松本で信州うつ病治療フォーラムの講演会があった。
九州大学の神庭重信先生の講演でタイトルは「いわゆる「新型うつ病」とは何か?」
言い尽くされた感じのある「いわゆる新型うつ病」に関するよくある講演とは異なり、内容は文化心理学、社会心理学の知見を盛り込み話題は脱線しつつ多岐にわたった興味深いものだった。
印象に残ったところをピックアップ。
「
こころには世界共通の普遍的なmindと、文化に依存するmentalityがある。
集団主義や個人主義というのは後天的に獲得された形質。
民族、地域ごとに異なった、いわゆる文化的アフォーダンスにより我々の思考や行動は規定されている。
(ちなみに性差や発達特性の差異による個人因子にもアフォードされていると思う。)
日本は個人主義的になってきたところもあるとはいえ、As if 個人主義といった段階。
新型うつ病の人に対しては、ついつい皮肉な眼をむけてしまうがこれはいけない。
(これ自体すでに文化的アフォーダンスの一例だろう。)
ずるずると職場でうつ状態が続く、適応障害やいわゆる新型うつ病のような病態はオーストラリアでは精神的医学的に問題になることはないそうだ。
それは、そういう状態になれば、やめればいい、横にうつればいいから。
そういう道があるから。
集団主義的な日本ではまだまだ村社会、縦社会であり、その中でポジションを維持しようとするから苦しくなる。本当はより自分にあった生き方を求めてドロップアウトしたり横に動けばすむはずなのだが・・・。
また、かつては企業にも余裕があり、うつ病者も、ゆったりとリハビリしたり、居場所を見つけることもできた。
しかし今や企業にも余裕は無く、医学に復職リハ(リワークプログラム)を期待し、100%良くしてから戻って来てから即戦力として働いてもらいます、というスタンス。
しかしこれには無理があるのではないか。
新型うつ病とはいえ治療は急性期には良質な休養と薬物治療が中心(笠原の小精神療法のような。)
症状が軽快したらリハビリと精神療法にウェイトを移す。
その際、弱みではなく強み(ストレングス)に眼を向けることも大切。
本人の長所を活かしつつ、短所の成長を促す。
病棟に短期間入院したりリワークのプログラムでグループ(セルフヘルプ)の力を引き出すのもよい。
だいたい3年くらいでよくなるが、休養期間の切れ目がきっかけとなることも多い。
(期限がないと人は動けないもの。)
期待より希望をあたえるように。
「いずれ、よくなるはずである。」と言うのが良い。
しかし診察室でできる精神科医の仕事には限界がある。
復帰してもまたすぐにダメになる職場は上司が未熟なことが多い。これは上司を呼べばわかる。
未熟型うつ病の未熟とは上司が未熟なのではないかと思うほどだ。
鍵となるべき産業医も精神疾患への理解はまだまだで、聞きかじってあたかも分かった様なことを言う人や、精神疾患は一切関わらないというスタンスの人が多い。
うつ病を理解し、職場と当人の間に入り一生懸命ていねいにやってくれる人はまだまだ少ない。
場合によっては仕事をやめることがよくなる道かもしれない。
やめることや、降参することが恥ではない社会、再チャレンジも許される社会、ならばいわゆる新型うつ病の病態もかわってくるのではないか。
個人主義的、個々が確立している国民が作ったやり方である認知行動療法もいいが、我々にはあるがままを受け入れる森田療法的な生き方が合っていることも多いのではないか。
」
ってな内容でした。
うつになってはじめて休める。価値観の転換を迫られる・・・・。
やはり価値観の転換、優先順位の付けなおしがリカバリーにはもとめられますね。
期限が大切というのも身につまされます。
弱者へのまなざしが優しく、いろんな価値観が許され、降りて行く生き方も認められる文化なら、うつになる人も自殺する人も減るんじゃないかなと思いました。
疑問に思ったのは、気候が良く一生懸命働かなくても食べて行けて、仕事をシェアするインドなどの南の国は?社会保障制度がととのった北欧の人は?ワークシェアリングのすすんだオランダは?個人主義のフランス、人生を楽しむラテンの国々の人は?イスラムの人は?いわゆる「新型うつ病」のような状態になるのだろうか?ということ。
それぞれの国の人に聞いてみたいものです。
あと、講演会後に同僚とディスカッションしていて
「現代は選択肢は増え、組織から飛び出ての横への移動は昔と比べてやりやすくなっているはずではないか?それなのに新型うつ病が増えているのは何故か?」という話しになりました。
これに関しては確かに選択肢は増えたけど、移れる条件の人とそうでない人がいる。
皆が同じようなコースしか無かった時代、同じ夢を見られていた時代は他の選択肢のことなど考えもしなかったし、いつの時代にも突き抜けた人はいただろうがそれはごく少数であっただろう。
震災後の物資の支援のときにも明らかになったが、日本人は皆で我慢することは強いが、不公平感に弱い。
選択肢は増えたように見えるが、個性的な生き方を選ぶことに躊躇しない個が確立した人は今でもそれほど多くない。
その辺りに苦しさがあるのではないか・・・。
という話しになりました。
これこそがAs if 個人主義なのでしょうか。
九州大学の神庭重信先生の講演でタイトルは「いわゆる「新型うつ病」とは何か?」
言い尽くされた感じのある「いわゆる新型うつ病」に関するよくある講演とは異なり、内容は文化心理学、社会心理学の知見を盛り込み話題は脱線しつつ多岐にわたった興味深いものだった。
印象に残ったところをピックアップ。
「
こころには世界共通の普遍的なmindと、文化に依存するmentalityがある。
集団主義や個人主義というのは後天的に獲得された形質。
民族、地域ごとに異なった、いわゆる文化的アフォーダンスにより我々の思考や行動は規定されている。
(ちなみに性差や発達特性の差異による個人因子にもアフォードされていると思う。)
日本は個人主義的になってきたところもあるとはいえ、As if 個人主義といった段階。
新型うつ病の人に対しては、ついつい皮肉な眼をむけてしまうがこれはいけない。
(これ自体すでに文化的アフォーダンスの一例だろう。)
ずるずると職場でうつ状態が続く、適応障害やいわゆる新型うつ病のような病態はオーストラリアでは精神的医学的に問題になることはないそうだ。
それは、そういう状態になれば、やめればいい、横にうつればいいから。
そういう道があるから。
集団主義的な日本ではまだまだ村社会、縦社会であり、その中でポジションを維持しようとするから苦しくなる。本当はより自分にあった生き方を求めてドロップアウトしたり横に動けばすむはずなのだが・・・。
また、かつては企業にも余裕があり、うつ病者も、ゆったりとリハビリしたり、居場所を見つけることもできた。
しかし今や企業にも余裕は無く、医学に復職リハ(リワークプログラム)を期待し、100%良くしてから戻って来てから即戦力として働いてもらいます、というスタンス。
しかしこれには無理があるのではないか。
新型うつ病とはいえ治療は急性期には良質な休養と薬物治療が中心(笠原の小精神療法のような。)
症状が軽快したらリハビリと精神療法にウェイトを移す。
その際、弱みではなく強み(ストレングス)に眼を向けることも大切。
本人の長所を活かしつつ、短所の成長を促す。
病棟に短期間入院したりリワークのプログラムでグループ(セルフヘルプ)の力を引き出すのもよい。
だいたい3年くらいでよくなるが、休養期間の切れ目がきっかけとなることも多い。
(期限がないと人は動けないもの。)
期待より希望をあたえるように。
「いずれ、よくなるはずである。」と言うのが良い。
しかし診察室でできる精神科医の仕事には限界がある。
復帰してもまたすぐにダメになる職場は上司が未熟なことが多い。これは上司を呼べばわかる。
未熟型うつ病の未熟とは上司が未熟なのではないかと思うほどだ。
鍵となるべき産業医も精神疾患への理解はまだまだで、聞きかじってあたかも分かった様なことを言う人や、精神疾患は一切関わらないというスタンスの人が多い。
うつ病を理解し、職場と当人の間に入り一生懸命ていねいにやってくれる人はまだまだ少ない。
場合によっては仕事をやめることがよくなる道かもしれない。
やめることや、降参することが恥ではない社会、再チャレンジも許される社会、ならばいわゆる新型うつ病の病態もかわってくるのではないか。
個人主義的、個々が確立している国民が作ったやり方である認知行動療法もいいが、我々にはあるがままを受け入れる森田療法的な生き方が合っていることも多いのではないか。
」
ってな内容でした。
うつになってはじめて休める。価値観の転換を迫られる・・・・。
やはり価値観の転換、優先順位の付けなおしがリカバリーにはもとめられますね。
期限が大切というのも身につまされます。
弱者へのまなざしが優しく、いろんな価値観が許され、降りて行く生き方も認められる文化なら、うつになる人も自殺する人も減るんじゃないかなと思いました。
疑問に思ったのは、気候が良く一生懸命働かなくても食べて行けて、仕事をシェアするインドなどの南の国は?社会保障制度がととのった北欧の人は?ワークシェアリングのすすんだオランダは?個人主義のフランス、人生を楽しむラテンの国々の人は?イスラムの人は?いわゆる「新型うつ病」のような状態になるのだろうか?ということ。
それぞれの国の人に聞いてみたいものです。
あと、講演会後に同僚とディスカッションしていて
「現代は選択肢は増え、組織から飛び出ての横への移動は昔と比べてやりやすくなっているはずではないか?それなのに新型うつ病が増えているのは何故か?」という話しになりました。
これに関しては確かに選択肢は増えたけど、移れる条件の人とそうでない人がいる。
皆が同じようなコースしか無かった時代、同じ夢を見られていた時代は他の選択肢のことなど考えもしなかったし、いつの時代にも突き抜けた人はいただろうがそれはごく少数であっただろう。
震災後の物資の支援のときにも明らかになったが、日本人は皆で我慢することは強いが、不公平感に弱い。
選択肢は増えたように見えるが、個性的な生き方を選ぶことに躊躇しない個が確立した人は今でもそれほど多くない。
その辺りに苦しさがあるのではないか・・・。
という話しになりました。
これこそがAs if 個人主義なのでしょうか。