれないが。
といっても、どーも「アタシ」という人称が好きではない。使うとしたら「ワタシ」にする。ボカロの場合は初音ミクなら「ボク」にしてしまう。
それはさておき。
いま書いてるのは、ディスコ・クラッシックスっぽい曲なんで、それっぽいシチュエーションで書いている。
行き詰ったところで、ひさしぶりに鷺沢萠の「少年たちの終わらない夜」という中短編集を本棚から引っ張り出してきた。
鷺沢萠が大学生だった頃の作品は本当に大好きで、同じ年だったりするものだから、時が過ぎてもなんだか、自分の甘酸っぱい思いでみたいのが年々付加されてくるような気がする。
ちょっとややこしいんだけど、ディスコ・クラッシックスというと、だいたい、80年代後半を軸にしてのクラッシックスなので、70年代から80年代前半のものをさしたりする。
「少年たちの終わらない夜」に収録されている「ユーロビートじゃ踊れない」という中編があるのだけれど、この辺の感覚が僕にとってもすごくある。「ユーロビート」じゃなくて何ならいいの、っていうと
ボビー・ブラウン「ドン・ビー・クルエル」だったりする……。
文中に明確な表現はされていないけれど、ユーロビートに相対する音楽としてソウル・ミュージックがあることは明らかにわかるし、流れ的にディスコ・クラッシックスが響いている。
それほど長くない話なんだけれど、やっぱ相反するもの、たとえば、工事現場でバイトしてる主人公と女子大生みたいな構図がある。
ただ、表面的には社会的な立場の違いが描かれていつつ、主人公たちの恋愛模様は、大人と子供の境界線みたいなものが作用してくる。こういった重層的な相反は「スタイリッシュキッズ」までの鷺沢萠の重要なモチーフになっている。
こっちがわとあっちがわ。
それをいきかう、人の気持ち。
まあそういったものを歌の歌詞に込めたいわけです。
まあ歌の歌詞はあんまり重くしたくないんで、答えが出ないところは世界とか地球とか宇宙を出してあやふやにしちゃうんだけどね。
それはごまかしではないと思うよ。
すれ違う気持ちを、一つにすることもポップミュージックの要素だからね!!