大学が夏季休暇のこの時期には医学生が病院に実習にやってくる。
卒後研修必修化にともない古くから研修医を採用し育てている当院に実習にやってくる医学生も増えた。卒業を間近に控え進路に悩む5、6年生が中心だが、低学年の学生がくることもある。
自分も学生時分には特権を利用して診療所や病院など、あちこちに実習に行かせていただいき、この病院にも2回ほどお世話になり、初期研修を経てそのまま居ついている。
夏季、春季以外にも不定期での中、長期の学生実習や信州大学からのBSL(Bed side learning 臨床実習)を科によって受け入れいれてはいる。しかし夏季のこの時期は毎週15人程度の学生が来て主に研修医について病院や地域のあちこちでウロチョロしており病院は特ににぎやかだ。学生の面倒まで見るの?とウンザリする人もいるが、基本的には世話好き、教え好きの人があつまったこの病院。研修が始まってしばらくたった研修医にとってもよい刺激になっているようだ。長年続けていることなので地域の人や患者さんも研修医や学生実習には慣れている。
学生実習は臨床研修を行う病院を決めるための下見という意味もあるが、大学や大学の関連病院以外でもさまざまな医療の現場を感じて自分に向いた分野、将来やりたいことをだんだんはっきりさせるという意味もある。研修が始まるとなかなか自由に時間がとれなくなるから学生時代がチャンスである。ここである程度の方向性を定めておかないと初期臨床研修も受身となりモチベーションもあがらないだろう。
病院と研修医がホストとなって交流会(飲み会)が研修棟の会議室で実習終了後の毎週金曜日に開かれる。実はこれが楽しみでこの病院にいるようなものだ。今週は大学の後輩が3人も来ていると大学の後輩でもある研修医にいわれ交流会に参加した。
わざわざ全国から学生が来てくれて、離れていても北海道の事情や、他の病院の様子、大学の様子が入ってくるのは多くの学生が実習に来てくれる病院ならでは。ありがたいことである。他にもスマートでカッコいいレベルの高い病院はいくらもある中であえてうちの病院にくる学生も面白い経験を積んだちょっと変わった人が多い。あちこちの大学から集まった学生、研修医やスタッフが交流することでが来ることで情報とモチベーションを交換する。かつて学生運動が熱かった時代の生き残りでもある敏腕副院長がいつもの大法螺を吹く。
医療福祉の現場は教育的な場であるし、病院は地域の教育機関でもある。近くの農村医学研修センターではさまざまなセミナーが開かれている。付属の看護学校の看護学生は病棟や地域での実習を繰り返しているし、PT(理学療法士)やOT(作業療法士)の福祉分野の学生もやってくる。病院に来る学生にとってもそうだし、スタッフにとってもそうだし、患者にとってもそう。エンパワメントされ地域で再び生きていく力をえて退院していく。また継続的なケアで自律を支援する。 地域で活躍する医療や保健のスタッフはそんな患者さんや高齢者から学ぶ。
若いケアスタッフが、スポーツや文化活動、子育て、消防団など地域の活動、家業の農業を手伝いながらケアの現場に携わるのは、ある意味それだけでメディコポリスを実現しているようなものだ。そして自分が老い、障害をもつ身になったときにこんどはケアを受ける側に回るのだ。
これだけの医学生がやって来くるという点ではある意味、農村医科大学を実現しているといえるだろう。今後、地域の短大のあとを引き継ぎ、看護学校と統合して看護大学設立の計画も具体的に動きはじめたようだ。 厳しさを増すこれからの時代の課題はFood Energy Careの地域圏内自給』(『もう一つの日本は可能だ』内橋克人著)といわれる。そういう意味では、この地域は最先端を行っているのかもしれない。
そういう自律した地域を増やしていくというのが自分の野望だ。できれば北海道で・・・・。これから日本におきるであろう医療崩壊は文明転換の第一歩。それからどう再建していくか・・・。である。しかし、今晩も救急外来の当直なり~。
卒後研修必修化にともない古くから研修医を採用し育てている当院に実習にやってくる医学生も増えた。卒業を間近に控え進路に悩む5、6年生が中心だが、低学年の学生がくることもある。
自分も学生時分には特権を利用して診療所や病院など、あちこちに実習に行かせていただいき、この病院にも2回ほどお世話になり、初期研修を経てそのまま居ついている。
夏季、春季以外にも不定期での中、長期の学生実習や信州大学からのBSL(Bed side learning 臨床実習)を科によって受け入れいれてはいる。しかし夏季のこの時期は毎週15人程度の学生が来て主に研修医について病院や地域のあちこちでウロチョロしており病院は特ににぎやかだ。学生の面倒まで見るの?とウンザリする人もいるが、基本的には世話好き、教え好きの人があつまったこの病院。研修が始まってしばらくたった研修医にとってもよい刺激になっているようだ。長年続けていることなので地域の人や患者さんも研修医や学生実習には慣れている。
学生実習は臨床研修を行う病院を決めるための下見という意味もあるが、大学や大学の関連病院以外でもさまざまな医療の現場を感じて自分に向いた分野、将来やりたいことをだんだんはっきりさせるという意味もある。研修が始まるとなかなか自由に時間がとれなくなるから学生時代がチャンスである。ここである程度の方向性を定めておかないと初期臨床研修も受身となりモチベーションもあがらないだろう。
病院と研修医がホストとなって交流会(飲み会)が研修棟の会議室で実習終了後の毎週金曜日に開かれる。実はこれが楽しみでこの病院にいるようなものだ。今週は大学の後輩が3人も来ていると大学の後輩でもある研修医にいわれ交流会に参加した。
わざわざ全国から学生が来てくれて、離れていても北海道の事情や、他の病院の様子、大学の様子が入ってくるのは多くの学生が実習に来てくれる病院ならでは。ありがたいことである。他にもスマートでカッコいいレベルの高い病院はいくらもある中であえてうちの病院にくる学生も面白い経験を積んだちょっと変わった人が多い。あちこちの大学から集まった学生、研修医やスタッフが交流することでが来ることで情報とモチベーションを交換する。かつて学生運動が熱かった時代の生き残りでもある敏腕副院長がいつもの大法螺を吹く。
医療福祉の現場は教育的な場であるし、病院は地域の教育機関でもある。近くの農村医学研修センターではさまざまなセミナーが開かれている。付属の看護学校の看護学生は病棟や地域での実習を繰り返しているし、PT(理学療法士)やOT(作業療法士)の福祉分野の学生もやってくる。病院に来る学生にとってもそうだし、スタッフにとってもそうだし、患者にとってもそう。エンパワメントされ地域で再び生きていく力をえて退院していく。また継続的なケアで自律を支援する。 地域で活躍する医療や保健のスタッフはそんな患者さんや高齢者から学ぶ。
若いケアスタッフが、スポーツや文化活動、子育て、消防団など地域の活動、家業の農業を手伝いながらケアの現場に携わるのは、ある意味それだけでメディコポリスを実現しているようなものだ。そして自分が老い、障害をもつ身になったときにこんどはケアを受ける側に回るのだ。
これだけの医学生がやって来くるという点ではある意味、農村医科大学を実現しているといえるだろう。今後、地域の短大のあとを引き継ぎ、看護学校と統合して看護大学設立の計画も具体的に動きはじめたようだ。 厳しさを増すこれからの時代の課題はFood Energy Careの地域圏内自給』(『もう一つの日本は可能だ』内橋克人著)といわれる。そういう意味では、この地域は最先端を行っているのかもしれない。
そういう自律した地域を増やしていくというのが自分の野望だ。できれば北海道で・・・・。これから日本におきるであろう医療崩壊は文明転換の第一歩。それからどう再建していくか・・・。である。しかし、今晩も救急外来の当直なり~。
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