松本歯科大学で開催された第8回長野摂食・嚥下リハビリテーション研究会に参加した。
テーマは「認知症と向き合う」
当院からはST3人、医師2人、CW4人が参加していた。
治療食をつくっている複数のメーカーが様々なとろみ製剤やソフト食、補助栄養食などの試食コーナーをだしていた。
栄養士や歯科衛生士、看護師も参加できればよかったな・・。
このジャンルで当世を代表する3人の講演があったが質疑応答の時間やディスカッションの時間がなかったのは残念。
まず、東京都健康長寿医療センター研究所の平野浩彦先生。
「認知症の背景疾患(アルツハイマー型認知症など)は進行性の疾患、予見性をもったケアが求められる。」
初期のIADLレベルの買い物や調理といったところの障害から終末期の摂食・咀嚼・嚥下といったところまで食に関わる支援のニーズが移り変わっていく。
木を見て森を見ない対応ではいけない。しかもその森は季節が移り変わっている・・。
ついで東京ふれあい医療生協 梶原診療所の平原佐斗司先生。在宅医療のエキスパートだ。
「食べられないときにどうするか。」食べられない原因の見極めが必要。
肺炎などの合併症によるもの、認知症の中核症状の進行によるもの、それとも回復できない嚥下障害によるものか・・。
合併症による食思不振は肺炎や尿路感染、心不全の悪化などの場合もあるし、便秘や口腔内のトラブルによるものも、薬の副作用によるものも多く、これらにに対応することで食べられるようになることもある。
認知症の中核症状によるものは、注意障害や食べ物の認知の問題、失行や味覚の低下、口腔顔面失行、嚥下反射など・・病期によって様々な原因がある。視覚などに依存せず、より原始的な感覚をつかうなどの工夫が必要である。
回復できない嚥下障害は頸部聴診法や簡易嚥下誘発試験、場合によっては嚥下造影や嚥下内視鏡で総合的に判断する。
認知症の予後については様々な研究があるが、悪性疾患に匹敵する予後の悪さである。肺炎や発熱、摂食障害がみられたら半数近くは半年後に他界するというデーターもある。
そのように判断した時に意思決定の支援が必要である。
認知症の終末期で胃ろうを作っての延命効果に明確なエビデンスがない。他の要因による個人差が大きく命の長さはわからない。
(1年生存率10%~90%と様々)
認知症の終末期においては認知的感覚は失われるが直感的感覚は保たれる。
認知症にも緩和ケアという考え方が必要である。
認知症の人は表現できないものの痛みや息苦しさなどは感じている。BPSDが身体的苦痛を表していることもある。
終末期の意思決定の支援として、意思決定に参加する人を決定する。その際、直接介護に関わっていない遠方の息子なども含めなるべく全員に参加してもらうことが大切である。(カルフォルニアドーター現象を避けるため)
医師からの病期の自然経過や患者さんの経過など十分な情報提供のもと、複数の選択肢の中から患者のQOLと尊厳について代弁してみんなが考えることが必要。医師からは苦痛を感じていらっしゃるということや、未来のために長くいきたいという感覚は患者さんの中にはないこと、命が長いかとうかはこの段階では問題ではないことなどを伝えるそうだ。
その際、患者さんのアドバンスドディレクティブがなされていれば参考になる。
最期に北海道医療大学の山田律子先生の映像たっぷりのレクチャー。
高齢者の楽しみの第1位は食べること。
しかし認知症が進行していくと食べることにも支障をきたすようになる。
ただし「食べない」イコール「食べたくない」、「終末期」ではない。
認知症の方は自分で環境をととのえていくのが難しい。
そこに支援が必要で、何故食べないのか真意を探求することが必要。
支援者も環境の一部である。早期から多職種によるチームアプローチが重要である。
たくさんありすぎて集中できない、熱い、まずい、失禁している、失行や失認がある、白内障で見えない、器の色とのコントラストがなく飯がなくなったことに気づかない・・・。
器の色を変える、食器を変える、フランス料理のように一品ずつだすなどの工夫が有効なことも。
徹底した取り組みで亡くなるギリギリまで食べさせる支援をつづけたグループホームのデーターから嚥下反射が消失するまでは食べ続けることのできる可能性を示した。
認知症の方に関して食支援は大きな課題である。
精神科で認知症の方と関わっていて、BPSDの大変な次期を家族とともに乗り切ってきたが、肺炎などを繰り返すようになって他科で見られるようになりいつの間にか胃ろうをつくって施設へということもあった。
主治医のバトンを渡しそこねたケースだ。しかし最近は訪問診療もすすめられるようになり在宅で看取りまでかかわれるようなケースもでてきた。食支援に関して多職種でかかわる仕組みを作っていきたい。
テーマは「認知症と向き合う」
当院からはST3人、医師2人、CW4人が参加していた。
治療食をつくっている複数のメーカーが様々なとろみ製剤やソフト食、補助栄養食などの試食コーナーをだしていた。
栄養士や歯科衛生士、看護師も参加できればよかったな・・。
このジャンルで当世を代表する3人の講演があったが質疑応答の時間やディスカッションの時間がなかったのは残念。
まず、東京都健康長寿医療センター研究所の平野浩彦先生。
「認知症の背景疾患(アルツハイマー型認知症など)は進行性の疾患、予見性をもったケアが求められる。」
初期のIADLレベルの買い物や調理といったところの障害から終末期の摂食・咀嚼・嚥下といったところまで食に関わる支援のニーズが移り変わっていく。
木を見て森を見ない対応ではいけない。しかもその森は季節が移り変わっている・・。
ついで東京ふれあい医療生協 梶原診療所の平原佐斗司先生。在宅医療のエキスパートだ。
「食べられないときにどうするか。」食べられない原因の見極めが必要。
肺炎などの合併症によるもの、認知症の中核症状の進行によるもの、それとも回復できない嚥下障害によるものか・・。
合併症による食思不振は肺炎や尿路感染、心不全の悪化などの場合もあるし、便秘や口腔内のトラブルによるものも、薬の副作用によるものも多く、これらにに対応することで食べられるようになることもある。
認知症の中核症状によるものは、注意障害や食べ物の認知の問題、失行や味覚の低下、口腔顔面失行、嚥下反射など・・病期によって様々な原因がある。視覚などに依存せず、より原始的な感覚をつかうなどの工夫が必要である。
回復できない嚥下障害は頸部聴診法や簡易嚥下誘発試験、場合によっては嚥下造影や嚥下内視鏡で総合的に判断する。
認知症の予後については様々な研究があるが、悪性疾患に匹敵する予後の悪さである。肺炎や発熱、摂食障害がみられたら半数近くは半年後に他界するというデーターもある。
そのように判断した時に意思決定の支援が必要である。
認知症の終末期で胃ろうを作っての延命効果に明確なエビデンスがない。他の要因による個人差が大きく命の長さはわからない。
(1年生存率10%~90%と様々)
認知症の終末期においては認知的感覚は失われるが直感的感覚は保たれる。
認知症にも緩和ケアという考え方が必要である。
認知症の人は表現できないものの痛みや息苦しさなどは感じている。BPSDが身体的苦痛を表していることもある。
終末期の意思決定の支援として、意思決定に参加する人を決定する。その際、直接介護に関わっていない遠方の息子なども含めなるべく全員に参加してもらうことが大切である。(カルフォルニアドーター現象を避けるため)
医師からの病期の自然経過や患者さんの経過など十分な情報提供のもと、複数の選択肢の中から患者のQOLと尊厳について代弁してみんなが考えることが必要。医師からは苦痛を感じていらっしゃるということや、未来のために長くいきたいという感覚は患者さんの中にはないこと、命が長いかとうかはこの段階では問題ではないことなどを伝えるそうだ。
その際、患者さんのアドバンスドディレクティブがなされていれば参考になる。
最期に北海道医療大学の山田律子先生の映像たっぷりのレクチャー。
高齢者の楽しみの第1位は食べること。
しかし認知症が進行していくと食べることにも支障をきたすようになる。
ただし「食べない」イコール「食べたくない」、「終末期」ではない。
認知症の方は自分で環境をととのえていくのが難しい。
そこに支援が必要で、何故食べないのか真意を探求することが必要。
支援者も環境の一部である。早期から多職種によるチームアプローチが重要である。
たくさんありすぎて集中できない、熱い、まずい、失禁している、失行や失認がある、白内障で見えない、器の色とのコントラストがなく飯がなくなったことに気づかない・・・。
器の色を変える、食器を変える、フランス料理のように一品ずつだすなどの工夫が有効なことも。
徹底した取り組みで亡くなるギリギリまで食べさせる支援をつづけたグループホームのデーターから嚥下反射が消失するまでは食べ続けることのできる可能性を示した。
認知症の方に関して食支援は大きな課題である。
精神科で認知症の方と関わっていて、BPSDの大変な次期を家族とともに乗り切ってきたが、肺炎などを繰り返すようになって他科で見られるようになりいつの間にか胃ろうをつくって施設へということもあった。
主治医のバトンを渡しそこねたケースだ。しかし最近は訪問診療もすすめられるようになり在宅で看取りまでかかわれるようなケースもでてきた。食支援に関して多職種でかかわる仕組みを作っていきたい。