政宗が亡くなった日から初七日が過ぎ
少し気持ちが落ち着いてきました。
前回の記事でたくさんの方が見に来ていただきありがとうございました。
本当は「看取り準備」というタイトルで記事を書いていました。
投稿するよりも先に逝ってしまいましたが・・・
現在進行形の記事内容を過去形に書き換える時の切なさったら・・・
涙で文字が見えなくなりながら1行づつ書き直して投稿しました。
ちゃんと眠れない日が続きましてね・・・
亡くなった当日の夜は献杯をして
お酒飲んだのですが酔えませんでした。
床について2時間くらいで目が覚めてしまい
気が付けば旦那さんも起きてるし・・・
「どうせ寝れないなら起きてるか」ってTVつけて
「長い夜になりそうだね」と言いながらウダウダしていました。
話題はずーっと政宗の話。
翌日は2人そろって寝不足で出勤。
政宗の火葬はその日の仕事終わりの18時に火葬しました。
出張してくれる火葬屋さんを見つけましてね。
そこでお世話になりました。
終わるまで家で待つ事1時間半ほど。
骨を拾うことも出来たのですが、お願いしました。
心と体のダメージが想像以上にあった・・・
でもさ。
いなくなった事は悲しくて寂しいけど
「もっとこうしてあげれば良かった」というような後悔は不思議とありませんでした。
飼い主の自己満足なのかな・・・
「政宗は幸せだったよね」
「家に来て良かったよね」
って、夫婦で語っています(^-^)
知り合いの方が
「初七日までは食べ物のお供えを毎日してあげると
あちらの世界で食べ物に困らないよ」
って教えてくれたので毎日フードと水、好きな物をお供えしていました。
初七日過ぎたらどちらでも良いそうです。
そしたらさ。
我が家の1番わがままな小次郎が
お供えのフードに向かって吠える吠える(;^ω^)
こんな小次郎ですが
政宗が体調不良の時はちょっかい出しませんでしたね。
この2人↓がいてくれて良かった。
いなかったら、ちょっとおかしくなっているかも・・・
でも、この二人も看取らないといけないのか・・・
って考えたりして・・・・・・
ネガティブな先の事を考えるのは止めろ!自分!
時間が解決することがあるよって言うけど
少しずつ心の変化がおきてるなぁ・・・って実感しています。
やっと普通に眠れるようになり
いつもの生活に戻りつつあります(^-^)
政宗の為にも2わんこの為にも
笑顔で明るく元気よく過ごしたいと思います!
これからもわんこ共々よろしくお願いします。
では、またね!
最後までお付き合いありがとうございます
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ー・-・-・-・-・ー
この度。
愛してやまない可愛い可愛い可愛い政宗が
慢性腎臓病1年間の闘病の末
8月26日(木)虹の橋を渡りました。
14歳でした。
ー・-・-・-・-・ー
政宗は去年の今頃。
食欲がなくなり吐いたりして
病院へ。
腎臓病が発覚しました。
尿毒症の状態でいつ亡くなってもおかしくないと言われ
BUNは数値が高すぎて測定不能でした・・・
この時政宗は13歳。
すでに白内障はありました。
主な治療は
皮下輸液と飲み薬の重曹。
特に皮下輸液が政宗の命をつないでいました。
そんな政宗は
8月半ば頃から調子が悪くなり
週に2回だった皮下輸液を週3回にしました。
心臓とか肺に水が溜まらないように体がむくまないように
量を調整しながらの輸液。
変な咳をしだしたら注意したりして。。。
輸液をしないと病状が悪化するし、脱水するし
輸液しすぎると水が溜まるし・・・
政宗の心臓が強いことを祈りながら
根治しない病気と付き合い始めて丁度1年。
上手くバランスがとれていると思っていましたが
政宗は年を重ねるし
病魔も静かに政宗の体を蝕んでいたようです。
8月半ば頃から状態が悪くなると転げ落ちるように
日に日に弱っていくのが見て取れます・・・
この時は連日皮下輸液していました。
ふらつきが強くなり真っすぐ歩けなくなりました。
うんPをするときは支えないと倒れるし。
食欲はあるものの立ってご飯を食べるのが大変そうな政宗。
「食べるの大変そうだな。でも食欲があるのは安心」と思っていた矢先
全く食べなくなり・・・吐いて、下痢して・・・
そして。
私達夫婦が困惑したのは、この頃から始まった夜泣きです。
もうこれは、どうしたら良いか分からずお手上げでした。
歩行がだいぶ不安定でしたのでトイレかと思いトイレに連れて行ったり
喉が渇いているのかと水を飲ませたり。
・・・それでも泣き止む事はありませんでした。
これは・・・いわゆる犬の認知症かな?と思いましたが
夜泣きは数日のみで、その後は全くなし。
いま、振り返って思うことは・・・
滅多に甘えてこない政宗でしたが
一気に体調が悪くなり夜は不安でさみしかったのだろうか・・・って思いました。
あとは慢性腎臓病独特の、あの嫌な臭いがしてきました。
病気発覚の1年前も同じような臭いがして
「いつ亡くなってもおかしくない」と言われ覚悟しましたが
その時は、なんとか持ち直した政宗。
今回はさすがに難しそうかな。。。と感じてしまう程の急降下・・・
それでも食べる気力がある時があって
おそらく先は永くないだろうから
食べられるもの、好きな物を食べさせました。
最期の晩餐は大好きな生クリームでした。
8月23日 腎臓病末期闘病中の政宗↓
政宗の体調が急降下した頃。
旦那さんと政宗の最期をどう看取るか話し合いをしました。
二人ともさほど相違のない考えでした。
①延命治療はしない。
慢性腎臓病があるので最低限の皮下輸液はしますがそれ以外の延命はしない方向で。
食べる事が大好きな政宗。
食べる量が少なくなりました。
残りわずかな時間なら好きなものを食べさせよう!
②入院はさせない。
政宗は大好きな家で最期を迎えたいと思っているはず。
たとえ留守中に亡くなったとしても慣れない病院のケージ内で逝くよりは
慣れ親しんだ我が家で逝かせてあげたい!
我が家は、おおむねこの様な方向性で政宗を看取る事に決めました。
政宗がこのような状態になった頃
愛犬の最期をどう看取るのか家族と話し合いが出来る時間があったことは
良かったと感じています。
避けては通れない愛犬の看取り・・・
10年以上一緒に過ごし闘病を共に頑張った政宗です。
最期を迎えようとしいる政宗に最善を尽くそうと話しました。
でもさ。
看取りを意識しだした頃は
答えのない自問自答を繰り返していましたよ。
唯一。
急逝するのではなく、政宗の最期をどう看取るか
考える時間があったことは良かったかな。
政宗の最期の日は
朝起きて私に支えられながらトイレで足を上げてシッコをしました。
その後フラフラしながら、やたらとリビングを歩き回り
いつも行かないような狭い場所に行ったり・・・
その時は、「今日はよく歩くなぁ」程度に思っていましたが
その日に亡くなった今は、「もしかしたら死に場所を探していたのかも?」
って思います。
落ち着かない政宗を
政宗の為に買った闘病用モフモフ布団に運び寝かせました。
その日はかりんの高血圧の受診へ。
出かける前に「行ってくるよ」と頭と体を撫でたのが最期となりました。
1時間半後。
帰宅したら息を引き取っていました。
8月26日の朝 生前最後の1枚↓
全く食べなくなってから2日目。
とても天気の良い暑い日でした。
時々。
政宗と一緒に過ごした日々を思い出します。
政宗はペットショップのいわゆる売れ残りで
1歳過ぎてから縁あって我が家に迎えた子です。
政宗が我が家の子になってくれて良かったです。
嬉しかったです!
楽しかったです!
政宗から学ぶことが沢山ありました!
本当は
3頭みんなそろって新しいキャンカーで出かけたかった・・・
その夢は叶わぬ夢となりました・・・
政宗。
闘病生活よく頑張ったね。
お疲れさまでした。
安らかに・・・・・
大きな目と大きな耳でシュナカットが良く似合っていました。
みんなに「可愛い」と言われモテモテな14年でした!
では、またね!
最後までお付き合いありがとうございます
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まだ、チャッピーがいた時に我が家の一員になったのが
ジョリーです。
中型犬を飼う事を決めた時、「シェルティーが良い」と提案したのは私です。
しかも、トライカラー(黒・白・茶)の犬種。
とても、賢い子でした。
ちょうど、中学・高校の時期だった私は部活に燃えていたので、
ジョリーと一緒に走る事が多くありました。
初めはジョリーのペースで散歩。
次は、私のペースでジョギングをします。
ジョリーは私のペースに合わせて走ってくれましたよ!
で、ヨーキーのチャッピーが事故死した後
父が責任を感じたのか(事故の原因が父の不注意でした)突然シーズーを買ってきて
我が家に仲間入り。
名前は「ポッキー」です。
しばらくジョリーとポッキーの2ワンと暮らしましたが、
ジョリー9歳の時、夜間に体調を崩し
次の日、朝一で病院へ連れて行こうとしましたが間に合いませんでした。
多分、病死だったと思います。
つづく
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時々、昔飼っていた犬達の事を想い出します。
私の人生、「犬を飼っていなかった事はない」
といっても過言ではない程、犬達と生活を共にしてきました。
記録に残しておきたい事もあり、
私と一緒に過ごした犬達を紹介していきたいと思います。
ちょっとだけ、お付き合いくだい。
まず、初めて我が家で飼う事になったワンコは・・・・・
父が職場からもらってきたミックスの白い雌のワンコです。
ころころしていて、真っ白だったので、
名前は「しろ」とつけました。
若かりし頃の父と私です・・・・・・・
な、懐かしぃ~(笑)
基本的に動物好きな私は、
何かと言うと、しろと一緒にいた記憶があります。
しかし、引っ越しをする際に行方不明になってしまいました・・・・・
しろが・・・・・5歳位の出来事だったのかな??
つづく
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昨日、ビアデッドコリーのアインシュタインが虹の橋を渡りました
「年を越せるかな」と家族で話しながらアインを見守っていました
アインは、1月2日までは立つことも出来ました
全くの寝たきりになって、5日目でお迎えがきました
「家族に迷惑をかけまいと・・・・・いい子だったね」
アインとは思い出がいっぱいです・・・・・・
ビアデッドコリーという珍しい犬種をペットショップで探してもらい
家族と迎えに行った時
子犬だからと用意したダンボールの中には入らなかったり・・・・・
家の中を泥棒が入ったのごとく、めちゃくちゃにしたり・・・・・
窓のカギをあけて、当時飼っていた小型犬2頭を引き連れて脱走していたり・・・・・
喉が渇くと、わざわざ水道の蛇口をひねり水を飲み、その後水は出しっぱなしだったり・・・・・
ドアを開けても開けっ放しだったり・・・・・
玄関のインターホンを鳴らしてみたり・・・・・
事件のような思い出ばかりですが、とても頭のいい子でした
どこに行くにも一緒でした
アインシュタイン・・・・・安らかに
思い出を、ありがとう
ずっと、忘れないよ
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先週の土曜日、実家で飼っているシルキーテリアのルークが老衰で天国へ旅立ちました
もともと後ろ足の弱いルークは、既に歩けない状態でオムツでした
亡くなる一週間前ルークが体調を崩した・・・
両親は共働きで、昼間の世話が出来ない・・・という事で
ルークは5日間程、我が家で過ごしました
朝日のあたる台所が好きで、朝は大体そこで過ごしていました
これが、ルークと一緒に過ごした最後になり、最後の写真になりました
ルークは私が保険所から保護した犬で、そのとき推定4歳でした
・・・それから13年経ち、推定17歳で旅立ちました
家に来た時は、既に後ろ足の骨が足りない状態でビッコしながら歩いていました
虐待された疑いがあり、噛み付いたりして問題犬でしたが、すっかり我が家に馴染みました・・・
いろいろ勉強させてもらったワンコでした
ルークありがとう・・・やすらかに・・・・・
もともと後ろ足の弱いルークは、既に歩けない状態でオムツでした
亡くなる一週間前ルークが体調を崩した・・・
両親は共働きで、昼間の世話が出来ない・・・という事で
ルークは5日間程、我が家で過ごしました
朝日のあたる台所が好きで、朝は大体そこで過ごしていました
これが、ルークと一緒に過ごした最後になり、最後の写真になりました
ルークは私が保険所から保護した犬で、そのとき推定4歳でした
・・・それから13年経ち、推定17歳で旅立ちました
家に来た時は、既に後ろ足の骨が足りない状態でビッコしながら歩いていました
虐待された疑いがあり、噛み付いたりして問題犬でしたが、すっかり我が家に馴染みました・・・
いろいろ勉強させてもらったワンコでした
ルークありがとう・・・やすらかに・・・・・